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「エンタテイメント論」(67)

川勝 良昭 Yoshiaki Kawakatsu [プロフィール] 
  Email : こちら :10月号

エンタテイメント論


第2部 エンタテイメント論の本質

5 喜怒哀楽
●エンタテイメントPM
 日本プロジェクト・マネジメント協会(PMAJ)は、その機関誌「PMAJジャーナル」の特集47号(2013)に「エンタテイメントPM」を取り上げた。

 本協会(PMAJ)、日本エンジニアリング協会、その前身の協会などに於けるプロジェクト・マネジメント活動の過去の長い歴史で「エンタテイメント」が初めて正式に取り上げられたのは、筆者が「エンタテイメント論」の連載を要請された時からである。更に今回、「エンタテイメントPM」という概念が導入され、筆者はその論文の投稿を最初に要請された。共に大変名誉な事と感じ入っている。それ以上に「エンタテイメント」への関心が示され、その概念が導入された事は、画期的な事である。


 この「エンタテイメント」に注目し、「エンタテイメント論」の連続寄稿を最初に企画した人物は、渡辺貢成・前編集長である。またこの概念の導入と論文掲載を企画した人物は、岩下幸功・現編集長である。改めて両氏に深い敬意と感謝の念を表したい。

 筆者は、エンタテイメント分野の仕事に長年従事してきた。今も従事している。その過程で「エンタテイメント」が持つ多様な機能を活かす事は、如何に重要且つ必要な事であるか、骨身に染みて認識している。ついては是非、先月号のエンタテイメントの総括論文を読んで、日々の業務や生活の参考にして欲しい。

●エンタテイメントとは
 改めて「エンタテイメントとは何か?」読者に問いたい。是非、その答えを各自考えて欲しい。

 筆者の現時点での定義を簡単に述べれば、「遊び」を核として、相互に理解(左脳の理性機能発揮)し合い、感じ(右脳の感性機能発揮)合い、何度も反復するコミュニケーション活動を云う。それは、「誰かが、誰かをエンタテインする」と云う、片方向の概念でなく、一般的な定義よりも広い、双方向の概念を持つ。

出典:遊び仲間の繋がり freepicturesweb.com/pictures
出典:遊び仲間の繋がり freepicturesweb.com/pictures

 筆者は、その本質と活用範囲を求めて、エンタテイメントを研究中である。従って今後、その研究結果に依って様々な事がこの定義に加わり、近い将来、自然にその定義が固まると期待している。ついては、その本質、活用範囲、定義に関して是非、読者の意見を聞きたい。

●「頭脳日本一」、「お笑い日本一」と云うTV番組
 最近、日本テレビは、「頭脳日本一」、「お笑い日本一」を決めるTV番組を放映した。その大阪大会、東京大会を経て今年11月に優勝者を決める予定である。多くの人がそれに応募し、話題を集めている。

出典:左:頭脳日本一、右:お笑い日本一 日本テレビ番組
出典:左:頭脳日本一、右:お笑い日本一 日本テレビ番組

 この番組を見た読者は大勢いるだろう。実は、これは、エンタテイメントの定義の中の「理性」と「感性」に深く関わり、ある意味で象徴的番組である。以下でその事を簡単に述べる。

 前者の「頭脳日本一」とは、回答者に数学の超難問を与え、短時間で解かせて勝敗を競う番組である。また回答者に、メモ厳禁のルールで、全く無関係な多くの質問を一挙に与え、質問が終る瞬間から答えを紙に書かせる等をする。回答の正否とスピードを競う競技である。

 後者の「お笑い日本一」とは、漫才、漫談等の「お笑い芸」を舞台で3分以内に披露させて、その面白さを競わせる番組である。

 筆者は、両番組を見終った時、以下の様な感想を持った。
前者が「左脳的思考力」に、後者が「右脳的思考力」に強い人物が勝つ様に仕組まれた番組である。そのため前者は真の「頭脳競技」でなく、後者は真の「お笑い競技」でなくなっている。
前者では、「正解のある問題」が与えられ、後者では「正解のない問題」を与えられている。
前者の回答者は、驚異的頭脳を発揮し、聴衆は驚く。しかしその回答内容は、本や参考資料の参照、科学式の応用、WEB情報、コンピュータ等の活用によって通常人も回答できるもの。である。しかし後者の回答者は、その様なものを活用しても、いい加減な「お笑い」は別として、「涙を流して笑える本物のお笑い」を生み出す事は至難の技で、通常人には殆ど不可能である。言い換えれば、高い創造性と実用性が求められるからである。
前者では、「正解」の存在によって勝敗が明確に決まるため敗者は、その結果に不満を持たない。後者では、面白さを評価する審査員の主観的判断で勝敗が決まるため勝敗にバラつきが起こり、敗者は、その結果に不満を持つ。

  出典:何事も頭脳が勝負 fontanalib.wordpress.com 出典:何事も頭脳が勝負
fontanalib.wordpress.com

●誰が「真の頭脳日本一」か?
 もしこの番組の編集者が「真の頭脳競技」を望むならば、左脳だけでなく、右脳も同時、同質にその機能を発揮させる競技を考案することである。と同時に可能な限り客観的に評価できる基準を設定して競技選抜を実施することである。

 人間の頭脳は、両脳の機能で成り立っている。左脳能力だけ優れた人物では真の頭脳者になれない。この様に主張すれば、多くの読者は賛同するだろうか? この点に関しては、次号で再度議論する。

 音楽、絵画などの学校は別として、通常の高校、大学、大学院は、その入学選抜を左脳機能ばかりで評価している。記憶力、知識力、左脳機能などに優れた人物ばかりを育成している日本の学校制度に大いなる疑問を持つ。右脳機能を重視し、両機能を共に発揮できる人物の育成が待たれる。もっとも音楽系、絵画系の学校は、両脳の機能をバランスさせているとは思えない。

 左脳機能は、コンピュータのパワーで殆どカバーできる。小学校から大学院までで学んだ全ての情報は、米粒より遥かに小さなチップの中にすべて収納されるのである。しかしそのコンピュータも、両脳に優れた人物、両脳を駆使し、高度の創造力を発揮する人物には全く勝てない。しかしその様な創造力に優れた人物さえも、高い志を持ち、「夢」の実現と成功に「汗と涙と血」を流す人物には到底勝てないのである。

●誰が「お笑い日本一」か?
 もしこの番組の編集者が「真のお笑い競技」を望むならば、右脳だけでなく、左脳も同時、同質にその機能を発揮させる競技を考案することである。と同時に可能な限り客観的に評価できる基準を設定して競技選抜を実施することである。

 今回のお笑い競技で選別された漫才、漫談の優勝候補者達の顔ぶれを見ると、残念ながら、従来型のパターンの漫才や漫談の域を超えた人物が選抜されていない。新鮮な切り口でユニークなパターンの面白いと筆者が思った漫才カップルはいずれも落選していた。その原因は明らかである。

 先ず上記の様な評価基準が存在しないこと、現状維持型、従来型の審査員によって評価されたためであろう。この様な考え方ややり方では真のお笑い日本一など生まれるはずはない。更に次世代を担う様なエンタテイナーも生まれないだろう。

●淡谷のり子の採点姿勢
 昔、「モノマネ日本一」というアマチャーもプロも参加したTV番組があった。10人ほどの審査員は、舞台の脇に着席し、物真似演技を視聴して、彼らの得点を合計して評価した。各審査員は、1点から10点までそれぞれ書かれた小さなプラカードを聴衆に見せて、自らの評価を示した。

 その審査員の一人がブルースの女王と言われた「淡谷のり子」であった。彼女以外の審査員達は、お互いに迎合し、プロ演技者に遠慮し、聴衆に媚びて、毎回、8点、9点を出し、観衆の拍手が多いと10点を出していた。しかし彼女は、一切の迎合、遠慮、媚を排除し、自らの判断で3点、5点、7点を出した。しかも物真似演技者に「もっとまじめにやりなさい!」と厳しい苦言を呈した。しかも10点などめったに与えなかった。

 彼女の評価は、厳し過ぎると多くの批判が寄せられた。しかしその様な批判に一切動じることなく、自らの判断を貫いた。その結果、彼女の評価姿勢が徐々に観衆に受け入れられ、その評価が注目される様になった。この事が当該番組の「質」まで向上させた。

 にもかかわらず、他の審査員は、彼女の評価姿勢を学ぶ事なく、依然として迎合、遠慮、媚を続けた。この一事でTV業界、芸能界、音楽業界等に於ける体制派や既得権益集団の連中が審査員達に無言の圧力を掛けている事が分かった。しかしその圧力が自らの首を絞める事に全く気付いていなかった。

 日本の構造的危機は、これらの業界にも及んでいる。彼等は、世界に誇れる日本の「エンタテイメント」として、いつまでも歌舞伎や伝統芸能等に頼ってきた。世界の人々を感動させ、楽しませる「現代型・日本型のエンタテイメント」を構築せねばならない。しかし出来るだろうか?

 淡谷のり子は、ある時、遂に「某プロ」に10点の評価を与えた。与えられた彼は、彼女の前に本気でひざまずき、感謝の言葉を捧げた。彼は、彼女から10点の評価を得るために、密かにモノマエの方法を創意工夫し、その技を磨いたと聞く。

 彼女の感性と理性の両面からの厳しい評価姿勢をこの業界人や指導者達は全く学ばなかった。しかも現在も殆ど学んでいない。その証拠に「お笑い日本一」の番組を見れば一目瞭然である。

  出典:淡谷のり子 (1907~1999) Japan Wikipedia 出典:淡谷のり子
  (1907~1999)
  Japan Wikipedia


●日本のTV界の若者達
 最近の日本のTV番組での各種の競技は、実にいい加減で、糞まじめに実施されているのは殆どないと言われている。ならば筆者が何故、そんな番組に関して真面目に「エンタテイメント論」を基に議論するのか? ナンセンスではないか? と読者に逆に批判されそうだ。しかし敢えてそうしたのには理由がある。それは以下の通りである。

 日本のTV放送局、番組制作者、その他の関係者は、考え方も、好みも、大きく異なり、多様化し、細分化された視聴者に対して、彼らが制作するTV番組に如何に関心や興味を持たせるか? 如何に楽しませるか? 如何に面白しいと思わせ、腹の底から笑わせるか? について深刻に悩んでいる。その事を知って番組企画や番組制作にこの「エンタテイメント論」がヒントになればと考えた。

 TV業界の若いプロデューサー、ディレクター、番組制作関係者は、現状のTV番組の在り方や内容に満足せず、新しい番組の制作に挑戦している様である。この「エンタテイメント論」が役立てば幸いである。

 彼等の挑戦姿勢を筆者の最近の下記の経験からも確認している。TV業界の指導者達よ、若い人達の中から本モノの人物を選抜し、本気と本音で彼等に活躍の場を与えることだ。それが現在の悩みを解消し、構造的危機からの脱出に繋がる。

 日本テレビ局の朝のニュース「ZIP番組」の関係者は、「テーマパークの専門家」を探すため本協会(PMAJ)に問い合わせてきた。その結果、吉野恵一事務局長は、同関係者に筆者の事を紹介する一方、その出演の可否を筆者に相談した。

 筆者は同局長の相談を引き受け、同関係者に連絡し、テーマパークに関する約1時間半の収録インタビューに応じた。そのインタビューを通じて、若いプロデューサー、その助手、カメラマン達のTV番組の制作への真摯で熱心で意欲を持った姿勢を知った。

出典:筆者の日本テレビ ZIP出演 2013年7月10日
出典:筆者の日本テレビ ZIP出演 2013年7月10日

 ちなみに筆者の「テーマパーク論」は、本稿で既に紹介している(参照:バックナンバー)。最近、不思議な事に、何故か、幾つかに大学や企業から「テーマパーク」に関する講演や相談をよく受ける様になった。

 筆者が不思議に思うのは、日本では「テーマパークは儲からない」、「テーマパーク事業はダメ」という通説が定着しているからである。この通説は、根本的に間違っている。ニセモのテーマパークで議論しているからだ。本物のテーマパークは儲かる、ダメな事業ではない。

つづく

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