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「原発事故」 (5) はじめに

仲 俊二郎/小石原 健介 [プロフィール] :5月号

 今月5月は「事故に対する国、保安院、原子力委員会、東電の対応」について掲載の予定でしたが「はじめに」を改訂増補しましたので、2月号とは一部重複しますが今月は改めてこれを掲載させていただきます。

はじめに

 これまで日本国民は、原子力発電(以下原発)は安全だという神話を何の根拠もなく信じ、先進国の繁栄を謳歌してきました。ところが2011.3.11を境に振り子は反転し、原発ほど危険なものはないという認識を持たざるを得なくなりました。
 広島と長崎に原爆を投下され、地球上で最も悲惨な経験をもつ日本が、どうして同じ原子力に頼る発電を安全だと断定してしまったのか。まるでお伽(とぎ)噺(ばなし)のような安全神話をもとに、いっさいの疑問や反論を封印し、設備改善の必要性さえも徹底的に無視してきたのが私たち日本人なのです。
 科学的であるべき学者が保身と物欲の前にひれ伏し、東京電力(以下東電)の金銭的援助を得て安全神話構築に力を貸してきました。歴代の政府も東電とタッグを組み、経済効率一辺倒で官民あげて原発推進に血道を上げてきました。その結果が今回の原発事故なのです。
 そのためいまだに16万人が放射能の不安におびえ、避難生活を余儀なくされています。農家や漁師も生活の手段を奪われました。それなのに東電や政治家や学者は、誰一人責任をとろうとする人がいません。「想定外の津波が来たから」とか「地震と津波の複合災害に対する危機管理が不備だった」などと、まるで他人事のような言葉で逃げてしまっています。
 これが実相なのです。だからと言って、いつまでも実態を看過するのは、後世の世代に対してあまりにも無責任ではないでしょうか。国民は今回の原発事故について、真実を知っておかねばなりません。
 原発を存続させるべきか、それとも廃止するべきか。もし存続させるなら、今後どうすれば被害を避けることが出来るのか。その判断をするためにも、ぜひ問題の本質を知っていただきたいのです。

 結論的に述べるなら、チェルノブイリに匹敵する最悪の原発事故を起こした真の原因は「全電源喪失」にあります。「想定外の津波が来たから」というのはまったく理由になりません。それは屁理屈と言うものです。
 なぜ。「全電源喪失」中に間髪をいれずバッテリー電源の確保と外部電源の復旧に全力を注がなかったのか。どうしてその必要性に気づかなかったのか。もしバッテリー電源の確保と外部電源の復旧とがなされておれば、1号機では非常用復水器が機能し、蒸気弁を開くことが出来て、これほど急速なメルトダウンや建屋の水素爆発も防げたはずです。
 原発も含めたあらゆるプラントは現場で、現場責任者が事故時に取るべき処置の中で真っ先にやらねばならないのはただ一つ、電源の確保、つまり電源復旧です。これは化学工場であれ製鉄所であれ原発であれ、プラント操業に携わる人間なら誰もが知っている常識であり、イロハのイです。「プラント屋の眼」から見れば、何の迷いもありません。
 ところが実態は自衛隊のヘリコプターを飛ばして、上空から原子炉めがけて水を落とすなどという、まったく荒唐無稽で効果のないデモンストレーションに大真面目に国の命運をかけていたのです。世界中の笑い者になったのは述べるまでもありません。

 やっと電源復旧の作業にとりかかったのは、さんざん枝葉末節の対策を講じて万策尽きた後の、事故発生から6日も過ぎた17日朝になってからでした。その結果、待望の電源が復旧したのは、何と20日の15時46分です。事故から復旧まで実に9日間もかかったのです。こんな悠長な対応では、不遜な言い方かもしれませんが、爆発しても仕方ありません。実際、炉心のメルトダウンが起こり、原子炉建屋が爆発するという、最悪の事態を招いてしまいました。
 この9日間のロスは致命的であり、返す返すも残念です。どんなプラントでも緊急時に備え、必ず非常用電源とかバッテリー電源が装備されています。今回のケースでは早期に非常用発電機による電源復旧の見通が立たないため、バッテリー電源の確保と外部電源の1分でも1秒でも早い復旧が事故防止の決め手でした。そしてこれは何よりも真っ先に優先して行う緊急事態での初動でした。バッテリー電源により緊急炉心冷却システムECCSを動かし、また外部電源を復旧させ原子炉の冷却機能を回複させる以外にメルトダウンや建屋の水素爆発を防ぐ手立てはありませんでした。
 今日、私たちの家庭生活や工場で、電気が連続して9日間も停まるなんて事態は想像もつきません。それがここ日本で、原発現場という最重要の場所で起こってしまいました。

 今回の事故時、真っ先に中央制御室の照明を復旧すべきでした。そして機器の制御盤を復旧させ、原子炉の状況や各機器の運転状況を正確に把握し、とりわけ原子炉の水位、圧力、温度などの重要なパラメーターを把握しなければなりません。ところが優先順位が分らないまま、右往左往するだけで時間が過ぎていきました。
 事故発生時の現場の状況を再現したNHKの特番でも、運転員は暗闇の中で懐中電灯を片手に、水位計や弁の開閉状況、機器の運転状況も正確に把握できないまま右往左往していました。実際、暗闇の中で図面やマニュアルを読むことすら出来ない環境ですから、緊急対応は困難を極めたでしょう。むしろ不可能でした。
 今回、最悪の事態を防ぐことが出来なかった大きな要因の一つは、1号機のメルトダウンがあまりにも急速に起きたためです。これによる連鎖反応で現場は冷静さを失い、浮足立ち、他の2号機、3号機の方への配慮が回らなくなってしまったのです。ある時期まで、何とか生き残っていた2号機、3号機用バッテリー電源により緊急炉心冷却システムECSSが機能しており、2号機、3号機については、1号機に比べて、メルトダウンがはじまるまでの時間を稼げたはずです。ところがバッテリー電源の確保と外部電源復旧が間に合わず、対応も後手に回った結果、なす術もなく最悪の事態を招くに至ったのでした。
 1号機のあまりにも急速なメルトダウンの原因は、非常用復水器が機能しなかったためです。運転員はその構造を十分理解していなかったばかりか、操業から40年間、操作を一度もやったことがありませんでした。蒸気弁が閉まり、まったく機能していないのに、動いていると錯覚してしまいました。水位の急速な低下によって、初めて動いていないことに気づいたのです。運転員としては、まったく言語道断というべきであり、付ける薬はありません。運転中の原子炉が地震によって自動で緊急停止し、電源を喪失した際、復水器の蒸気弁が安全上、自動的に閉まったことすら分らなかったのであれば、信じられないほどの失態です。バッテリー電源により格納容器の外側の蒸気弁を、また交流電源により格納容器の内側の蒸気弁を開くことが必要で、これによりはじめて復水器を機能させ、メルトダウンの時期を遅らせることが出来たと思うと、残念でなりません。

 東電テレビ会議の記録を見ると、はたしてこれがプロフェッショナルのやることなのかと、本当に情けなくなります。信じがたいほどの的外れな対策を大真面目に議論して、どんどん時間を空費しているのが分ります。
 3号機では原子炉の圧力が通常の5倍に上昇し、対策として吉田昌郎所長が消防車のポンプで原子炉へ注水しようとするのですが、水が押し戻されて注水できません。そこで圧力容器の圧力を下げるため、蒸気を抜こうとしますが、安全弁を開ける120ボルトの電源がない。急遽、12ボルトの車用バッテリー10個を直列につなぐことにしたが、たった10個のバッテリーさえもが集まらなかった。バッテリー等を買出しに行く現金が不足していたというのです。泣きたくなるほどの笑えない話です。
 13日はちょうど3号機でメルトダウンがはじまり、水素が発生しはじめたのですが、その日のテレビ会議では、水素爆発の対策が延々と話し合われました。原子炉建屋の水素を逃がすための穴をあけようということになり、その方法として、ヘリコプターから物体を落とすとか、自衛隊に頼んで火器でパネルを吹き飛ばしてもらったらどうかなど、喧々諤々の議論が続きました。
 そのため13日はまる一日、なす術もなく浪費しています。本来であれば、この時期にはすでに外部電源を復旧させ、冷温停止の作業にかかっていなければならないのです。緊急時の危機対応がまったくなされていませんでした。

 同じ地震・津波被害に遭ったのに、福島第2原発は無事に生き残りました。ではなぜ第1はダメで第2は大丈夫だったのか。その理由は簡単です。第2原発は外部電源が生き残ったからです。第1は電源が一系統だけであり、これが喪失したのに対し、第2は2系統あり、1系統は喪失したが、残りの1系統が生き残って最悪の事態を免れたのです。それほど電源は重要な要素なのです。
 おそらく東電や関係者は、第1原発は第2と比し、電源盤や制御盤、遮断器などの損傷程度が深刻だったと主張するかもしれません。しかしそんなことは電源復旧が遅れたことの何の理由にもなりません。損傷や冠水で使用できない電源盤などがあれば、休止している他の発電所から使えるものを取り外して、それこそ自衛隊のヘリコプターで運んでくれば済むことです。
 あるいは自衛隊に同じ頼むのなら、事故後、直ちに何隻かの艦船を第1原発へ急行させ、船の電源を外部電源として供給すれば、問題は一気に解決したでしょう。通常、船というのは停泊中は発電機を止め、陸上の電源に切り替えます。こんな作業は乗組員にとっては普通の日常業務であり、慣れたものです。電源ケーブルをただジョイントさえすれば済んだ話なのです。こんな考えが微塵も浮かばなかったのは、日本国民にとっては本当に悲劇でした。
 ただこの艦船派遣は1号機原子炉建屋が水素爆発を起こした12日12時36分以前であれば理想的でした。というのは爆発以降であれば、放射能汚染により艦船が原発に近寄るのはたぶん困難だったと思われるからです。
 しかし前述したように、少なくとも事故後直ちに自衛隊に電源車およびバッテリーの空輸と作業支援を要請しておれば、以後の状況はかなり違ったはずです。かかる緊急事態では、何の訓練もなされていない東電の人に頼るのではなく、厳しい訓練を受け、自己調達機能をもつ自衛隊に依頼するのがベストの選択でした。
 神戸商船大学卒業生で、カナダの原発プラントで原子炉責任者を務め、10年間、現場の技術者として働いたことのある田納靖男氏は、カナダの自宅で福島の実況テレビを見ていて、プラントの汚染水を海に垂れ流す映像に歯軋りしたという。「なぜ直ちに係船されている旧タンカーを原発の沖合に急行させて、汚染水をタンカーにとりあえずポンプアウトしないのか」と、テレビに向かって怒鳴っていたといいます。これをしていれば、海の放射能汚染はかなり防げたでしょう。
 福島の現場責任者や本社幹部、原発学者などはなぜそういう知恵を働かさなかったのか。プラント現場において「プラント屋」としての「修羅場」の経験がない彼らには、無理な「高望み」なのかもしれません。

 ベストを尽くしたとか、命の危険をも顧みずに奮闘したとかいうのは、最悪の原発事故を招いた責任を免れる免罪符には決してなりません。命の危険をも顧みずに奮闘したとかいうのは、大爆発の責任を免れる免罪符には決してなりません。プラント管理者はあくまでも日頃の鍛錬した危機管理訓練に従い、的確な行動を沈着冷静かつ果敢に遂行することを求められているのです。
 しかし現実にはこういう組織だった訓練もなければ危機管理能力も教育されていませんでした。それは管理者のみならず、運転員にも当てはまります。我々はこんな人たちに最も危険な原発操業をまかせていたのかと思うと、今さらながら愕然とします。爆発現場の暗闇の中で、全身に放射能を浴びながら懐中電灯を頼りにひたすら動き回っていた運転員の姿がまぶたに浮かんできます。彼らが哀れでなりません。
 東電幹部や現場のユニット長、学者らは自己の専門分野は知悉していても、プラント全体を俯瞰し運転する知識、経験を持っていませんでした。このことが今回の事故を招いてしまったのです。決して「想定外の津波」のせいではないのです。この事実を知ったうえで、われわれは原発を廃止するのか、それとも原発先進国を見習って、安全対策の完備と危機管理に精通したプラント管理者を養成して、原発を維持するのかを決める必要があります。
 そういったことを判断するための一助として、このたび32の質問という形で本書を書き上げました。

 さて、これから本文を読んでいただく前に、読者の皆さんに知っていただきたいことがあります。それは今回の原発事故がどれほど深刻なものなのか、ということです。そのことについて、具体的に広島に落ちた原爆との比較で考えてみたいと思います。放射線防護学分野の第一人者である神戸大学大学院海事科学研究科長の小田啓二氏から、定性的ですが、両者の相違について次のようなコメントを寄せて頂きました(要約)。

 一番の違いは総量でしょう。セシウムだけでいえば、広島原爆の200倍以上は放出されたと考えられる。それほど原発にあるウラン量(インベントリ)が多いということです。
 二番目の違いは放出されたスピード、あるいは到達距離です。原爆の場合には、上空で核分裂が起こり、電圧で言えば約100万ボルトで加速されたように、凄いエネルギーでセシウムが飛び散った。それも四方八方なので、ほとんどは遠くへ飛ばされ、直下の地上にぶつかった量は全体のわずかでした。
 一方、今回の原発事故では、水素爆発とはいえ放出スピードが遅く、長いあいだの核分裂で溜まったセシウムが上に少しだけ舞い上がり、多くはプルーム(一種の固まり)の状態で風に乗って運ばれて、半径20~30km内で落ちた。そして一部、軽いものは遠くに風で運ばれた。このため福島原発の周辺では、広島原爆の恐らく1万倍以上の濃度になったと思われる。
 広島ではセシウム以外のいろんな放射性物質も飛ばされたが、それらを合わせても、総量は桁違いに低く、ほとんどの放射性物質は雨で流されたと考えられます。

 以上からも分るように、今回の原発事故は桁外れの災害であり、だからこそ再び繰り返さぬよう、真の原因を究明することが、われわれ国民の待ったなしの責務だと考えます。「想定外の津波」で片付けるわけにはいかないのです。

 さらに3.11を境に、日本はもう一つの大きな課題に直面させられました。それは原発のセキュリティ(安全保障)です。今のような無防備な状況で外敵からミサイルなどで打ち込まれたら、もうお手上げです。現状ではなす術がありません。ターゲットは日本国中にあるので、危険どころの話ではないのです。
 しかしもっと可能性の高い現実の脅威として、テロ攻撃が考えられます。海上からの攻撃、或いは侵入です。死を覚悟した何人かが船から忍び寄り、原発のアキレス腱である電源を爆破したりしたら、我々はどうすればいいのか。平和ボケのした日本ほどテロリストたちにとって御しやすい国はないでしょう。このセキュリティのためにも、事故原因の究明は喫緊の課題なのです。
 以下はアメリカのメリーランド州にあるNRC(原子力規制委員会 Nuclear Regulatory Commission)を訪ねた朝日新聞前田史郎記者の話ですが、職員から手渡された資料を見ると、いきなり「Deadly Force……」と書かれた標識の写真が眼に入った。何と原発の施設内に入ると射殺も辞さないという警告だったというのです。
 米英では、核施設の安全を保つため、武装警備員が原発の外に銃口を向け、発砲するのです。そこまでして原発を守るという覚悟が果たして日本にはあるのでしょうか。核施設を持つことがどれだけのリスクとコストをともなうものなのか。私たちは、真剣に考えなければなりません。
 ところで事故から2年を経た2013年3月、またしても信じられないことが起こりました。停電が起き、使用済み核燃料プールの冷却装置などが、ほぼ丸一日にわたって停止するトラブルが発生したのです。トラブルを起こした個所は事故直後に設置した仮設配電盤で、これはトラックの荷台に積まれたまま、野ざらしの状態で使用されていました。また悪いことに、予備の電源システムもありませんでした。
 東電の尾野昌之原子力立地本部長代理は3月19日東電本店での記者会見で、こんな的外れな説明をした。
「燃料プールの冷却が止まっても、温度上昇には時間的な余裕がある。原子炉のような電源多重化の必要はないと判断していた」
 もし燃料プールで事故を起こせば原子炉の比でない大惨事です。果たしてそのことが分かっているのか。実に驚くべき説明でした。
 改めて事故当時を振り返ってみましょう。今回の事故で最大の危機に直面したのは他でもありません。アメリカが最も関心を寄せていた、使用済み核燃料プールに保管されていた核燃料1,535体の冷却についてでした。全電源の喪失により冷却機能を失ってしまい、その冷却方法が全く見つからなかったのです。
 ところがこの危機を救ったのは非常用ガス処理排気管の3号機と4号機が偶然に誤って繋がっていたため、3号機の滞留ガスが4号機へ流れ込み、それによる4号機の原子炉建屋の爆発でした。この爆発により建屋の屋根が吹き飛び、その結果、建屋の上から放水によるプールへの注水が可能となり、最悪の事態を回避することができたことです。
 これはまさに天佑と言うべきでした。この膨大な量の核燃料棒が冷却できずに破壊されたとしたら、想像するだけでも恐ろしく、その被害は計り知れないものとなったでしょう。この決して忘れることが出来ない事故の教訓を、2年経った今、何も学び取っていない東電の説明にはただただ驚愕する他ありません。

 さて、本書は仲俊二郎と小石原健介の共著であります。二人は川崎重工業の社員時代、数々のプラント建設の仕事をしてきました。その中の一つ、20世紀最後のビッグプロジェクトといわれるドーバー海峡トンネル工事を、仲俊二郎は営業のプロジェクトマネジャーとして、また小石原健介は技術の現地所長として、二人三脚でプロジェクトを成功に導きました。
 私たちは原子力の専門家ではありません。ただ産業プラント分野には長年携わってきたエキスパートだと自負しています。そのプラント屋としての立場から、同じプラントである福島第1原発がなぜこんな悲惨な事故を起こしたのか、どうすれば防ぐことが出来たのかについて、率直な考えを述べさせて頂きました。
 どうかお忙しいなか恐縮ですが、ご一読していただけましたら誠に幸甚でございます。

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