PMプロの知恵コーナー
先号   次号

ゼネラルなプロ (83) (実践編 - 40)

向後 忠明 [プロフィール] :9月号

 NC社の財務会計システムのプロジェクトを完了させ、また元の事業部に戻り通常の業務に戻りました。長くプロジェクトのような仕事に携わると通常の業務がなんとも退屈なものに感じてしまいます。
 筆者の所属している事業部の仕事はプロジェクト主体の案件を扱う仕事で規模もそれほど大きなものではなく各部での仕事は課長がマルチで処理する程度のものであり、筆者が介入するような案件があまりありません。
 よって、そこで扱っている仕事は単純なものであり、錬度の高いプロジェクトマネジメント能力は必要としないものばかりでした。
 そのため、ここでの業務は多種多量の小規模なプロジェクトばかりで、担当者は忙しいばかりであまり楽しそうに仕事をやっているようには見えませんでした。
 それでも、この事業部には各部の調整をする部が組織されていて、コンサル会社から派遣された人達も在籍していて彼らのアドバイスに従って仕事を進めていました。
 また、彼らはプロジェクトマネジメントガイドなどを作成し、それに従った部員の教育もしていました。この組織はたぶんPMO(Project Management Office)のつもりで編成され、活動しているものと感じました。
 しかし、PMOの中心となっている部長はPMO長の役割と言うよりむしろ人事や総務的職務で、プロジェクトの指導は外からのコンサル会社の人に任せきりのように見えました。
 筆者が以前この事業部にきた時、事業部長とPMOについて話をしたことがあります。その時には事業部長が「小さなプロジェクトは特に問題なくこなせるが、大きなものになったら無理がある。そのためプロジェクトマネジメントに長けた人を置きPM教育や大きなプロジェクトもこの事業部でやれるようにしたいと思っている。」と言っていたことを思い出しました。しかし、事業部長がその時、言っていたものと現状は全く違っていました。

 そのような時に事業部長が筆者の所にきて、やっと戻って来たかのような顔をして、筆者に向かって「ここでPMO長をやってくれないか?」と話しかけてきました。
 「やはり・・・」と思いました。
 しかし、筆者はもう少しで定年を迎える年になっていて、もしここでその役割を受けたら中途半端になると思い断りました。
 もう一つの理由はPMO長になって事業部内の各部を見るようになった場合、各部長とのしこりもまだ残っていると感じていたことです。
 最も強い理由はNC社と同じようにN社の子会社でファイナンスやリースを手掛けているNF社の社長から筆者に声をかけてきて来たことかと思います。
 筆者もエンジニアリング会社から全く業種の違うNグループの国際戦略子会社のNI社に入ってからいろいろなプロジェクトをやってきました。その後は海外のプロジェクトをいろいろ手掛け、また会社の役員などもやってきました。全く目まぐるしいサラリーマン人生でした。
 途中入社にもかかわらずNグループといった優秀な人材が多くいる中で仕事を失敗もなくやって来ました。これもN グループの人達が国際分野のプロジェクトやプロジェクトマネジメントに慣れていなかったためかもしれません。

 一方、この頃になるとNグループが多くの海外案件において投資した事業に大きな損失が発生していることに苦慮していることが筆者にもわかるようになってきました。そのため海外プロジェクト案件も下火となってきました。
 NC社は国内及び海外のインターネットやデータセンターと言った業務が主体であり、筆者にはあまり興味のあるものではなく、定年前の3カ月頃になる頃はこの会社にいてもあまり力を発揮する場もないと思うようになっていました。
 一方、この頃になるとNF社の社長が頻繁に筆者に接触してきたこともあり、いろいろと食事をしながら話をする機会も多くなってきました。
 この社長とは筆者がNI 社にいたころ、経営企画部の直接の上司でした。そのようなこともあり、筆者のことを考え声をかけてきたようです。
 この社長の目論見はこれまではファイナンスやリースを利用しての受け身の事業であり、これからは直接プロジェクトを形成して、そこにリースまたはファイナンスを加味した事業をしたいと考えていたようです。
 この話を聞いて非常に興味を持ちました。そして、筆者の気持ちを社長に伝えたところ、早速社長はNF社の仕事になるべく早く慣れるように手を打ってくれました。
 どのような話をNC社としたかわかりませんが、NC社とNF社の両方の仕事を定年まで半分ずつやることになりました。
 この頃から午前はNC社、午後はNF社といった変則的な務めとなり、定年後はNF社に嘱託として入社しました。
 所属は特に指定されなかったが、国際部と開発営業部の間に席をもらい社長の特命事項の仕事をすることになりました。
 最初からこの会社の事業活動を理解するため、毎週の朝の社長主催の各支店長も含めた部長会議に出席していました。
 そして、事業の内容や各担当部長のやり取りを聞くうちに、この会社の主な事業の大半はリースが主体であることがわかりました。しかし、後になってから、筆者の近くの部署である開発営業部がストラクチャードファイナンスと言ったまさに社長が筆者に話していた内容の仕事を扱っていることがわかりました。筆者の隣が開発営業部長と国際部長でしたので、いろいろと彼らの考えを聞きました。
 双方から話を聞いたところでは思ったような成果がでずまた人材がいないため困っている様子でした。
 社長の真意はこの開発営業部隊の業務が順調に回っていないことやリース案件の海外展開も考えていたところにあり、筆者を国際部と開発営業の間に席を置いた理由もここで分かりました。
 国際部は海外事業を細々であるが中国を対象に行っていました。ここには筆者が以前扱っていたインドネシアやタイのプロジェクトで一緒に仕事をしていた人がこの部門をサポートしていて、彼は中国語も堪能であり問題ないと思いました。
 開発営業部はストラクチャードファイナンスを扱っているがその仕事は大きく3つに分かれ、レバレッジド・リース、オペレーションリース、投資案件、資産・債権の流動化、そしてプロジェクトファイナンスなどが対象業務でした。
 この時の筆者の感覚では、これらが筆者のこれから係る仕事の対象と思いました。

 しかし、いずれにしてもNF社は現状においてもリース案件に多くの実績があり、航空機、船舶、大型コンピューターの設備などもありました。
 この会社は「やはりリース主体の会社か・・・・」と改めて思ったのですが、プロジェクトファイナンスなどが開発案件として営業品目として入っていたので、社長の話は全くの絵空事ではないと安心しました。
 しかし、急にはプロジェクトとリースまたはファイナンスを組み合わせたプロジェクトをやるといっても人材を含めこの種の仕事を進めていく環境にはありませんでした。
 そこで、当面、筆者にできる事は何かと考えていましたが、そこで思い出したのはNC社にいた時のことでした。
 NC社には顧客に提案をするためのプロポーザルを提出する前にその内容についての審査を受ける必要がありました。この審査会には筆者はアドバイザーとして毎回出席していました。その時、提案内容に含まれる多くの機器材をリースにて提案していることが度々あったことを思い出しました。この時、NC社は数社のリース会社から見積もりを取り、条件の良いものを採択し、プロポーザルを顧客に提出していました。
 今、考えてみると「何故、同じグループなのに競争させるのか?」と思っていました。
 もちろん、見積もりの公平性から考えれば当然のことと思います。しかし、NF社の提案があまり採用されていなかったような思いがありました。そこで、NC社を担当しているNF社の営業部に出かけていき、筆者の思っていることを話しました。ここの営業担当は当然NC社の審査内容結果などは知りません。NF社の営業の人は、同じグループ会社なのに「何故NF社の提案が採用されないのか?」首をかしげるばかりでした。
 そこで筆者がNC社の各担当に話を聞きに行きました。その結果、提案内容は良いのだがリース条件が他に比べあまりよくないとのことでした。
 その上あまり密なコンタクトが他の会社に比べ少ないとも言っていました。
 原因はやはり密なコミュニケーションがないこと、そして同じグループであるとの甘えが原因と思いその旨をNF社の営業担当に話をし、その対応策について話し合いをすることにしました。
 そこで、筆者はNF社の担当営業をNC社に連れて行き、調達関係の責任者やプロジェクトの関係者を紹介し、双方での密なコミュニケーションがとれる体制作りをするようにお願いしてきました。
 NC社にとっても見積もり提出のわずらわしさをお互い軽減させることができるし、困ったときはすぐに相談できるメリットがあるということでNF社の提案を了解してくれました。そしてコミュニケーションの迅速さを可能にするためにNC社及びNF社の間に専用回線を敷き、必要な情報のやり取りが瞬時にできるようにしました。
 結果的にはこれまでのNF社の対応も確実で迅速となり、必要に応じて競争力のあるリース条件もNC社の求めに応じて示すことができるようになりました。
 その結果、以前に比べNC社との連携も格段に良くなりNF社の提案が通るようになりました。
 このようなことでもあり、筆者もNF社に入社して、この会社に役に立つことができ、営業担当及びその上司からも喜ばれました。

 しかし、筆者のNF社での本業と考えているプロジェクトリースやファイナンスに関する仕事は相変わらず何の動きもなく、どのように動いてよいか皆目見当もつかずに考え込んでいました。
 そのような時に社長から電話があり、呼び出され、「アメリカのシルクド・ソレイユと言うサーカスがあるが、この興行が日本で行われることを君は知っているか?」と言ってきました。
 筆者にとっては初めて聞く話であり、「この社長は何を考えているのだろうか?」と思い、「何をどのようにしようと思っているのですか?」と質問しました。

 来月号に続く

ページトップに戻る