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「きぼう」日本実験棟開発を振り返って (25)
―コロンビア事故で「きぼう」博物館行き?―

宇宙航空研究開発機構客員/PMマイスター 長谷川 義幸 [プロフィール] :12月号

○ 最悪の場合「きぼう」の打ち上げはできないかもしれない?
図 1 格納庫に集められたスペースシャトル「コロンビア号」事故から回収された破片 2003年2月1日(土)の夜11時すぎ、難産だった「きぼう」米国出荷前審査会がなんとか終了したので、珍しく早めに寝ようと寝床でうとうとしていました。娘が、2階に上がってきて「父さん、TVでなんか変なことが起きているよ!」と呼びにきました。下に降りてTVではスペースシャトル「コロンビア号」が破片を落としながら空中分解したビデオ映像が繰り返し流されていました。
想定していなかった大事故が起きた! 米国の政策上、中止にはならないだろうと思ったが、最悪の場合、「きぼう」は博物館行きになるのではないか?、と背筋に冷たいものが走るのを感じました。その時の経験をお話しします。

○ ISS参加国政府の迅速なISS継続表明
アメリカ大統領は、事故の一報を受けホワイトハウスに直ちに移動し、「命を落とした宇宙飛行士たちの遺志を継ぎ、この悲劇を乗り越えて有人飛行を継続しよう!」との声明を発表、その後、参加国の政府幹部が続々と声明を出しISS計画継続へ進むことになりました。
ヒューストンでは、危機管理マニュアルに従って事故後の手続きに入る指令が出され、初期体制として危機対処チームや原因究明チームなどが編成され、さらに事故調査委員会が設置されるなど危機管理対応は素早いものでした。しかし、翌年1月に、米国政府がシャトルを2010年で退役させると発表したことにより、我々関係者に危機感が急速に募っていきました。
そのころのシャトルは飛行再開ができず、たとえ再開しても新たな不具合が出れば飛行中断の恐れがありました。また、退役までのシャトル打上げ回数が削減されるので、「きぼう」に必要な打上げ3便が確保できるのか、暗いどんよりした空気が襲ってきました。

○ コロンビア事故からシャトル飛行回数の確定までの長い道のり(1)
ISS組立て順序の見直しをNASAは内部検討として始めていました。日本政府から現場レベルまで「きぼう」の3回の打ち上げは必須である旨を繰り返し伝えていきましたが、ISS参加機関は参加できず大きな壁が立ちふさがっていました。
2004年7月、ISS宇宙機関長会議で、2010年までにシャトルを28回打上げと参加機関のモジュールを含めた完成形態をベースラインとして検討すること、また日欧の宇宙実験棟の打上げ前倒しも検討も含むことを確認しました。しかし、過去の実績から残る6年間で28回のシャトル打上げをこなすのは現実的ではなく、「きぼう」が完成しないかもしれないリスクは残ったままでした。
さらに、2005年4月に就任したNASAのグリフィン長官は、ISS計画を見直し米国科学者が強く望んでいるハッブル望遠鏡の修理飛行をシャトル退役までに追加するという検討を始めました。シャトルをISS以外のミッションで使うことになると、ISS用の打上げ回数がさらに減るかもしれないので、嫌な感じがしましたが、どうしようもありません。
同年6月にはNASA長官からJAXA理事長に、「シャトル退役までの飛行回数は20回程度に削減せざるを得ない。検討結果がでた後はアメリカ政府への説明の後、ISSパートナーに伝える」と通知してきました。ところが、米国のマスコミがシャトル退役までの飛行回数を16回、ISSの最終構成図などのNASA内部のオプション検討チャートを掲載するという想定外の動きがありびっくり。

図 2 ISSのトラス基部(上)、運搬用収納装置(下) 一体情報管理はどうなっているのか? 最終的にどのような提案をNASAがしてくるのか不明で、日増しに緊張が高まり身も心も消耗していきました。そして、2005年9月下旬、NASAとの電話会議で「①シャトルは2010年までにISSで18回、ハッブル修理で1回打上げる。②「きぼう」組立ての3便は確保する。」と通知してきました。この内容は、直ちに国内の関係者に説明された後マスコミに公表され、ISS計画見直しに関わる憶測報道はそれ以降なくなりました。

○ 「きぼう」組み立て飛行の前倒しへ(1)
図 3 「きぼう」日本実験棟組み立て順序 退役まで5年間にISS飛行回数が18回と決まったので現実味がでてきましたが、「きぼう」の第一便は、あと9回の飛行が必要でした。「きぼう」の完成まで辿りつけるのか不安はあり、日欧連携してNASAと組立て前倒し調整を本格化させました。欧州と連携していなければ日本だけでは門前払いだったかもしれません。ポイントは、太陽電池パネル4セットのうち3セットの組立て飛行(パドル本体が3回、ISS基部用トラスが2回(図2))をどれだけ後送りできるかでした。

このとりまとめは、普段は表にでてこないNASAの30代のシステムエンジニアでしたが、ISS組み立ての詳細に精通し、技術解析をとりまとめて現実的に可能な組立て順序を参加者に提示しました。NASAの技術力の高さに皆感心しました。彼は、制約として、①日欧実験棟組立て後のISS維持には、故障時に備えて太陽電池パドルが少なくとも3セット必要、②太陽電池パドルとノード2の運用開始に必要な船外活動は、直前まで訓練を積んだシャトルクルーが必要であり、補給、訓練、リスクを考慮すると太陽電池パドル1回と補給飛行1回を「きぼう」の第2便の後にすることが可能と説明しました。
2006年3月、ISS宇宙機関長会議で縮小されたISS完成形態とシャトル飛行は18回が了承され、ついに決着しました。

○ ついに「きぼう」打上げ
図 4 「きぼう」第2便組立て後、スペースシャトルから撮影、中央下に「きぼう」と欧州実験棟がみえる。太陽電池パドルは3枚 コロンビア事故調査でスペースシャトルの打ち上げ再開は2年半後になり、「きぼう」第1便は2008年3月、第2便は2008年5月(図4)、第3便は2009年7月に打上がり「きぼう」はすべてISSに取り付けられ運用が開始されました。緊張した空気の中でのNASA調整から15年が過ぎました。現在まで順調に飛行運用をしています。本稿をまとめながら、10年以上という歳月が「ほんの昨日」として鮮やかに生き返るのが感じられました。「夢があって、毎日が充実?していた現役時代」は、良い思い出になっています。
ちなみに、当時NASAとの調整をリードしたのは30代のシステムエンジニアでした。現在、有人宇宙と宇宙探査プログラムをリードする中心人物になっています。

<参考文献>
(1) 筒井史也、辻紀仁、「船外実験プラットフォームの機器(打ち上げスケジュール調整)」、「きぼう」日本実験棟組み立て完了記念文集より、2010年、JAXA社内資料

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