PMプロの知恵コーナー
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「エンタテイメント論」(56)

川勝 良昭 Yoshiaki Kawakatsu [プロフィール] :11月号

エンタテイメント論


第2部 エンタテイメント論の本質

4 涙
●「涙をこえて」
 「涙」を落とすと「精神鎮痛効果」がある。しかし重要なことは、泣いた後であると前号で記した。

 「失敗の涙」を流して、悲嘆、落胆、自己否定の「道」をズルズルと進むか、「涙をこえて」、新たな「考え方」に持ち、新たな「行動」を起こし、「成功の涙」を求める「道」を進むか、「本人」次 第であるとも書いた。

 もし今、「失敗の涙」を流している読者がいるならば、右記の「涙をこえて」の「歌詞」を読んではどうだろうか? 「歌」を聞きたければ、その題名をWEB SITEに入力すれば、YouTubeで視聴することができる。

 この曲は、「上を向いて歩こう」を作曲した「中村八大」が「かぜ耕作」と共に作ったものである。


  出典:涙をこえて j-lyric.net/artist
涙をこえて


●「涙」をこえる「力」
 「涙をこえる」ことは、辛く、厳しく、多くの困難を伴う。そして失敗に屈せず、新たな考えと行動を起こすには、本人の「内なる力(パワー)」が不可欠である。この「力」は、何処から湧いてくるのだろうか?

 それは、本人が「涙を超えて」でも達成したい目的、目標、志などを持っている時に湧いてくる。しかし「涙をこえて」と言うと、「悲壮感」、「使命感」などが漂い、ジメジメして「暗く」なる。そして益々「涙」から抜け出せなくなるかもしれない。もっとカラッとして「明るく」なる様な「答え」はあるのだろうか?

 その答え「YES」である。それは、上記の歌詞の中の「過去に泣くより、輝く明日をみつめて」を可能とする「夢」を持っていることである。その「夢」は、夜寝て見る「夢」ではなく、昼間、覚醒して見る「夢」である。「夢」は、本来「好きなコト」、「楽しいコト」である。その「夢」の実現と成功に「本気と本音」で挑戦すれば、「涙」など超えるどころか、直ぐに消えてしまう。この挑戦のために不可欠な「考え方」と「方法論」を具体的に説いたのが「夢工学」である。

 本誌で「エンタテイメント論」が連載される以前、「夢工学」が数年に亘って連載されていた。もし「夢工学」に興味があれば、その連載のバックナンバーを(特)日本プロジェクト・マネジメント協会(PMAJ)に要請して欲しい。手に入れることが出来るかもしれない。

 或いは「夢工学」の本を一般書店又は当該大学で手に入れることも出来る。「涙をこえる」又は「涙を消す」という目的から筆者の著書を紹介した。宣伝になって申し訳けない。

「夢をプロジェクトとして起ち上げる法(知的冒険の旅に出よう)」 川勝良昭 ダイヤモンド社
「新プロジェクトを成功させる方法(ビジネス・リーダーのための夢工学)」 川勝良昭 日科技連
「夢と悪夢の経営戦略」 川勝良昭 出版:亜細亜大学購買部(一般書店でなく、亜細亜大学購買部の直販。電話注文可能)


●「上を向いて歩こう」
 「明日を見つめる」ための歌は、古今東西数多く存在する。「上を向いて歩こう」もその一つである。しかしその歌も「涙」がこぼれない様に「上を向け」となっている。何故か、日本の歌は暗い歌が多い。国民性かもしれない。

 「歌」だけでなく、日本の「映画」も暗い映画が多い。日本の不景気で元気が無い昨今の世相を吹っ飛ばし、皆が一緒に唄って、楽しめる明るい「歌」や「映画」がもっともっと必要である。

 さて「上を向いて歩こう、、、、」の歌を知らない日本人は皆無だろう。しかしこの歌の英語版は、米国では昔、「SUKIYAKI(すき焼)」の題名であった。この米国版譜面を持っている日本人はあまりいないと思う。珍しいので以下に掲載した。
出典:SUKIYAKI ALL ORGAN DELUXE ALBUM
出典:SUKIYAKI  ALL ORGAN DELUXE ALBUM

 筆者は、この譜面を今から約50年前、偶然「渋谷」の本屋で見つけた。珍しい米国製譜面なので今も記憶していた。「中村八大」も、「坂本 九」も健在の時代であった。しかし「歌詞と音符」を完全に掲載すると著作権上の問題が起こるかもしれないので「見本」として掲載した。

 また「涙をこえて」の「歌詞」を掲載することも著作権上の問題がある。しかしこの掲載は、「エンタテイメント論」を展開するためにした。更に「涙をこえて」の歌を、現在の多くの日本人に知って貰い、唄って貰う様に本誌に掲載したこと、「輝くあしたをみつめて」を唄って貰い、夢の実現と成功に挑戦して貰える様にしたことで本掲載を許して欲しい。

●「夢」も、「命」も超える価値とは?
 もしある人物が、自ら「涙」を流す又は他者に「涙」を流させるほどの感動を伴う「成功」を遂げたとしたら凄いことである。この様な「成功の涙」に勝る価値は、この世に無いのでは?

 それに対して多くの人は「それは命だ」、「命こそ究極の価値だ」と言うだろう。本当だろうか? 「命」を超える価値のあるモノがあるのか?

 人類は、数多くの戦争を行ってきた。今も行っている。戦争は国家間、民族間、地域間などの紛争の究極的解決策として実行されてきた。今もそうである。しかし戦争当事者のそれぞれの側は、自らが持つ正義性、正当性、人間性などの「価値」を求めて「命」を賭けて戦ったのである。

 しかし「命」を超える価値のために「命」を賭けて戦った戦争で問題を解決できたか? 何とも皮肉なコトに根本的な問題は解決できず、多くの数の大量の「涙」だけが残った。

つづく
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