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安全神話
安全神話は「原子力ムラ」の対局に位置する原発推進反対派を抑え込む道具として、原発災害を敢えてタブー視させるべく、意図的に「安全神話」を捏造し、育ててきたといわれています。一部識者の提言や意見具申、懸念は「安全神話」の御旗のもとにことごとく退けられ、挙句にはその一部識者は地位や職場を脅かされる事態にもなりました。それに加えて現場での緊急事態に備えての訓練も疎かにされてきたのです。 |
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現場主義が失われつつある日本社会
詭弁を使った言い逃れ、ご都合主義、責任回避、自己保身、リスクをとらない人間が偉くなる社会、こうした軽薄な社会は、現場主義が失われつつある日本の社会が招いた結果です。また、権威に弱く、これを疑問視しない、積極的に権威に同調する頂点同調主義の日本人社会では、権威による「安全神話」や全電源喪失に関する指針などが、なんら疑念なしにまかり通っています。そのため真実を究明することを困難にしています。問題の本質は、現場主義でなければ把握が難しいのです。また、現場主義では問題の先送りは許されません。原発の人材育成については、日本も原発先進国アメリカ、フランス、カナダの徹底した現場主義と訓練を重視した国家レベルでの取り組みに学ばねばなりません。 |
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原子力ムラのタコツボ集団
原子力ムラは原子炉工学の学者を中心に、電力関係者や官僚の原発推進派で構成され、彼らの利権の巣窟となっていました。現場を熟知する技術者や原発のプラントシステム全体を俯瞰できる技術者は退けられ皆無でした。原発では、わが国の高度な技術力や多くの専門分野の知見、さまざまな指摘、懸念、意見具申は、あろうことに「安全神話」や原子力ムラの閉鎖性、排他性、東電の傲慢さにより意図的に退けられ、これらを生かすことが出来なかったのです。事故発生時にテレビで原子炉の安全性について解説した原子炉工学の学者は、「たとえ原子炉が損傷しても原子炉は格納容器の中にしまわれており、安全は二重に確保されているので心配はない」と解説していました。全電源を失い機能不全に陥っている原発がどうして安全と言えるのでしょうか。これは、彼らのプラントについての無知と安全に対する不見識さを物語っています。 |
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企業の社会的責任(CSR)の欠如
大企業病と官僚病の自閉的共同体は、問題の発覚を徹底的に隠蔽し、現場の実態を開示しない。福島原発事故現場では、東電は事故当初から厳しい箝口令を敷き現場の実態が外部へ漏れることを禁じています。現場の状況をオープンにし、関係者の間で自由に話し合うことができなければ、真の事故原因は究明されないし、事故の教訓を学ぶことはできません。何でも先ずは隠そうとし、批判を恐れて口をつむぐ風土では原発を安全に動かすことは不可能だといえるでしょう。また不思議なことに原発について技術的な知見を持つメーカーの技術者は沈黙を守り、事故の原因や原発の危機管理について一切触れようとません。個々の技術者は技術に明るい信頼できる人たちですが、それが組織の中に入ると、組織の掟から抜け出すことができないのです。この点は企業が情報の開示を拒む深刻な問題の表れといえます。 |
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無責任体質とご都合主義が蔓延する日本社会
意図的に事故の原因は、想定外の自然災害によるものとして責任の追求は不問にされました。検察は東日本大震災と同規模の地震や津波は、専門家の間で「全く想定されなかった」と指摘しています。東電の津波対策は不十分ではないと結論付け、2013年9月9日、その刑事責任を「誰にも問えない」と判断し、被災者や市民団体より告訴・告発された東電幹部や政府関係者42人全員を不起訴処分としました。 |
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省庁縦割り行政と人事慣行の弊害
本来原子力監督官庁は所轄省庁から完全に分離し、国の独立機関とする必要があります。新しく発足した原子力安全規制委員会、原子力規制庁は、旧原子力安全・保安院が経産省から環境省へと所管の看板と名称を変えたたけで中味は旧態依然のままです。さらに深刻な問題は一向に改善されない省庁縦割り行政の弊害です。原子力規制委員会と原子力規制庁が発足した際、原発に特定されない安全規制の権限、たとえば原発を除く発電所や送電施設については、すべて経産省の管轄に残されています。その結果、今回の事故の直接の原因となった送電施設の安全性については、原子力規制委員会が規制基準を見直す対象とならなかったのです。さらに前述のように官僚組織特有の年次昇進システムと2~3年の定期人事異動によるリスク回避システムと専門家が育ちに難い弊害も改善はされていません。 |