PMプロの知恵コーナー
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「原発事故」 (6) 事故に対する国、保安院、原子力委員会、東電の対応は?

仲 俊二郎/小石原 健介 [プロフィール] :6月号

 第1原発の運転体制は図表3に示す通りで、これに沿って原発は運転されていました。
ところが事故発生時の対応について、信じられないほどの混乱が起こりました。本来なら労働安全衛生法第10条による原発の法的責任者である総括安全衛生管理者の原発所長が、全原子炉の安全と重大事故防止に対して全権・全責任をもち、その責任権限のもとにオフサイトセンター(現地対策本部)で指揮命令がなされるべきでした。そしてこの現地対策本部に対し、東電本店や政府監督官庁が後方支援に当るべきでありました。


 ところが実際には東電本店、首相を始めとする官邸(原子力災害対策本部)、保安院、原子力安全委員会等がやたら介入し、現地対策本部は邪魔をされて機能しませんでした。即断を要する原子炉への注水やベント作業などの決断が遅れたばかりか、意思の疎通を欠く中での東電撤退問題が起こるなど、情報が寸断されて大きな混乱を招いたのです。
 このように政府の事故対応体制の要となる原子力災害対策本部や現地対策本部は、その役割を担えませんでした。情報収集の共有が機能不全に陥り、地震や津波、原発事故の同時発生を想定した備えがまったくなかったことを露呈しました。
 何とこの緊急時に保安院などの官僚機構は、平常時の意識にとらわれて受動的な姿勢に終始し、縦割り組織からも脱せず、役割を果たせませんでした。
 国民の健康と安全を最優先に考え、原子力の監督・統治を確たるものにする組織的な風土も文化も欠落していたと言えるでしょう。取り返しのつかない事故対応でした。複雑な組織構造が事故情報の把握を困難にし、避難指示も行き渡らず、SPEEDIの活用、情報発信などで問題を残しました。
 東電は事故時に会長と社長は不在で、緊急時のマニュアルも役に立ちませんでした。指示命令系統が混乱し、1号機のベントでは現場の状況を官邸や保安院に十分伝えられず、不信感を生んだのは記憶に新しいところです。東電は福島第1原発と東電本店とのテレビ会議の記録を開示することを最後まで拒んできましたが、ようやくのこと、しぶしぶ条件付で開示しました。2012年9月5日付朝日新聞はそのやりとりの一部を次のように断じています(要旨)。原発暴走中とは思えぬ緩慢な対応。戦略性のない物資補給。現場への理不尽な要求。東電が開示したテレビ会議記録から見えたのは、失策を重ね、事態を悪化させる人災の断面だ。

図表3「福島第1原発運転体制」(出典 原発再稼働最後の条件)

図表3「福島第1原発運転体制」(出典 原発再稼働最後の条件)

所長が判断すること
 電源車、消防車の各プラントへの配車。ベント、海水注入の実施。アクシデントマネジメント(AM)手順書に定義されていない内容の決定
当直長が判断すること
 AM手順書に定められている内容

図表4 「原発事故時3月11日から15日の情報の流れ」
 (出典 朝日新聞2011年12月27日)

図表4 「原発事故時3月11日から15日の情報の流れ」(出典 朝日新聞2011年12月27日)

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