PMシンポ便りコーナー
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PM シンポへの想い

(株)富士通パブリックソリューションズ 佐藤 園子 [プロフィール] :3月号

 この数年、「マインド○○」とか「メンタル○○」という言葉に惹かれる。会社で希望する研修も同じマネジメント向け研修でも「プロマネのための△△心理学」などのタイトルに惹かれて受講する。数年前のワタシだったらきっと考えられないし、精神論を振りかざすことにさえ眉をひそめたに違いない。
 きっかけは、他でもなく「うつ病」を患ったことにある。この経験は、それまでのワタシの価値観(考え方や言動の礎となるもの)を大きく変えてしまった。殆ど完治した現在でも、価値観に変化はないので、元来のワタシがそういった価値観を備えていた、のかもしれない。
 半年ほど前、「アドラー心理学」が話題になっているらしいので手に取ったのだが、あまり共感できなかったのか途中で止めていた。つい先日、また引っ張り出して読んでみて気付いたのだが、「受け入れる」という言葉に非常に共感した。
 ワタシの趣味の一つにYogaがある。始めてから10年近く経つが今でも多くの学びを与えてくれるので、趣味というよりライフワークになりつつある。その経典(教え)に、「他人を受け入れる」という言葉がある。
 Yogaというと、多くの人はスポーツと思うだろうが、実は全然違う。大部分は瞑想などの哲学であり、最後の最後に体を動かす内容が書かれている。瞑想をするために必要な身体を鍛えるらしい。ワタシが初めて北インドに滞在したとき、瞑想が一回70分程度、一日三回と聞いて悲鳴を上げそうになった。その時は一週間滞在したが、一度も70分間瞑想に集中できなかった。日本に戻ったらYogaの先生から30分でも辛いはずと言われたが、普通に納得できた。
 少し脱線したが、結局、ワタシは「アドラー心理学」を読み終わった。読み進むうちに、Yogaの経典と共通する考え方が幾つも出てきて面白くなったからである。
 哲学とは「諸科学の基礎づけを目ざす学問、生の哲学、実存主義など世界・人生の根本原理を追及する学問(広辞苑)」とある。「アドラー心理学」というが、もとは哲学であるし、Yogaの経典は紀元前のものだけど哲学の一つなのだから、同じような考えがあっても不思議ではない。それでも、長い時間が経った今でも、その考えは現代の人々に受け入れられ、常に新鮮さを失わない。しかも、そういった考えを学問として解いていたということに感嘆するし、ありがたいなと感謝する。人間は考える葦というけれど、哲学的に見れば、根底に少しも揺らぎはないのだろう。
 PMAJシンポジウム実行委員になって1年近く経つ(最近は活動できず申し訳ないです)が、ワタシの根底にあったのは何かに「貢献したい」という思い(願い)である。勤務先でもWGに参加していたが、対人関係や視点において物足りなさを感じていた。図らずも2016年開催に向けて準備中だったため、いろいろお手伝いさせて頂き幸福感(アドラー的に言えば)を得ることができたのである。
 ワタシはシステムエンジニアという立場上、新しい技術などにアンテナを高くしがちだが、「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る」とはうまく言うものだなとおもう。

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