協会理事コーナー
先号   次号

「プロジェクトマネジメントへの理解の深化」

イノベーションマネジメント株式会社 代表取締役 芝尾 芳昭:3月号

 私のプロフィールは少し変わっておりまして、大学院を修了しエンジニアとしてスタートしましたが自分の意思とは別の要因(会社倒産)で転職せざるを得ず、30代前半にプロジェクトマネジメントシステムを開発・販売していたアルテミス社に移り、大手企業にプロジェクトマネジメントシステムを導入させるためのシステム導入のコンサルティング行なって参りました。その後40代半ばにコンサルティングファームであるプライスウォーターハウスクーパース(PwC)に転職し、製薬事業担当パートナーとしてプロジェクトマネジメントの仕組みそのものを企業に導入する業務改革のコンサルティング活動を中心に行い、現在はその延長線でイノベーションマネジメント(株)の代表取締役として主にプロジェクトマネジメントに関わる業務変革のコンサルティング活動を続けています。
 これまでの業務経験を通して、私のプロジェクトマネジメントやプログラムマネジメントに対する認識や理解は、徐々変化してきた(発展した)と思っております。
 エンジニアリング会社(現在:三井海洋会開発株式会社)で得たプロジェクトマネジメントの知識は、大型プロジェクトを合理的にマネジメントしていく従来型のプロジェクトマネジメントであり、QCDを中心としたロジカルなプロジェクトマネジメントでした。大型プロジェクトでプロジェクトコントローラーを命じられ、プロジェクトマネジメントシステムの選定・導入からWBSをもとにスケジュール・コストを統合したプロジェクトマネジメントの仕組みを作り、システムを活用したプロジェクトマネジメントの成功体験を得ることができました。 その中で、プロジェクトマネジメントシステムの将来的な可能性を感じアルテミス社に移ったのですが、そこで挫折を覚えます。アルテミス社が導入しようとしていた多くは、ビジネスそのものがプロジェクト中心で動いていたエンジニアリング産業とは全く環境が異なり、それぞれのライン組織が強い権限をもった製造業で、しかもプロジェクトマネジメントがやっと普及し始めた研究開発の分野でした。
 そこでは、プロジェクトマネジャーとは名ばかりでプロジェクトマネジャーの権限はほとんどなく、人も予算も全てラインが管理し、ラインの意向に沿わないとプロジェクトも上手く進められないという、エンジニアリング業界で育った私には全く理解の出来ない世界がありました。その環境下でプロジェクトマネジメントシステムの導入を行って参りましたが、当初はほとんど上手くいかず、挫折を味わいます。システムは出来上がるのですが、定着せず数年たつと捨てられてしまったのです。プロジェクト軸の強い環境で育った私には、チームメンバーは第一にプロジェクトに貢献することが当たり前で、必要なデータはプロジェクトマネジャーが要求すれば文句を言わず全員がきっちり提供して当たりまえという感覚が強かったのですが、実際はシステムが出来上がってプロジェクトマネジャーが号令をかけてもデータは全く入ってきませんでした。
 私自身に重要な見落としがあったわけです。マトリクスマネジメントというプロジェクトとライン組織がバランスを取るマネジメントの必要性と、プロジェクト単体ではなく、企業全体でプロジェクトを見ていくいわゆるエンタープライズプロジェクトマネジメントの必要性です。プロジェクト中心でない環境におけるプロジェクトマネジメントの実践のやり方を、挫折の中で理解しました。企業として、マトリクス組織においてプロジェクト成果を達成するためにどのようにプロセス、組織・役割を変えればよいかというリエンジニアリングの手法とチェンジマネジメントという人の意識を変えていく手法を身につけるようになりました。その結果、単に個別のプロジェクトの成功を考えるだけでなく、組織として複数のプロジェクト成果を最大化するためのプログラムマネジメント、プロジェクトガバナンス、PMOなどのプロジェクトマネジメントインフラ整備の技術を身につけるようになりました。
 その後、プロジェクト制の導入経験をもとにPwCに移り、製薬企業を中心とした業務変革を担当します。その中で、ある製薬企業の医薬品開発プロジェクトの価値評価(そのプロジェクトが将来どのくらいのビジネス価値を生むのか)の依頼を受けた時のこと、プロジェクト予想コストと製品売り上げの期待値をもとに30近いプロジェクトのNPV(Net Present Value)を計算しましたが、その中で2つの後期のプロジェクトがマイナスという事実を発見しました。つまり、そのプロジェクトはやるだけ赤字なのです。 なぜ、そのようなプロジェクトが存在しているのかということに大いに疑問を感じヒアリングした結果、数年前に複数のプロジェクトが期待に反して毒性が出たため中止され、開発部門のリソースに余裕が生まれたので急いで外部からプロジェクトを導入したことを知りました。つまり、プロジェクトの価値があるかないかでなく、開発部隊が暇になったのでプロジェクトを外から持ってきたというのです。その結果、利益が出ないプロジェクトが生まれ、結果的に企業価値を損なっていたのです。このとき、戦略とプロジェクトの関係を結びつける必要性を痛感し、その後プロジェクトを戦略的に取捨選択し、優先順位をつけ投資意思決定するためのプロジェクトポートフォリオマネジメントを積極的に推進するようになりました。つまり、企業戦略からプロジェクトを考えられるようになったのです。
 しかしここ数年、製薬企業において戦略とプログラム、プロジェクトの関係を追及している中で、戦略がしっかりしていてもなかなか物が出てこない現実を見ることが多くなりました。その中で気付いたことは製薬企業におけるイノベーションの欠如であり、現在の製薬企業にとって今まで以上に大きな課題になりつつあります。なぜイノベーションが欠如してきたのか疑問と関心を抱き、ここ数年イノベーションについて様々な文献を調べ製薬企業の創薬部門の方々とも交流を重ね、他業界の事例など調査してきました。そこでわかったことは、創薬研究というプロジェクトの上流ではこれまで私が得意としていた実行型のプロジェクトマネジメントとは異なる種類のマネジメントが必要であること、そしてその環境を組織的に整備していくことが必要であるということでした。新しい可能性のあるプロジェクトを生むには、アイディアと実験が必要であり、多くのアイディアが生まれ自由に実験し検証のできる環境の整備が重要となります。そのためには、プロジェクトの失敗を許さないのではなく、失敗を許容しチャレンジを促進させ失敗から新たな可能性を生み出すマネジメントの仕組みが不可欠で、必ず成功を求めるマネジメントと相反するマネジメント環境を作り上げなくてなりません。さらに、新しいアイディアを生むには深く考え抜く時間やコミュニケーションを通した刺激が必要で、より異なる人と人を結びつけるインフラも重要になってきます。特に、グローバル環境では場所の問題もありIT技術を含めた環境整備が重要となってきます。このように、価値あるプロジェクトを生み出す環境を作らなければ、いくら戦略が良くてもイノベーションは起こらず企業は収益を上げることが叶わなくなります。このプロジェクトの上流側でイノベーティブなプロジェクトを生み出す仕組みは、プロンントエンド・イノベーションと言われ、これから多くの企業でその重要性は増してくると確信しており、私自身これから積極的に推進するつもりでおります。
 このように、私自身のプロジェクトマネジメントは、個別のプロジェクトマネジメントからマトリクスマネジメント、プログラムマネジメント、プロジェクトガバナンス、そして戦略を実現するためのプロジェクトポートフォリオマネジメント、さらには新しい価値を生み出すプロジェクトを創出するフロントエンド・イノベーションと、プロジェクトマネジメントに関わる仕事を通して徐々に自分の体験とともに広がっていきました。まだまだ、終わりは見えないのですが今後もプロジェクトマネジメントに関わる新しい展開を、新しい気付きの中で広げて行きたいと思っております。
ページトップに戻る