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「ダイバーシティ時代のプロジェクトマネジメント」
~学んだことをゼロリセットする力~

井上 多恵子 [プロフィール] :9月号

 「井上さんの常識は、ここインドでは、通用しないよ」出張先で、先日赴任者の方に言われた。「え~!そんなはずはない、、、」声には出さなかったものの、心外だった。「異文化コミュニケーション」を指導する立場にあり、これまで幾度となく、「文化相対主義」(世の中にさまざまな文化があり、そのいずれにも優劣を与えず、いろいろあるので良しとする考え)のメリットを唱えてきた私。様々な国の生活を見聞きし、世界中に知り合いもいて、「グローバルな人材」と、自らのことを自負してきた。そんな私が、「色メガネで他国を見ているなんて、ありえない!」
 だが、冷静になって考えてみると、彼が言っていたことは正しかった。バックッカーとして、ヨーロッパを二等車で移動しながら、ユースを泊まり歩いていた学生時代から比べると、私自身の感覚は大きく変わってしまった。年を取るにつれ生活のレベルが上がり、贅沢になり、いつの間にか、許容範囲が狭くなってきている。狭い中古アパートに住んでいた頃は、海外出張をしてホテルに泊まると、その広さと綺麗さに感動していたものだった。今は、その嬉しさを味わえなくなっている。
 こうして形成された、私の常識。インドで通用しないものは確かに多い。車線が整然と引かれた車道で、大半の人が交通ルールを守って運転している日本。街は衛生的で、道を歩く人は、概ね綺麗な格好をしている。そんな感覚でインドに行くと、びっくりする。空港から街まで行く道。少し行くと、がたがた道になる。日本からの長時間のフライトを経て、日本時間で真夜中過ぎに、冷房ががんがんに冷え切った車で、がんがんと鳴り響くインド音楽を聴きながら2時間近く乗ると、頭もがんがんしてくる。翌朝、人々の出勤時間帯になると、街の喧騒にまたまた驚かされる。車道には車線というものはなく、あちこちでクラクションが鳴り響く中、大量の車、人、オートリキシャと呼ばれる三輪車等が行きかっている。運転免許は簡単にもらえるらしく、交通ルールを知らない人も運転している中で、秩序だった中での運転しか経験していない日本人赴任者は、危険すぎて、インドでは運転はできない。道を歩く人の身なりもさまざまで、歩道にはごみの他、時々牛を見かける。
 “Many India!” インドで三週間過ごした知人は、インドの印象を聞かれた際、こう答えていた。多様性、それがまさしくインドの特徴だ。概ねある一定以上の生活レベルを保っている日本と違い、貧富の差が激しい。IT産業に代表されるように、日本人を凌ぐ優秀な人達がいる一方、日々の生活にも困るような人がたくさんいる。教育が貧困から抜け出すための手段になっているため、子供になんとか教育を受けさせようと、必死にやりくりする貧しい人達がいる。教育に対するハングリー精神は、一般的な日本人の比ではない程強い。職場でも、頭脳明晰な人と、お茶だけを出すことやドアを開けるだけが仕事の人、超具体的に指示をされないと動かない人が混在している。ローカル言語も数多くあり、出身地が違う夫婦の会話は、英語で行われたりしている。インド人の同僚によると、インドでは交通事情も悪いので、予定をたててもなかなかその通りにはいかない。だから、突然の変更を当り前のもののとして受け入れる。確かに今回の滞在中も、交通渋滞により、待ち合わせに彼女は遅れてきた。いちいち「なんで遅れるんだ!」と腹を立てていては、とうていやっていけない。
 Unlearningという言葉がある。今までに学んできたことを一端リセットする、という考えだ。いろいろな知識や経験を積み重ねてきた結果、固定概念に縛られがちな大人に、特に必要とされる。私も含めて、ダイバーシティ時代に、プロジェクトマネジャーとして活躍したい人には、このスキルは特に有効だ。自分の常識は、異なるバックグラウンドを持っている人からすると、非常識かもしれない。自分の考え方は偏っているかもしれない。そういう認識を持って、謙虚な気持ちで他の文化に接することができると、余計な摩擦を経験しなくてもいい。しかし、これは、常に意識をしないとなかなか実現できない。また、他の多くのことと同様、頭で理解するのと、無意識の行動レベルにまで移すのとの間には、大きな差がある。実際、冒頭に書いた通り、日頃からその大事さを唱えている私自身、まだまだそれが身についていない。
 そのためにも、時々は、他国に行ってじっくりと観察をしたり、自分と異なるバックグラウンドを持っている人と接したりする機会を積極的に持つようにすることで、自分が世の中を見る際にかけている色メガネの存在に気づくようにしたい。今回で3回目となったインド訪問を通じて、教育に関するUnlearning―教育の大事さとそれを普通に受けられる有難味を認識―できたことは、人材育成に取り組む私にとって、大きな収穫となっている。

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