P2M研究会
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東京P2M研究会の再出発
~序曲・混乱そして『芽生え』~

東京P2M研究会 幹事(2011年度) 佐藤 唯行 [プロフィール] :12月号

prorogue 【序曲】
 それは、研究会を2日後に控えた8月23日、1通の下記メールから始まった。
東京P2M研究会各位    渡辺 です
 東京P2M8月例会を8月25日に予定しておりましたが、私儀本日道路横断の途中でアキレス腱を切断し、明日か明後日に手術することになりました。坐骨神経痛で長らくご迷惑をお掛けしましたが、また、不注意なことをいたし、ご迷惑をお掛けします。
 そのような理由で、8月例会は中止とさせていただきますのでご了承お願い申し上げます。
 暑さの折皆様におかれましても、お体をお大切に。
以上    渡辺 貢成
 このメールを以って、2カ月間ほど研究会は休会となった。P2M研究会は各分野で活躍している人々の自主的な集まりとはいえ、事実上は、研究会創設者であり御年八十歳となる現在もその強力なご人徳と牽引力の持ち主である『渡辺貢成』の存在なしに前に進むことの出来ないというこの会の脆弱性を見せつけられたのである。

confusion 【混乱】
 満身創痍のリーダに鞭を打つようにして進んできた研究会は、とうとう来るべきときが来たかのように、誰もが動けない状態になった。無理に開催を請えば、それはリーダの傷口に塩を塗る行為に等しいと感じていたからだ。だれもが、神頼みのように、只々、リーダの早期の回復を切に願っていた。
 そのような時期に、研究会メンバーの数人と個別に会い直接お互いの研究会に対する想いを確認し合う機会が訪れた。PMシンポジウム2011である。皆のジレンマは同じようなものであった。研究会の早期再開を望みながらも今はそれが言えないのではないかと。
 シンポジウム2日目、リーダが手術後で痛むアキレス腱を抱えながら車いすにのって会場に現れた。持ち前のポジティブ思考を前面に出されてはいたが、リーダを慕う私達にとっては、その痛々しい姿に対して、とても『早期開催をお願いします!』と云えない事を改めて実感した。
 会場の間を移動する通路で、リーダの車いすを押しながら、私は研究会休会期間中のメンバーの思いをリーダに正直に伝えてみた。
 するとリーダは、ニコッとし『早くそうなれば良いと思っていた。良い機会だと捉えてください。P2M研究会の運営は君たち若手に全てを任せる!やってください。』と言って、車いすを押す私の背中を、逆にドンと強く押したのである。
 背中を押されリング中央に飛び出してしまった私は、一人ではどうすることも出来ない事だけは理解していたいので、研究会MLを使って、ここまでの経緯と研究会に対する自分の思いを混乱する思考の中でメンバー達に告白をすることしか出来なかった。

seeding 【芽生え】
 この様な私の混乱をよそに、告白を受け取ったメンバー達はその熱い思いを冷静に丁寧な返事で答えてくれた。
 いただいたメールの一例を紹介する。
継続をして行くこと、継続をして行ける形を創ることが研究会としてとても重要です。やって行きましょう。
異業種PMの交流というこのユニークな場を存続させていきましょう。
新しい研究会の価値をメンバー達自ら創造し、研究会を発展させていきましょう。
参加して、皆さんから様々な話が聞けるだけでも楽しい会です。是非続けていきましょう。
大丈夫です。自らプログラムを描けるメンバーが集まっているのが研究会です。進みましょう。
・・・・・・・・・・
 メンバー一人ひとりの返信に感動を覚えた。渡辺貢成というリーダが残したものが、皆の心の中にきちんと根付いていると実感した。それは、あの車いす生活であっても「それなりの楽しさがあるパラリンピックを目指す」と言い切ったポジティブさがメンバーにも沁みついていたことである。
 これは、このメンバーと一緒であれば、どのような事があっても、きっと素晴らしい研究会活動が出来ると確信した瞬間。
 すなわち、新しいP2M研究会の芽生えであった。
(その後については、また次回)
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