理事長コーナー
先号

“理事長だより”と8年間

PMAJ理事長 光藤 昭男 [プロフィール] :7月号

 私がPMAJの理事長に就任したのは、2011年3月11日の東日本大震災が起きた年の7月である。震災から4か月経過したにも拘わらず毎日被害状況が報道されていた。エンジニアリング振興協会(現エンジニアリング協会:ENAA)のPM(プロジェクトマネジメント)関連の活動を独立させ、PMAJが誕生してから6年目であった。その総会は、当時、西新橋にあったENAAの大会議室を借りて行われた。横に広い大きな窓を背にして、理事長就任の挨拶をした。薄汚れた天井と窓際にあった古い大型エアコン送風機を交互に見ながら話した記憶がある。

 ENAAが神谷町駅徒歩1分のビルに移転が決まってから、PMAJの新事務所を探し始めた。事務所は、ENAAから一駅以内程度の圏内に以前と同じ家賃、かつ、耐震性がありエレベータ2基以上のビルと方針を出し、新橋から大門の範囲で手分けして探した。現事務所は、案内された途端、ここに決めようと直感した場所だ。神谷町、芝公園、大門、麻布十番と4駅が徒歩圏内で、エレベータも2基ある。7階でラッキーナンバーだ。正面のみだが流行り出したガラス張りのモダンな外装もいい。ビル内に飲食店の無いオフィス専用ビルだ。移転は2011年12月だ。それから7年半を現ビルで勤務したことになる。この間の出来事が走馬灯のようにつぎつぎと浮かんでくる。

 就任直後の7月、「PMフォーラム2011大阪」が中之島の大講堂にて開催され初出張をした。大勢の方々が参加されていたが、その大会は会場の借用費用が参加費を大きく上回ると聞かされて大変驚愕した。大会自体は、大会幹事の努力により大盛会であったが、戦略の無い大幅赤字は二度と出してはいけないと戒めつつ帰京した。

 8年間が経ったが、私には、8年も経ったのかというのが実感だ。P2M・PMの普及活動は順調に伸びた。恒例のPMシンポジウムやPMフォーラム以外にも、会員やPM資格取得者が懇親・交流する場を増やしてきた。一方の柱である、PM研修・資格試験は、社会のニーズを充分に取り込めなかったと反省している。幸い世の中の風がPMに向かって吹いてきているので、今度こそ真のニーズをしっかり掴み、それを充足する方針・計画・行動により勢いをつけられると信じている。

 PMの世界は、単独のプロジェクトから複合的なプログラム(PgM)へと拡大し、適用範囲も建設・エンジニアリング企業のお家芸だった設立当時から、IT分野へ急拡大し、これからはサービス関連企業がPMを活用することだろう。中国が台頭する中、日本や世界情勢がどのように変化し発展してゆくのか、正直今は予測がつかない。次期会長・理事長があらたな環境にも適応するPM、P2Mを工夫し、日本だけでない世界で利活用される方法論を提案し続け、世に役立つPMAJとなる。そのことに期待して退任のあいさつにかえたい。

みなさま、ありがとうございました。

以 上

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