PMシンポ便りコーナー
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「プロマネに求められるリスク対応能力と事故との関係性」

富士通株式会社 丹野 隆志 [プロフィール] :9月号

 当社は、スパコンからパーソナルコンピュータに至る情報機器製造から情報処理システム、そして通信システムといった広範な業種に対応しておりますが、数年前まで、私は、当社が請け負う通信システム工事の現場責任者を務めていました。他社での経験を含めて、プロマネ経験年数は20年近くになります。
 私が、当社に入社して、真っ先に配置されたのが、東京湾横断道路通信設備工事(現アクアライン)でした。当社での人身事故は幸いにも0件でしたが、このプロジェクト全体での死者は10名と言われています。今は亡き三船敏郎、石原裕次郎主演で有名な映画『黒部の太陽』の舞台となった黒部第4ダム工事では、171名の死者が出たのと比較すれば、総工費が約1兆4409億円といわれるこの大プロジェクトでの死者は大幅に少なくなり、半世紀の間に、安全管理における大幅な進展が図られているといえます。勿論、この死者10名という数字も、本来は決してあってはならないものでしたが・・・。

 私が、現場責任者だった時代は、未だPM手法を活かしたプロジェクトマネジメントは一般的ではなく、特に建築・土木工事からすれば比較的小規模な通信工事の世界において、現場責任者に求められる資質は、『勘+経験+度胸』、俗に『KKD』と呼ばれるもので、極めて属人的な世界、かつ今では死語と化した厳しい『徒弟制度』の世界でもあり、有能な現場代理人のマネジメント技法を、見て盗み取るものだとされていた時代でした。

 その後、私が現場の最前線に立つ責任者となったとき、工事現場という特質から、常に人身事故のリスクと向き合う必要性があり、現場作業員との日常的なコミュニケーションの確立が事故の防止につながるPMとしての役務であるという信念を持ち続け、マネジメントに当たってきた結果、私の担当する現場は、ただの一度も人身事故がなく、工期についても納期遵守で竣工を迎えることが出来ました。

 さて、21世紀に入り、通信システム工事は元より、世の中の建設業界は一気に落ち込み始め、私を含めて、多くの仲間がこの業界を去りました。その後、PM資格取得者が急増して、PMBOK等のプロジェクトマネジメント手法を用いたプロジェクト運営が一般的になり、現在に至っています。KKDによるマネジメントの弊害については、確かにあったことを否定はしませんが、では、このKKDは本当に、無用の長物と化してしまったのでしょうか・・・?
 様々な経緯を経て、現在、私はセキュリティ事務局という立場で、複数部門のセキュリティ推進、月度のセキュリティテスト(e-learning)の企画・作成・配信といった教育の実践を通して、組織内におけるセキュリティ事故O件を目指しています。
 個人情報、顧客機密情報など、情報管理をベースとするセキュリティ推進活動の実践によって、情報漏えい事件に代表されるセキュリティ事故を未然に防止するべく、注力しているのですが、残念ながら、事故が急速に減る気配はみられず、一定の数字をキープしているのが現実です。このセキュリティ事故は、その原因の多くが人災によるものだといえます。先日、マスコミで報道されたベネッセにおける情報漏洩は、最大2070万件といわれる個人情報流出事件としては、国内で過去最大級の事件になりました。この事件の犯人は、その後、警察の捜査により、ベネッセで働いていた派遣社員のベテランSEだということが判明しましたが、このSEには、システムの不具合確認のため、顧客情報を全件ダウンロードすることを可能とする管理者権限が付与されていたといいます。では、この会社では、組織的なセキュリティ対策が甘かったのかというと決してそうでもありませんでした。しかし、世間では、派遣社員による情報漏えい事件による被害者の一員として、この会社に同情しないことだけは確実です。このSEは、その後の調査で、多額の借金を抱えており、4人家族の家庭は、水道代すら支払えないほど生活に困窮していたことが解ったのでした。

 セキュリティ推進について、話題を戻しますが、当社に限らず、世の中全般を対象として特徴的に感じていることは、組織側の対応は、システマティックに体制を整え、問題発覚時には、一定の懲罰を当事者に与える等の恐怖心をあおることで、抑止効果を期待しています。そして組織に属する多くの方は、セキュリティ規程をしっかり熟知することを心がけることで、事故とは切り離された安堵感が得られるものと信じようとしています。
しかし、事故は、それでもある日突然私たちの前に訪れます・・。
先日、私は、セキュリティテスト(e-learning)で、以下の問題を出題しました。
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ビジネス推進部門に異動となったAさんは、上司のB部長と折り合いが悪く、長期に渡って、仕事を一切与えられないという嫌がらせを受け続けていました。人事部門に相談しても、事態は何も変わりませんでした。Aさんは、会社に出社しても仕事はありませんでしたが、将来に向けた資格試験対策の勉学に努めたり、読書に多くの時間を費やす日々を送り続けたりすることで、彼の知見は飛躍的に向上し続けていました。
さて、ある日、このAさん宛てに、1通のメールが飛び込んできました。そして、このメールには、次のような内容が記載されていました。
『こんにちは。 責任感が高く、誠実な人材であると人材紹介会社から、貴方の連絡先を教えて頂きました。当社は国際企業にて人事スペシャリストを務めております。日本の各地域で弊社の代表として活躍できる日本人人材を現在探しております。 ジョブオファーはいくつかありますが、企業代表者向けの、最も将来性が高く、高報酬な仕事です。月収は2,500,000円からとなっており、即勤務が可能となっております。 現在トライアル期間を設けております。当社が多額を任せても安心できる、誠実な人材を探しております。
当求人情報にご興味をお持ちいただけた場合は、お早めにご連絡いただけますようよろしくお願いいたします。』
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 上記のメール本文は、実際に世の中に出回っている原文です。このAさんが、受領したメールを同僚に見せて相談した際、どのような言葉が返ってくるのかを推測させる問題で、解答としては、マネーミュールと呼ばれる不正送金犯罪者集団の共犯を人材募集という形で勧誘している現実リスクを訴求し、理解頂くのが主旨でした。しかしながら、出題の真意は、実はマネーミュールの勧誘リスクではなく、前半の組織内で浮いた社員に対しての組織マネジメントのまずさからもたらされるリスクの訴求と警鐘を促すことでした。
Aさんが、不正行為に関わったとしても上記の状況の場合、事件が発覚するまでおそらく社内の誰も気づかないでしょう。先のベネッセ事件におけるSEの件も同じ状況だったと思います。もし、ここで、プロマネの立場の方が、コミュニケーション能力を主体とするマネジメントスキルを日常的に活用しつつ、メンバーとの信頼関係を円滑に構築出来ていたならば、事故の抑止につながっていた可能性が高かったと思っています。チーム内におけるメンバーとのラポールの醸成がきちんと出来ていたならば、多くのトラブルや事故を未然に防止できるはずです。そういう意味では、プロマネのマネージング力と事故との関係性は深いといえます。またメンバーの日常の異変に気づくのに、先にあげたKKDが効力を発揮します。メンバーが人間である以上、プロマネとのリレーションシップが重要なのはいうまでもありませんが、プロマネが、メンバーとの信頼関係を強化する為には、高い業務スキルと資格取得以外に、一定のKKDを持ち合わせておく必要があると、私は考えています。プロマネにとって、PM技法は有効な『手法』であり、かつ『ツール』となりますが、プロマネ自身が人と人をつなぐ『こころの架け橋』になるという本質を見失ってはいけないと、最近の事件を通した教訓として、改めて自身の肝に銘じています。
表題の『プロマネに求められるリスク対応能力と事故との関係性』は、前述の通り、プロマネのリスク対応能力が、最終的に事故の発生を未然に防ぐ可能性を大きく広げてくれることを伝えようとしたものです。

 最後に、私は、様々なジャンルにおける『こころの架け橋』になれる高い技量を持った多くのプロマネと接することができるPMシンポジウムの会場運営スタッフとして参加できることに、大きな喜びと期待を持っていると同時に、強い気概を感じています。
このPMシンポジウムでの学びや人脈形成を通して、一人でも多くの技量の高いプロマネが誕生され、社会で貢献されることを心から願ってやみません。

以上

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