プロジェクトマネジメントにおける人間的側面に関する考察
プロジェクトマネジメントにおいて、人間的側面が重要であることは異論はないだろう。PMBOKガイドでは、9つの知識エリアにおいて、それぞれ濃淡はあるにせよ、人間の特性を意識した記述が見られる。人的資源マネジメント、コミュニケーションマネジメントはいうまでもないし、付録Gにおいても、人間関係のスキルとして、リーダーシップ、チームビルディング、モチベーションなどといった、深く人間そのものに踏み込んだテーマに触れている。他にも、例えば、リスクマネジメントにおいても、リスクのある中で意思決定を行なうためのさまざまなツールと技法が述べられているが、意思決定自体は最終的には人間が決断する行為である。これは、プロジェクトマネジャー(やプロダクトオーナー、スポンサー)が人間である以上、自明なことともいえる。
プロジェクトの成功のために必要な要因は数多くあるが、プロジェクトマネジャーには合理的な判断、決断が求められる。では、果たして、本当にプロジェクトマネジャーの判断は「合理的」に行なわれているだろうか。
人間は誤りをおかすものであり、プロジェクトマネジメントのいろいろな局面において、常に正しい判断が行なわれるとは限らない。そもそも、プロジェクトマネジメントにおける判断事項には、正解がない、あるいは、正解を見つけることが本質的に困難であることが多い。PMBOKガイドでも、プロジェクトマネジメント活動から得られた教訓を組織のプロセス資産として更新(蓄積)する、という記述が多く見られるが、こうした人間の特性を物語っているともいえよう。
リスクマネジメントに関する書籍を書店で見渡すだけで、プロジェクトマネジメントはもちろん、経済学、金融工学、株式投資、経営学、会計、医療・医学、疫学、意思決定論、情報セキュリティなど、様々な適用領域の本が発売されている。そのなかでも、人間の行動特性に着目したトピックは、プロジェクトマネジメントにおいても大いに考えさせられるところが多い。
医者や裁判官は、プロジェクトマネジャーと同じく、プロフェッショナルかつプラクティショナーである。ゲルトは、病理検査や裁判などの事例を引用しながら、専門家によるリスクに対する解釈にしばしば誤解に基づいた行動がみられることを指摘し、専門家が対応する相手に誤解を与えるような表現方法の危険性を述べている。一例として、医者が、検査を受けたクライアントに対して、疫学的な統計結果に基づいて検査結果の説明を行なう局面において、確率的表現を用いる場合と、頻度を用いて説明する場合との間で、まったく異なる心証を与えてしまうことを説明した上で、正しいリスク理解には、心理学が必要であると主張している。
友野によると、経済学へ心理学を融合しようとする動きは昔からあったが、行動経済学として確立した、Daniel Kahneman教授をはじめとした各種の研究成果、実験事例を紹介している。また、依田によれば、行動経済学とは、「人間の限定された合理性を中心に最適な行動からの乖離を経済分析の核にすえる学問」であると述べている。
行動経済学から学ぶべきトピックは数多いが、ここでは、具体的な例を一つ挙げる。
以下のシチュエーションを想像してほしい。あるプロジェクトが遂行中である。このプロジェクトには既に多大なコストを払っている。プロジェクトマネジャー(オーナー、スポンサーでもよい)はプロジェクトを継続すべきか中止すべきかの判断を求められている。
この場合、まず、現時点における費用便益分析を行なうのが正しい。
しかしながら、費用便益分析の結果、プロジェクトを中止すべきなのが明らかであっても、これまでに投資したコストが大きい場合、その投資を回収しようとする心理的なバイアスがかかり、プロジェクトの継続という誤った判断をしてしまうケースがある。これは、「サンクコスト効果」「サンクコストの呪縛」などと呼ばれる。有名な例では、コンコルド開発プロジェクトがある。これから、サンクコスト効果のことを「コンコルドの誤り」とも呼ばれる。
サンクコスト効果は、経済学の世界では極めて初歩的な考え方だそうである。一方で、「せめてこれまでの投資分だけでも回収したい」と思うのも人間の心情としては容易に想像できる。これは、「もったいない」「無駄にするな」というヒューリスティクスが意思決定に影響を及ぼしているとも解釈できる。
Adam Smithは、「国富論」の中で、「だれもが利得の機会を多少とも過大評価し、またたいていの人は損失の機会を多少とも過小評価する」と述べている。行動経済学では、さらに詳細にリスクの高低と利得・損失の組み合わせパターンが詳細化されていて、実験によってその特性が明らかになっている。
プロジェクトマネジャーは、プロジェクトマネジメント活動において、自らの行動、ならびに判断に誤りがないか、つねに注意を払うことが必要であるが、それには、人間的側面における陥りやすい罠にはまっていないか、注意深く省みることが重要である。
参考文献:
アダム スミス,「国富論」,岩波書店
友野 典男,「行動経済学 - 経済は「感情」で動いている」,光文社
依田 高典,「行動経済学 - 感情に揺れる経済心理」,中央公論新社
菊澤 研宗,「組織は合理的に失敗する」,日本経済新聞出版社
ゲルト・ギーゲレンツァー,「リスク・リテラシーが身につく統計的思考法 - 初歩からベイズ推定まで」,早川書房
飯吉 厚夫,村岡 克紀,「ビッグプロジェクト - その成功と失敗の研究」,新潮社
※PMP、PMI、PMBOK、PMBOKガイドは米国Project Management Institute, Inc.の登録商標である。記事中の表記は省略した。
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