PMプロの知恵コーナー
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サムライPM (030)
武道と士道の系譜 (その26)

シンクリエイト 岩下 幸功 [プロフィール] :11月号

2.武道としての武士道 (023)
⑤ 宮本武蔵 『五輪書』 (1645) (その 18)
⑤ -4. 風之巻 : (その 1)
 今号では、下記の項目について述べる。
01 : 風之巻前文・他流の道を知る  《兵法、他流の道を知る事》
02 : 他流批判・大きな太刀  《他流に大なる太刀をもつ事》
03 : 他流批判・強みの太刀  《他流におゐてつよミの太刀と云事》

01 : 風之巻前文・他流の道を知る  《兵法、他流の道を知る事》
   他の流派のことを書きとめ、風之巻として、この巻にあらわす。他流を知らずしては、我が流派の道を的確に知ることはできない。他流の兵法を調べてみると、大きな太刀をつかい、力がつよいことだけを取りえとして、技をなす流派がある。又は、小太刀といって、短い太刀をつかって、兵法に専念する流派もある。更に、太刀数を多く案出して、太刀のかまえを「表」だ「奥」だと称して、兵法を伝える流派もある。これらはすべて真実の道ではない。他の流派の人々は、兵法の道を生計《身すぎ》の手段として、見た目を飾り、派手にして、売りものに仕立てようとするものであるから、真実の道ではありえない。また、世の中の兵法は、剣術だけに限定して、太刀を振る訓練をし、身のこなしをおぼえ、技巧を上達させることによって、勝つ方法を見いだそうとしているが、いずれも正しい道ではない。我が流派の兵法は、それらとはまったく異なる。ここに他の流派の欠点を、一つひとつ挙げてこの書に書きあらわす。よくよく吟味して、我が二刀一流の特長《利》を学んでもらいたい。
【解説】
 風之巻の前文である。他の流派について書かれている。武蔵流兵法がいかに他と違うか、世間の兵法にどんなものがあるかを記している。一言でいえば他流批判である。また、兵法を剣術のみに小さく限定した、剣術中心主義への批判でもある。

02 : 他流批判・大きな太刀  《他流に大なる太刀をもつ事》
   大きな太刀を好む流派がある。我が兵法からみれば、これを弱い流派と見立てる。その理由は、どんなことをしてでも人に勝つという道理を知らないで、太刀の長さを有利として、敵の太刀の届かぬ所から、勝を得ようとする気持があるからである。兵法の道理がないのに、太刀の長さを利用して、遠く離れて勝とうとする。それは心が弱いゆえである。これを弱者の兵法と見立てる。敵との距離《敵相》が近く、互いに組み合うほどの時は、太刀が長いほど打つことができず、太刀が役に立つことは少なく、短い脇差や素手の人にさえ劣るものである。長い太刀を好む身としては、いろいろとその言い分はあるだろうが、それは、ひとりよがりの屁理屈にすぎない。世の中の正しい道から見れば、道理のないことである。場所によっては、上下左右などに余裕がない所、あるいは脇ざししかない場合においても、長い太刀を好む気持ちがあれば、兵法に対する不信感があるからである。人によっては力が弱く、長い刀を使えぬものもある。昔から「大は小を兼ねる《大ハ小をかなゆる》」と云うから、太刀の長いのをむやみに嫌うものではない。ただ長い方がよいと執着する心を嫌うのである。多人数の戦い《大分の兵法》の場合、長い太刀とは多人数に相当し、短い太刀は少人数にあたる。小人数で多人数と戦うことはできないであろうか。小人数で大人数に勝った例は多い。小人数で勝つことこそ、兵法のすぐれた効用《徳》である。我が流派においては、そのように偏った狭い心を嫌うのである。よくよく吟味あるべし。
【解説】
 自身は安全な場所にいて勝ちたい。これは勇気のない証拠である。一寸(3cm)でも長い方が有利なら、短い太刀では、必ず負けるということになる。それは兵法を知らぬ者の行いである。兵法よってではなく、太刀の長さの有利をもって、「遠く勝とう」とする。太刀の長さを好む気持には、兵法に対する懐疑・不信・惑(まど)いがある。自分の兵法を確信していない。確信なくして勝てるわけがない。太刀の長いのをむやみに嫌うのではない。長い方がよいと偏る心を嫌うのだ。大分の兵法〔合戦〕の場合、長い太刀とは大人数、短い太刀は少人数のことである。少人数で勝つことこそ、兵法の徳、効能、すぐれた働きである。

03 : 他流批判・強みの太刀  《他流におゐてつよミの太刀と云事》
   他流に強みの太刀というものがある。太刀に「強い太刀」「弱い太刀」ということはない。強い心で振る太刀は、粗雑なものである。粗雑な太刀だけでは勝つことはできない《あらき斗にてハ勝がたし》。人を切るとき、無理に強く切ろうとすれば、かえって斬れないものである。試し斬りの場合にも、あまり強く切ろうとするのはよくない。敵と切り合う場合に、弱く切ろうとか、強く切ろうとか考えるものではない。どうしたら敵を殺せるかと思うだけである。強い太刀で、相手の太刀を強く打てば、勢い余って体制が崩れ、必ずしもよくない。相手の太刀に強く当れば、自分の太刀も折れ砕けることもある。多人数の戦いでも、強力な軍勢を持ち、強引に勝を得ようとすれば、敵も強力な兵をそろえ、はげしい戦いになる。どんな場合でも、正しい道理なくしては勝つことはできない《道理なくしてハ勝事あたはず》。我が兵法の道においては、無理なことは少しも思わず、兵法の智力によって、勝つところを得るのである。よくよく工夫あるべし。
【解説】
 「強みの太刀」とは、前条の「大なる太刀」と連続する教えである。強い心からする強引な戦いぶりについて、自身の強力を恃んだ強い戦法はよくない。「荒い」だけのことである。大太刀を持ちたがるのが「弱い兵法」だとすれば、強い兵法である、これは「荒い兵法」である。荒いだけの戦法では勝てない。大分の兵法〔合戦〕にしても、こちらが強く当ろうとすると、敵も強く出る。こちらが強くなれば敵も強くなる。そうして強さの競り合いは終わりがない。勝つということは、強いから勝つのではない。道理なくしては勝つことはできない。道理とは、物理法則に適った合理性のことである。この徹底した合理主義こそ、武蔵的なものである。不条理な美学へ傾斜する後世の武士道とは違う。

【余話】  『論語』 (BC.6~5c) と武士道
 武士道の精神的支柱は、仏教・神道・儒教の混在したものといわれる。儒教は、孔子を始祖とする思想体系であり、経典に「四書五経」がある。四書とは「大学」「中庸」「論語」「孟子」であり、五経とは「易経」「詩経」「書経」「春秋」「礼記」を言う。中でも孔子が説いた「論語」は、道徳的秩序を保つに「仁(優しさ)」 を説いた。「義」「勇」「仁」「礼」「誠」そして「名誉」と「忠義」の武士道精神には「論語」がある。  紀元前六世紀から五世紀にかけて孔子の言葉を集めた「論語」が、大陸から朝鮮半島を経て日本に伝へられたのは、応神天皇の頃(2世紀)とされる。飛鳥・奈良・平安時代では、中国を模範とした儒教的国家体制「律令国家」を作り上げようと、天皇をはじめ貴族の間に「論語」の思想が広がった。聖徳太子の十七条の憲法(604年)「和をもって貴しとなす」(第一条)は、有子の「礼はこれ和を用いるを貴しと為す」(「論語」学而編)に因るとされる。また、大宝律令(701年)、養老律令(757年)では、「論語」を修めねばならぬと規定されていた。鎌倉からさらに戦乱の南北朝・室町時代を経て、写本から刊本の出現により、「論語集解」(1364年)が刊行された。最初の木版印刷が「論語」であったということは、「論語」が人々からいかに強く求められていたかを示している。戦国時代の武将、大内義隆や武田信玄の家訓には、「論語」をはじめ儒教の典籍が多く引用されている。徳川時代における「論語」普及の原動力となったのは家康である。遺訓の「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし、急ぐべからず」というのは、曽子の「士は以って弘毅ならざるべからず、任重くして道遠し。仁以って己が任となす、亦おもからずや。死して後已む、亦遠からずや」(「論語」秦伯編)に基づいているといわれる。孔子は「仁」を最高の徳として、「君子」と言われる人間像を目標とした。「仁」とは、「他人に対する親愛の情、優しさ」を意味している。「君子」とは、「詩経」「書経」など古典を熟知し、礼儀作法を心得た上級の貴族である。この時代の貴族は、戦時には甲冑に身を固め、馬車に乗って、敵と戦って国家を防衛する武士でもあった。孔子の弟子の曽子は、武士の一面を持つ君子を、新興の武士階級を指す「士」とした。曽子の学説がのちの儒教の正統になったので、儒教の中心には古代中国の武士道徳が強く流れている。家康が「論語」を奨励したのは、儒教道徳の中に「君子」や「士」を理想の人間像とする武士的道徳が内在し、これが徳川幕府の武士道に相応しいと見抜いたからである。徳川時代には、「論語」「大学」「中庸」「孟子」の「四書集註」(朱子)が日本のあらゆる階層に広く読まれた。「論語読みの論語知らず」という諺があった。いかに「論語」の存在が一般人に身近だったかを示す言葉である。このようにして、徳川時代を通じて「論語」は消化され、日本人の血となり肉となった。長い間日本人の心の中に生きてきた「論語」は、現代の日本人の心の故郷でもある。

『論語』 の教え
「和して同ぜず 」
付和雷同はするな、真実をもって和合せよ。
「君子は和すれども同ぜず。小人は同ずれども和せず」
人と協調していくが、決してむやみに同調しない。
人とのなごやかな人間関係には心掛けるが、無責任に賛成したりしない。
「道に志す 」
志を立て、道を修める事を目標にして励め。
「朝に道を聞けば、夕べに死すとも可なり 」
人生の意味を知り、いかに長生きしても酔生夢死と悟れ。
「義を見て為さざるは、勇なきなり 」
人間として正しい道だと知りながら、利益の為・保身の為に、敢えてしないのは勇気が無い者なり。
「過ちて改めざる これを過ちという」
誰でも過ちを犯すが、それに気づきながらも、改めようとしないことこそ、本当の過ちである。
「知らざるを知らずとなす これ知るなり」
知らないことを知らないと自覚する、それが本当の知るということ。
「巧言令色鮮し仁(こうげんれいしょくすくなしじん)」
言葉巧みに、表情を取り繕っているものに、誠実な人間はほとんどいない。
「良薬は口に苦くして病に利あり 忠言は耳に逆らいて行いに利あり」
良薬は、苦くて飲みにくいが病気には効く。よい忠告は、聞くのはつらいが、自分のためになるということ。
「その身正しければ、令せずして行わる」
行いが立派な者には、誰もが思わず従ってしまうものだ。逆に、行いの出来ていないものが、どんなに立派なことを言おうとも、誰も従いはしない。
「人の己を知らざるを患えず、人を知らざるを患うるなり」
人が自分の事を理解してくれないと気にするのではなく、自分が人を理解していない事を気にするべきだ。
「先ずその言を行い、しかる後にこれに従う」
まず自分でやってみせる。そして、初めて人は、従おうとする。
「吾れ十有五にして学に志す 三十にして立つ。四十にして惑わず
 五十にして天命を知る 六十にして耳順(みみした)がう
 七十にして心の欲するところに従って、矩(のり)を踰(こ)えず」
私は十五歳で学問を志した。そして三十歳で一本立ちした。四十歳であれこれと迷うことがなくなり、五十歳になると天が命じたこの世での役割と自らの限界を知った。
そして六十歳になったときには、人の言葉を素直に聞けるようになった。七十歳になると、自分の思い通りにふるまっても、道に外れることはなくなった。

(参考文献)
「五輪書」 宮本武蔵 (著)、鎌田茂雄 (訳)、講談社学術文庫、2006年
(参照サイト)
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