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先号

エッセンシャル・セミナー : 戦略プログラムマネジメント (下)

清水 基夫 [プロフィール] :4月号

第 10 回 : 戦略プログラムマネジメント (下)
 
戦略ミッションプロファイリング
依田さんが授業に出かけている間に、橘と王は、戦略ミッションプロファイリングの見直しを行った。戦略ミッション全体の枠組みの再検討である。結論から言えば、考え方を思い切って転換し、従来型の事業については規模の経済の追求ではなく利益重視の事業体質の強化を目指すこと、将来の柱として時代の変化を先取りした新しいSI事業の開拓を進めることに決めた。
確かに、当面は従来型の事業もある程度の市場の成長が見込まれ、そこでシェア拡大をすれば、かなりの成長の可能性がある。しかし、長期的にはクラウド化やプラットフォーム化などがどんどん進展するし、そもそも労働集約的でスマイルカーブのボトムに位置する今日のSI事業の将来性を見れば、中期的に収益性低下の趨勢は疑いない。また、現状での規模拡大を目指せば、人員つまり固定費も拡大する。規模の経済の効果があるとしても、製造業と同じにはいかない。SI事業のコストは、その主要部分を固定費ではなく「人月」という低減し難い変動費で占められているからだ。結局、低賃金の下請けやオフショア外注を増やして利益を増大(悪くいえば収奪)するのだが、そのための管理コストの増大もある。
他方、現状の事業運営は、先進的な企業に比べ技術・マネジメント・マーケティングの様々な分野で改善の余地がある。こうした事業体制の質的改善を図ることを徹底すれば、結果として組織を利益体質へ改善することができるだろう。売上高を減らしてはいけないが、無理やり伸ばすことをせず利益を確保して、それを用いて「新しいSI」つまり新たなビジネスチャンスを目指す方向だ。利益体質とは低コスト体質だから、結果的に競争力も高まるだろう。

依田 ふーん。プロファイリングをやり直したんだね。より良い方向に改めるなら大いに結構だ。それで、中長期的にみて、事業はどう発展すると見るのかな? <授業から戻った依田さんが聞いた。>
システムの必要性やお客さんの意識の変化速度もあるから、在来の伝統的SI事業が一気に無くなることはありません。3年後に新しいSIは事業の15%から20%、5年後でも30から40%程度でしょう。この間の事業全体の成長率を、市場並みの6%と仮定すれば、3年後には伝統的SIの規模はほぼ現状通り、現状比19%という事業の増加分のほとんどは新しいSIが担う計算になります。5年後は売上全体は34%程度増える計算ですが、伝統的SIは現状比10から20%減少し、新しいSIの規模は現状の売上高全体の40から50%の規模になるでしょう。
依田 更に将来は何を目指すのかな?
例えば、アップルのiPhoneは2007年の発売ですが、その後の10年間でスマホについては何回も大きな変化がありました。SNSのLineの開発は2011年ですし、5年前にクラウドがここまで一般化することを見通せた人は少なかったでしょう。大きく変わることだけは確かですが、デジタル業界では10年先はどうなるのか何とも言えません。大きな方向性を決めて、具体的施策や目標は2~3年のサイクルで見直すことが必要ですね。
新しいSIを目指すという戦略は変わりませんが、市場の環境が3年後にはどうなるのか分かりません。それぞれの時点に合わせた施策が必要です。
依田 新しいSIというのは、従来のSIとはどう違う、どの様なものなのだろう? この間言っていたアジャイルとかいうものなのかね?
この場合、アジャイルは一つの開発の方法論で、戦略の目的ではありません。もちろん、方法論も徹底すれば一つの戦略になることはありますが。
依田 では、新しいSIの目的は何なのかな?市場つまり事業の環境の何が変わり、それに対して新しいSIは何をしようとしているのかな?逆に言えば、何が新しく要求されているのかな?
議論の順序として、まず新しいSIとは何か、そしてそのための戦略を考え、その後で在来型事業の利益重視の体質変化の戦略ついて、議論することとなった。

「新しいSI」 戦略の検討
依田 現在の業界の事業環境だが、従来とは何が違うのだろう。ザックリとでもいいけど。それが新しいSI事業の理由であり、可能性の源だろう?
SI'erが顧客の求めるシステムを開発して提供することは同じですが、従来のSIは顧客から提示された要件に合致するシステムを開発する専門的労働を提供するのが建前です。一方、これからは顧客にとっての価値実現の仕組みを提供するという方向だと考えられます。何を売るのかという視点で図式化して言えば、従来はシステム実現のために専門的労働力を売り、これからは顧客に新しい価値を提供する仕組みを売るという違いです。
依田 今一つピンとこないね。いずれにしても専門的能力を使って、システムを開発するのだろう?
これまでのSI事業では、膨大な工数が必要なシステム開発が中心でした。しかし、クラウド利用の様に、システムが内部に物理的な中心部分を持たないケースが増え、標準化された業務用パッケージシステムが一般化し、デジタル型のビジネスモデルを迅速に実現する要求の急増などもあって、迅速なシステム構築へと顧客の考え方が変わりました。それに合わせてSI事業側も開発の考え方や手法の変革が必要になっています。
対象とするシステムの性格が変わるという説明もあります。System of Record (SoR)とSystem of Engagement (SoE)というものです。これまでのシステムは、企業などの基幹業務の情報(例えば会計情報や生産管理情報など)や、官庁業務での個人情報(例えば年金やマイナンバーが典型)などの重要情報を、間違いなく記録・管理することを目的とするSoRが中心で、確実性・安全性が求められます。
SoEは大規模情報の記録・蓄積が目的ではなく、SNS関連が典型ですが、情報を繋ぐことで利用者に価値をもたらすためのシステムです。急拡大が予測されるIoT (Internet of Things) もこの範疇と考えられます。
村上 先生がおられないときの議論から、伝統的なSIと新しいSIを対比して整理するとこんなですね。 <村上さんが、比較表を壁に映し出した。ごちゃごちゃした話の整理には図表化が役に立つので有難い。> お話からすると、将来的にSoR、が完全になくなるわけではない、したがってウォーターフォール開発も残るのだが、AIや自動翻訳などの技術進歩と低賃金国とのコスト競争から、システム開発作業中心の工数ベースの事業モデルは苦しくなると理解しました。ただし、この表は両者の違いを強調したものです。例えば、伝統的SIでは迅速性を求めないとか、新しいSIでは正確性が必要ないというわけではない。それぞれが何を重視するかという視点での整理です。

伝統的SIと新しいSI
伝統的SIと新しいSI

〇 市場の選択 (新しいSI)
依田 新しいSIというのは、価値の創出つまり未だ存在しない新しい市場を開発することを狙うのだろう?中長期的にどんな市場を狙うとするかが戦略的には最も重要だ。その上で、短期的にも成功しないと先に進めないから、短期的には何を具体的に狙うのかも非常に重要だ。
ターゲットを一口で言うなら、高度IT応用ビジネスのシステム市場です。中期的、つまり3~4年先に大きく伸びるのは、製造業関係ではIoT (Internet of Things)関係が大きいでしょう。流通・サービス業関係ではリアルとネットその他のITとの融合の進展、例えばVR(virtual Reality)の応用、AIを組込んだ新しいネットサービスの形態などが考えられます。また、支払い関係のサービスやセキュリティなどは、最適なものを組み込んでいく必要があります。5年から10年という長期については、大きな流れは同じでしょうが、具体的にはあまり詳しく考えても意味がないでしょう。技術的ブレークスルーで、5年もすれば予想もしない展開もあり得ます。この方向で努力しながら、その時々で創発的にシステム開発を進めることになります。このことは、アジャイルのようなリーン開発手法と、継続的な顧客との関係性が重要なことを意味します。
依田 短期的には、どのような市場を狙うの?どんなマーケティングをするのかな?
例えば製造業向けのIoTですが、機械装置についてその稼働段階でのセンサーデータを収集して、製品の品質管理、マーケティング、装置のメンテナンスなどに利用する。言うのは簡単ですが、顧客にとってはデータ収集が大変ですし、その後にビッグデータかどうかは別にして統計処理をして、データ利用することはかなり大変です。例えば、うちの会社がデータ収集と分析のためのITプラットフォームを提供すれば、中小企業などにもマーケットを広げられるでしょう。
村上 このケースの当面のリスクは、ライフサイクルイノベーション [1] でいうアーリーアドプターをどう見つけるのかだと思いますが、その点はどう考えるのですか?
潜在的にこうしたニーズを抱えている顧客もすでに存在します。これまで我々のお客様は顧客企業の中の情報システム部門ですが、そこは主に生産管理、販売管理、経理・財務関係のSoR的な管理システムの開発と運用に責任があります。SoEというのは、企業でいえばもっと工場とか販売とかサービスの現場サイドのニーズで、場合によるとその現場は製品を売った相手の施設だったりします。情報システム部門からは出にくいのですが、それでも運用支援サービスも含めた顧客との付き合いの中から、こういう話も出てきています。
そういう話は我々レベルでもありますが、部長とか上の方に行くともっとあるみたいですね。ただ、簡単なものは対応していますが、顧客側も我々側も組織的な対応ができていない状況です。つまり、組織的に掘り起こしをすれば、何件かのアーリーアドプターを獲得する可能性は十分あります。
依田 「組織的に」ということだけど、具体的には何を意味するのだろう。
体制を整えた取り組みです。これは我々だけではなく顧客側にも、腰を据えた対応をしてもらう必要があります。我々SI'er側では、ビジネス視点での理解ができるシステムアーキテクトをリーダーとする開発チーム、アジャイルなどの開発体制が必要です。顧客側もビジネス上の判断力と権限を持つリーダーを含む開発体制が重要です。創発的つまり次々と新たな開発を積み重ねる訳ですから、互いにリスクがあります。相互信頼の大きな枠組みを築くことも重要なファクターです。その意味で契約関係にも創造性が要求されます。 一方、我々のリソースは有限ですから、発展性のあるテーマを見極める必要があり、社内関係部門全体の合意とサポートが必要になります。

〇 能力・資源の獲得・強化(新しいSI)
依田 新しいSIを組織的に事業にするには、新たな資源が必要だ。人的資源つまり能力ある人材が特に重要なのだろうけれど。具体的にはどうするのかな?
資源とはヒト・モノ・カネそれと情報ですが、新しいSIの事業を確立するために必須な業務は、新しいSIの市場開発、その事業を遂行するための新しい開発プロセスの整備、それと新しい事業分野で受注したITシステムの開発業務です。それと一番大事なのは、市場の開発を主導しつつ、こうした業務全体を統括するビジネス感覚に優れたリーダーも必要です。王君と、その内容をブレークダウンして、必要な能力・資源をまとめました。やはり一番重要なのは人材ですね。当然ですが。 <手際よくPCを切り替えて王がその表を示した。>
依田 ふーん。この表はどう見ればいいのかな?
まず、新しいSIの分野での新しい市場つまり新しい商品や顧客を開発する業務があります。そうした仕事の中身をブレークダウンすれば、顧客のニーズを発見したり、それをビジネスに展開するビジネスモデル開発などです。そのための能力としてはビジネスやマーケティングの能力が必要です。全体を統括するリーダーには、これらに関する統合的なITビジネスアーキテクトともいうべき能力が要求されます。そういう人材は例えば対象市場に関する知識や情報、何をすれば事業化できるかなどのビジネスに関する知識、新しいSI業務に関する技術知識などの知識・情報を持つことが要求されます。

必要な資源(新しいSI)
必要な資源(新しいSI)

続けて次の表で、橘はこれらの必要な能力・資源について、獲得や強化の方法を説明した。
依田 ハハーン・・・。村上さんの影響で一覧表が好きになったみたいだね。
いや、王君ですよ。近頃は会社でも、すぐに一覧表を書いて説明しています。ま、分かり易くて良いのですが。 <王が頭を掻いている。>
依田 この中で、モノのところに書かれた開発組織体制と契約管理体制の意味がよくわからないのだが。
IT系の事業では、モノの範疇の必要資源には、製造業のようなハードウェアは少なく、計算機プログラムのようなソフトや様々な「仕組み」が中心で、事業遂行の組織体制もそうした仕組みの一つです。そして、その良し悪しでアウトプットに大差が出る最重要資源とも言えます。これは、ヒトに関係するからヒトの区分でも良いのですが、そうすると知識・情報もヒトに属することが多く、なんでもヒトに区分されてしまいます。それで分かり易いように、ここではヒト・人材とは切り分けて、ハードな実体はありませんがモノとして議論しています。
それから、新しいSIでは顧客との契約が従来のSIとは変わってきます。従来は、システム開発フェーズの前に要件定義を明確化して、全ての開発要素が明らかで作業量が確定する前提で、作業量と単金の積である「人月」方式で契約します。まあ、何十年来の建前ですが。新しいSIでは、作業量で契約するのではなく創出する価値が問題となり、契約のやり方にも創造性が必要と予測されます。
顧客価値創造という意味では、対象とする業界知識やビジネスモデルなどビジネス全般の知識が重要ですが、SI'erとしてはIT関連の新技術に関する知識・情報が最大の武器になります。AIやセキュリティだとか、当社でやるかは別にしてFinTechなどが例です。

能力・資源の獲得・強化の方法 (新しいSI)
能力・資源の獲得・強化の方法 (新しいSI)

〇 競争戦略 (新しいSI)
依田 それでは、新しいSIでの競争優位の戦略はどう考えるのかな?すでに先行している会社もあるのだろう?王君はどう考える?
基本は迅速性です。新しいSIついては、多くの会社が戦略的に重要な方向だとは気が付いているけれども、具体的には殆ど立ち上がっていません。先行しているのは、ベンチャー的な小規模企業でプロジェクト規模も大きくありません。むしろ先進的な顧客企業が下請けを使って、何かプラットフォーム的な事業で市場参入してくるリスクがありそうです。 うちの会社も本気にやれば、現状なら市場でかなり良いポジションが得られる可能性があります。そのためのポイントは速さですね。
村上 現状の環境シナリオの一部ですね。プラットフォームというのはどういう意味ですか?
ここではITによるビジネスプラットフォームの意味で、様々な利用者が共通的に使える基盤的なITシステムのことです。通信やeコマースでは、既にツイッターやLine、あるいはAmazonマーケットプレースや楽天市場のような巨大なものもあります。しかし、これからはもっと様々な分野でこうしたものが利用されるはずです。
新しいSIの主目的は、新しい事業の仕組みを提供すること、つまり通信ネットワークとビッグデータやAIその他のITを活用した新しいビジネスモデルを作り出すことです。もちろん、そのITシステムが単発のビジネスモデル専用でもいいのですが、それが他の分野にもそのまま応用できるプラットフォームに出来れば、SI側も大きなビジネスに出来るし、顧客の側も時間とコストの節約ができます。もちろん、Amazonとか楽天とは違う、身の丈に合った土俵を狙う必要があります。例えて言うと、デパートやスーパーではなく大規模専門店ですね。
依田 そうした場合の競争優位はどう考えるのかな?
IoTが典型ですが、この市場はこれから本格的に開発される市場です。その意味で、殆ど全ての参加者が新規参入者とも言えます。従ってポーターの5つの脅威でいえば、既存SIの同業者だけではなく、普通であれば売り手である下請け業者、アプリケーション・ソフトの事業者、クラウドやネットワークの提供者等、また買い手である顧客企業を含む全てのIT事業者が、もし彼らにその意思があれば競争相手になります。
その意味でも、競争優位を目指す最大の要素は迅速性つまり速さです。"First-mover advantage"とか"Winner-take-all"と言われるように、デジタルビジネスでは先行者が優位を築きやすく、一旦市場が確立すると後からは追いつかないケースが多くあります。
この迅速戦略の基本は発見の先行性で、ビジネスモデル上の中核技術の発見・先行とそのアーリーアドプターの発見・獲得を目指すことです。両者の順序は逆の場合もあります。
依田 それで、もう少し具体的に言うとどうなるのかな?
既にいくつか候補はありますが、まずは有望な2、3の特定産業分野の顧客を選び、アーリーアドプターとして成功できるよう、早急にモデル事業を進めます。
ここでも、アジャイル開発手法を使うことをはじめとして、徹底的に開発の速さを追求します。例えば、開発のアウトプットは最初から高い完成度を狙うのではなく、部分的でも短期に顧客にとって一定の効果が得られる範囲を目指し、順次その範囲を拡げて効果を拡大するやり方です。顧客として、具体的な効果に最も近い部門、ビジネス上で何を望むかを知っている生産とか営業部門を直接の相手にする必要があります。一般論ですが、情報システム部門は、現場を知らないし従来のSoR型の発想になりがちで、新しいSIの価値創出と速さへの対応には不向きでしょう。
村上 売り手である下請け業者やアプリ・ソフト業者などが競合する可能性があるということですが、この種の競争者の対策はどうするのですか?
第一は、全体システムの主導権を握ること。そのためにはビジネスや技術力での優位性をもつこと、つまり高い能力の獲得が重要です。その上で、システムを早く作り上げる上で効果があれば相手を排除するのではなく取り込むこと、いわば競争の吸収です。
つまり、相手によって、M&Aなどの資本的な繋がりやアライアンスも選択肢です。
村上 それを上手くやるには、工夫が要ると思いますが。まぁ、それが戦略でしょうけれど。
確かに簡単ではない。でも、相手も個別の優位性を持ってはいても、それをビジネスにまとめるITの総合力がなければ宝の持ち腐れです。そこがシステム屋の強みですね。

〇 イノベーション (新しいSI)
依田 新しいSIでは、イノベーションが重要な役割を果たすと思うが、どう考えているのかな?少し抜き出して考えてみよう。
従来のSIでも、イノベーションが重要な要素となるケースは少なくありませんが、効率性を目的とした技術的イノベーションが中心です。新しいSIでは、顧客にとってどのような事業を行うのかビジネスモデルを創出するケースや、高度な技術とビジネスを融合したイノベーションを目的とすることも多く、イノベーションの重要性はもっと高いと思います。
そういう意味で、ビジネスモデルつまり収益獲得手法のイノベーションと、それに伴う生産・サービスのITシステムのイノベーションの二つがあるでしょう。しかも、これからはこの二つがますます密接に絡んできます。
依田 その中で、SI事業者の役割はどうなるのかな?さっき、王君が言ったシステム屋の強みには、どう関係するのかな。
新しいSIの事業者には、これら2種類のイノベーション能力が要求されます。ビジネスモデルもITシステムも今までにないものなので、最初から全部を計画的にイノベーションするのは困難です。多分、最初に大きな方向性としてのイノベーションを考えだし、細部の仕組みのイノベーションは、ステップ・バイ・ステップ的に積み上げる創発的なプロセスになります。
システム屋としては、アジャイルなどのプロセスでイノベーションのサイクルを素早く回す能力と、顧客とのチームとしての信頼関係の上で目標追求をリードできる総合力が重要です。
依田 それで、ビジネスモデルとしてはどの様な方向だろうか?
この分野では、これまでは情報通信を利用してネット販売や広告で利益を得るビジネスモデルが中心でした。これからは情報とサービスや生産とをITで結びつける分野にチャンスがあるだろうと思います。具体的には画一的な大量生産・画一的サービスではなく、個別需要への対応とそれに関連する生産効率化・品質向上などです。
例えば、3Dプリンタを使えば個別のオーダーメイドが容易になると言うが、現実には一般消費者にはどうしたらよいかわからないし、衣料品や化粧品なども理屈ではVRなどを利用してオーダーメイド品を作れますが、それをビジネスにするには良いシステムが必要です。もっとも、この種のものは世界で一つだけが良いのか、映画スターなど誰かと同じものが売れるのか別の試行錯誤が必要です。ZARA [2] の様に、多品種少量生産品をバラまいて売れ筋を探る戦略もありますが、その探る段階にITシステムを利用する考え方もあります。
産業用なら、工場や店舗の設計にVRを活用して、設計の最適化や関連システムとの統合的開発等があるでしょう。VRとアジャイルの組合せは、システム開発に関する顧客の納得性と満足度を高める上で、大きな効果の可能性があります。
逆の方向は供給サイドを分散化というか大衆化する方向があります。ウーバーとかエアB&Bが代表例ですが、非組織的供給のネットによる組織化で、シェアエコノミーの拡大は一つの方向です。自動運転車やロボットなど、AI化した商品の開発もありますが、これらはどちらかというと製造業の企業内SEの動きが中心になると感じています。
依田 関係するITシステム技術のイノベーションというのは?
通信ネットワークや汎用のアプリケーションシステムの他に、AIの深層学習とかビッグデータの統計処理などの利用技術、画像処理、シミュレーション、3D関係、販売予測など、様々ですね。でも、戦線が広がりすぎますから、全ての専門家を社内に揃える訳には行きません。既成のソフトを組み合わせたり、専門家とのプロジェクトごとの協業なども重要です。こういう事業では、IT事業者単独では経験・知識が不足で、業界の境界を越えたエコシステムの考えが重要です。

利益重視の事業体質(伝統的SIのカイゼン)
戦略のもう一つの柱は伝統的SIについての「利益重視の事業体質へのカイゼン」だ。そのミッションは、当面は将来性は高くても不確実性が大きい「新しいSI」を含めて事業全体を支え、中長期的には事業部全体を予測される業界の大きな環境変動に耐えられる筋肉質の組織に作り替えることだ。
利益重視の事業運営の手法自体は、特別目新しいものではないから、ここでは戦略ミッションプロファイルを要約した表として示すにとどめる。
顧客はモノや技術者の工数が欲しいのではなく、システムによる効果的なサービスが欲しいのだ。よく考えれば伝統的なSIもさらなる改善が必要だし、それは可能だ。ここでは、結果としての利益率が重要だが、同時に利益重視とは何か、その本質的な意味での組織文化を作り上げることが重要だ。
ここで、カタカナの「カイゼン」は、トヨタ生産方式に由来する終わりのない改善活動の繰り返しを意味している。

戦略ミッションのプロファイル(伝統的SI事業の改革)
戦略ミッションのプロファイル(伝統的SI事業の改革)

戦略ミッションプロファイル: 1次案レビュー
山田 お早う。出来たかね。早速、報告を聞かせてもらおうかな?
速足で会議室に入ってくるなり、橘と王を見やりながら山田常務が言った。今野部長も後に続いて入ってきた。「お早うございます。」と立ち上がった二人を座るよう制すると、山田常務はテーブルの上に並べてあった説明資料を取り上げて、パラパラと中身に目を通している。ほどなく山田常務は橘に説明するように促した。

それでは事業部の戦略案ですが、戦略プログラムの中心となる戦略ミッションプロファイルについて、一次案をご説明します。関連する戦略プログラムの実行シナリオや具体的施策の概略も考えていますが、本日の議論に基づいて見直しをした上で、別途ご報告します。 <こう前置きをして、橘は王がプロジェクターで映し出す資料に沿って説明を始めた。説明は中核部分であるミッションプロファイルの以下の表から始め、その具体的な内容や考え方、達成目標案などだ。>
山田 この間はシェア拡大だと言っていたけれど、方針転換なのかな?まあ、勇ましいばかりが戦略ではないし、うちのリソースを考えると背伸びして拡大したとして、その先をどうするかだ。中長期を考えたとき、伝統的事業のカイゼンと新しいSIへの展開の組み合わせの方がベターだろう。ところで「ITカンブリア時代」という言葉は世の中にあるのかね?
カンブリア紀というのは、生物の進化が爆発的に進み、生物種が多様化した時代です。王君や依田研究室とのIT分野の近未来予測の議論から出てきたもので、関係者へのアッピールのために考えました。似たような言い方がネットでも一つ二つ出ています。SE等なら、説明をすれば直感的に理解してもらえるものと思います。
山田 現行SI事業のカイゼンだが、論旨は分かるが、現実の数字としてどれだけ改善が可能か、見通しはどうなのかな?今でも、皆には相当努力してもらっているのだから。
ここ3年間について、赤字プロジェクトがなかったとすると、事業部の売上高利益率は3-4ポイント改善できます。稼働率の問題も考える必要はありますが、無理な赤字受注をせず、組織的なカイゼン活動を継続すれば、可能性は十分あると思います。それに、新しいSIをやるにしても、その人的リソースの相当な部分は内部からの転用しかないでしょう。その意味でも、伝統的SIのカイゼン・効率化は必須です。
山田 何か仕掛けが要るな。 <橘を見ていた山田さんは、今野さんに視線を移してその目を見た。今野さんの出番だ。>
今野 いろいろ考えているね。方向性としては、これも良いかなと思う。ただ、上が無理な受注をするなと言えば、誰もリスクを取らなくなって、結局は受注激減になるリスクがある。現実には、どちらかと言えば受注拡大を言う方が大きなリスクが少ないだろう。普通の場合は。その点をどうするのかがこの戦略案のポイントだね。
でも、現状の事業モデルのままでは、将来の発展性が見通せないから、考え方の大きな転換が必要だと思います。これは組織の体質改革の話で、仕組みや考え方をしつこく繰り返して、徹底していくしかないのではないでしょうか。
山田 橘君の理屈通りうまく動けば素晴らしいが、現実のヒトや組織は今野君が言う様に動くことが多いのも事実だ。君の理屈通りに組織が動くようにするには何かの仕掛けが必要だ。例えていうと、トヨタ生産方式の場合のカンバン方式に相当するような仕組みだね。
つまり、君が考えるカイゼンについて、その点を含めて内容や方法論をもっと具体的に詰めてほしい。それとこの部分の数字的な見通しとその根拠をもう少し明らかにすること。
次に、新しいSIについては、事業展開のシナリオをもう少ししっかり検討してほしいな。具体的には、有望なアーリーアドプターの候補プロジェクトのリストと、その中の主要なものの概要とその後の他顧客への横展開の可能性、プラットフォームとかエコシステムについて検討している内容、必要な新技術とその獲得シナリオなどだ。その中には、そのプロジェクトで顧客が目指すビジネスの見通しを含めること。
後は、戦略全体に対応する組織改編だが、それはもっと後で考えよう。
金曜日に報告してほしい。3日もあればいいだろう?

事業部戦略プログラムのミッションプロファイル案 (目的と副目的)
事業部戦略プログラムのミッションプロファイル案 (目的と副目的)

エピローグ
戦略ミッションプロファイルの1次案は、条件付きで合格と言ったところだ。宿題が沢山出てしまったが。中でもカンバン方式のような判断や行動を強制する仕組みを考えるのが一番の問題だ。今野さんの言う通り、この仕組みが戦略全体の急所になるだろう。いろいろ宿題は多いが、何をやれば良いのか課題がハッキリしてきた。
王君が3日でやるのは厳しいと今野さんに言ったら、大局の判断はだらだら時間をかけないで、大筋を見ることが大事だと言われていた。その後にはプログラム設計の仕事が控えているし。

この分だと、依田さんとのキンメ釣りの約束は当分お預けになりそうだ。

<終わり>

参考資料
[1] J.ムーア「キャズム」 川又政治訳、翔泳社、2002、 pp16など
[2] 本連載第5回 「競争戦略(下)」 5~7頁

+++++++ 謝 辞 +++++++
SI事業に関する戦略ミッションの検討例については、下記の各氏のご協力を頂きました。ここに厚く御礼を申し上げます。ただし、記述内容に関する一切の文責は筆者にあります。
    浦田敏氏、小原由紀夫氏、深谷靖純氏、宮本文宏氏 (五十音順)
また、深谷靖純氏(PMAJ事務局)には、1年間の連載にあたり査読その他の様々なご支援を頂きましたことにも深く感謝いたします。
+++++++ お断り +++++++
本連載の前回(第9回)及び今回(第10回)の記事はP2Mによる戦略立案のプロセスの説明を目的とする例示であり、現実の産業分野についての分析や説明を意図するものではありません。また、文中の「東麻布システム㈱ビジネスシステム事業部」などの組織及び登場人物は全て創作であり、実在の企業や人物をモデルとしたものではありません。
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