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Respect for the Aged Day

PMAJ理事長 光藤 昭男 [プロフィール] :10月号

 気候の良い春や秋は同窓会・同期会のオンパレードだ。今年も、秋に入ると毎週の如く「昔の仲間」の集まりがある。さすがに、小中学時代の同窓会はめったにないが、高校時代のクラブ活動仲間、大学時代の研究室やクラブの同窓会・同期会は、毎月のごとく案内が来る。また、かつて勤務していた会社の同窓会・同期会のお誘いも来る。瞬間、何人かの具体的な顔を思い浮かべて、懐かしいと思う。思い出すのは、良い思い出が多い。

 この9月だけで3件の案内があった。予定が合えば、参加の申し込みをする。メールやSNSが現れたおかげで非常に便利だ。最近も、大学卒業後に初めて勤務した会社の初配属の部門の同窓会に参加した。会場は、JR船橋駅から徒歩10分程度の中華レストランである。勤務していた当時は、船橋駅周辺では高級度ナンバーワンのレストランであった。参加者は、料理のお値段よりも年齢に相応しい場を好むようで、来年以降もこのレストランで開催することが満場一致できまった。

 合計15名で女性は2人だ。彼女達のお陰で毎年開かれる。私が新入社員時代の部課長は、傘寿を超えてかなりのご高年齢に達しているので、最近はお見えにならない。喜寿辺りが参加、不参加の境界年齢のようだ。自分たちより高齢の参加者は、配属時の教育・研修を担当して頂いた方々だ。すなわち数年先に入社している先輩達が最高年齢者の参加者であった。しかし、冷静に年齢差を勘定してみると、僅か数歳の違いであることに気づいた。配属された時は、既に業務をバリバリこなす大先輩で相当シニアだと感じていたが、あらためて考えると僅か数歳の違いであるためかほとんど年齢差は感じない。

 その会合では、新人時代のとちったチョンボや上司の悪口の類いが酒の肴となり、時に、高笑いし、または微笑したりして懐かしんでいる。今から新人時代を振り返ると、既に半世紀近く時が経っているはずなのに、昨日のことのように思い出して表情を緩めているのだ。一人だと良い思い出が浮かぶが、大勢となると悪い話題が先行するようだ。当然かもしれないが、若い時に感じていた印象と、近頃感じる印象を比較しても、とんでもなく乖離している人もいれば、ほぼそのままであると感じる人もいる。日本経済の高度成長期に青年期から壮年期を過ごした愛すべき高齢者たちだ。

 さて、毎年9月の第三月曜日は、「敬老の日」と法律(祝日法)で決まっている。「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う日」で、2018年は9月17日で、三連休であった。また、もともと敬老の日があった9月15日を含む1週間が「老人週間」(老人福祉法)となっているそうである。英文名は、Respect for the Aged Dayとある。

 国立社会保障・人口問題研究所の推測によれば、2030年には人口の1/3が65歳以上の高齢者になるとされている。65歳を境として高齢者の定義があるのもお役所仕事だからだ。日本の人口のピークは2004年で1億2784万人、それから減り続け、2048年には1億人を下回るとされている。男女の平均年齢は、それぞれ80.2歳、86.6歳(2013)だ。かつ、高齢者よりも大きな問題が少子化である。高齢者を将来にわたって支える若い世代が急速に減少している。このままの傾向で推移すると、2100年頃には高齢者に敬意を払い、祝ってくれるべき年代の人数が高齢者を下回ることが起きるようだ。Respectしてくれる人が減るのである。

 時計を30年ほど戻すと、高度成長期で、ここに集まり気を吐いている高齢者は、バリバリの現役時代であり、多くのプロジェクトをこなして会社に利益をもたらしてきた。プロジェクトやプロジェクトマネジメントという言葉は既に日常語で一般的であったが、マネジメントの実態は、先輩の築いてきた「先輩の背中を見る」やり方であり、QCDの管理は十分にされていた。その結果は、多くの利益をたたき出していた。やがて高度成長に影が差す時代に入り、バブル経済も崩壊した1990年前半には、利益管理体制が厳しくなった。丁度その頃に、PMI®のPMBOK®の初版が日本でも普及し始めた。管理を厳しくしなくては利益がでないという時代の流れであったのであろう。

 戦後に生まれ、高度成長期に青年期から壮年期を迎えた我々の世代でも、平均余命と「人生100年」という掛け声を考慮すると、半数以上の人がまだまだひと華咲かせなくて人生が味気ない。無理せず経験をおおいに活かして楽しみながら過ごせることを祈念したい。そんなことを感じた秋であった。

以 上

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