P2M研究会
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希望について

東京P2M研究会 内田 淳二 (PMR) [プロフィール] :3月号

【はじめに】
PMAJオンラインジャーナル編集長曰く、「ジャーナルは、P2M実践者がその活動を通じて多くのP2M実践者との交流を深め、長い閉塞状況にあるこの国を、再び活力あふれる国にしようではないかと思う人々のためのものにしたいと・・。」そこで今回、ジャーナル編集長の許しを得て、思うところを書かせていただくことにした。テーマは、「希望について」である。エンジ業界と自らの30年を振り返り、これからの10年を俯瞰し、【ありのままの姿】から、自らとエンジ業界の【あるべき姿】を描いてみた。

希望:自分がこう成りたい、人にこうしてもらいたいと、よりよい状態を期待し、その実現を願うこと。また、その事柄。〔新明解国語辞典より〕

【ありのままの姿】
 筆者は、1979年に京都の大学を出て、エンジ会社に就職した。関東に移り住み三十有余年をプロジェクトマネジメントを生業とする業界で飯を喰わせてもらって来たものである。1979年は、イラン革命のあった年で、今から振り返るとイスラム世界が世界に躍り出て西欧中心の世界システムに変革を求めた始まりであった。中東では、大規模な油田が発見され始め、20世紀文明の発展に不可欠なエネルギー資源を巡って世界規模でせめぎあいが繰り返されていた。当時、世界の人口は、まだ44億で地球には、石油文明の発展拡大を受け入れる余裕があった。そして敗戦から奇跡の復興を果たした日本は、石油文明の発展拡大の恩恵を最も受けた国として世界第二位の経済大国にのし上がっていた。明日は、今日より豊かであると信じて疑わない時代が、まだ続いていた。経済規模の拡大が正義であった。何のための経済発展かは、誰も問うことは無かった。経済的繁栄により平和で安心・安全な国家を築けるとの暗黙の了解があった。すなわち、国民の間で共有できる希望があったからである。しかし時代は、変わった。
 先ごろの内閣総理大臣の施政方針演説によると、「平成の開国」「最小不幸社会」「不条理を正す政治」の実現が現政権の目標ということだが、実現した暁に目指すべき国の姿は、これまでと変わらないかに見える。「強い経済」、「強い財政」、「強い社会保障」と言い換えても、同じである。本当にそうだろうか?

【あるべき姿】
 1991年、ソ連崩壊。世界のパワーバランスが崩れ、政治も経済も新しい秩序を求めて動き出した。湾岸戦争に端を発した既成秩序へのイスラム世界の挑戦は、2001年9月11日、米国同時多発テロとなって顕われた。現在は、形を変えてアラブ世界に動乱が連鎖的に発生している。日本では、55年体制と言われた東西冷戦の継続を前提とした自民党独裁政治が終焉し、政治の流動化が始まり(細川連立内閣発足:1993)、地下鉄サリン事件(1994)、阪神淡路大震災(1995)など日本史に特筆すべき出来事が続いて起こり、繁栄の基盤たる政治の安定が失われ現在に至る混迷が続いている。世界の変化に気づかぬままに繁栄を謳歌していた時代は、長くは続かなかったのである。あれから20年、日本の経済は停滞を続け、現在に至っている。政治の目標は、「国民の生活を一番に考える」、「生活大国日本」などと言われ続けているが、国民の間で希望は未だに共有出来ていない。
 2010年6月に政権交代が行われた。官僚主導の国家運営では、この国の未来が託せなくなったと、国民の多くが感じた為の政変であったが、現時点では、国民が望んだほどの改革は成し遂げられずに現在に至っている。その原因は、何だろうか?
 現在の日本には、「何でもある。」しかし、「希望が、無い。」と筆者は思う。筆者には、高三と高一の息子が居り、二人とも文武両道に励み、学園生活を謳歌しているように見えるが、未来に対する野望のようなものは感じられない。未来を託すべき子供達に活気が感じられないのは、何故だろうか?親である者の責任を感じる。そこそこの生活が出来れば、多くを望まない生き方が好ましいと思って生きて来た為、託すべき未来を語ることをして来なかったことが原因ではないかと反省する昨今なのである。
 世界に目をやれば安穏としたことを言ったりしたりしている場合ではない状況であるとつくづく思う。この国の行く末は、万全ではない。筆者は、世界の安定に貢献出来る文化文明を築き上げた誇るべきこの国を守る使命を子供達に託したい。国を開くのも、弧族を無くすのも、産業の活性化も、国民が共有出来る希望を語ることで実現出来ると考える。
P2M同好の士よ、今からでも遅くない。託すべき未来を後世に伝えて行きましょう。

【結び】
-希望とは、もともとあるものだとも言えないし、ないものだとも言えない。
それは地上の道のようなものである。地上にはもともと道はない。
歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。-
by魯迅
以上
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