ダブリンの風(109) 「アサインの責任」
高根 宏士: 9月号
アサインの責任とは、国会で不祥事やトラブルが発生するたびに言及される「任命責任」のことである。大臣がチョンボをすると、担当大臣に対する不信任や問責決議案が提出されると同時に首相の任命責任が問われる。最近はその決議案が可決されることも多い。国会が首相に対してこの任命責任を追及することは正しい。任命者が、大臣として該当する職責を果たせるかどうかを見極めもしないで、他の要因からアサインしたとしたら、それは無責任以外の何物でもない。
ところでここで一つの疑問がある。それは首相の任命責任はどこにあるかということである。まさか天皇にあるという人は一人もいないであろう。この責任は国会にある。すなわち国会議員諸公にある。彼らは本当にこの責任を感じているのであろうか。自分たちが選んでおきながら、その人間の足を引っ張ることしか考えていない。なぜ協力や支援ができないのか。それは議員諸公の視点が私利私欲、党利党略以外にないからである。
例えば季明博大統領の最近の過激な言動に対して、自民党の谷垣総裁は、現政権が舐められているからだとし、解散に持ち込もうとしている。これは見当違いもはなはだしい。現政権にいろいろ問題があることは確かだが、季明博大統領の言動はそれとは関係ない。1952年の李承晩ラインの一方的宣言以来、日本が事態を曖昧にしたまま推移させた結果であり、それを季明博大統領が自分の支持率回復のために利用したに過ぎない。この場合、現政権だけでなく、歴代自民党政権を中心とした日本全体の責任である。今回もまた一致協力して対処するのではなく、その責任を自覚しないで、足の引っ張り合いをし、大統領に協力している。
アサイン責任とはアサインした人間が力不足の場合、単に首を挿げ替え、次の人間をアサインすることではなく、その足らざるところも含めて、国全体としての成果が上がるようバックアップすることが肝要である。特に外交問題については、理不尽な他国の言動を助けるような、内部での引き摺り下ろしを止めて、協力体制を見せることが肝要である。
ところで我々プロジェクトの世界でもこのアサイン責任の問題は日常茶飯事でありながら、当事者が自覚していることは少ない。プロジェクトマネジャー(以下PM)の任命は通常母体部門長である。彼(または彼女)がアサインしたPMのプロジェクトがうまくいかない場合、周囲からその問題が指摘され、PMがその元凶であるかのごときうわさが流される。そのとき多くの母体部門長は問題の本質を理解することもなく、PMの首を挿げ替えるか、そのまま温存しながら、周囲と一緒になってPMの悪口を言っている。これは多くの国会議員諸公と同じである。しかもプロジェクトの場合、アサイン権限は首相任命とは違って、一人にある。したがってその責任は議員諸公より段違いに重い。
プロジェクトがうまくいかなかった場合PMアサイン責任者が取るべき行動は該当プロジェクトの問題の本質とそれに対応するPMが信頼できる人物であるかどうかをきちんと見極めることである。この見極めを基に信頼できるPMと判断したら、そのPMに対して全面的支援(精神的面も含め)をすることである。信頼できないPMと判断したら、思い切ってPMの交代を図ることも必要である。但しこの場合、それでもプロジェクトが崩れる状態になったならば母体部門長は責任を取る覚悟が必要である。交代できるPM候補がいない場合、自ら火中のクリを拾うことも最後の手としては考えられる。どのような場合であれ、母体部門長にこのような認識と覚悟がなければ、傘下のプロジェクトは常にごたごたとした問題に苛まれることが常態となろう。
|