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「変化するリスクマネジメント (6)」

河合 一夫 [プロフィール] :10月号

 本連載は,リスクマネジメントの変化をテーマとしている.今回は,先回の続きである二クラス・ルーマンの主張をもとに,複雑さへの対応について考えてみたい.二クラス・ルーマン(Niklas Luhmann, 1927 - 1998)は,ドイツの社会学者であり,オートポイエーシス(自己創出)という概念を中心に理論を展開した.ルーマンの理論をここで紹介するのが目的ではない.筆者の手には負えない.ルーマンの理論を知りたい方は,関連する文献(最後に参考文献をまとめておく)を参照していただきたい.ここでは,ルーマンの主張(その一部になるが)を通じてリスクマネジメントのあり方を考えてみたい.
 プロジェクトは,意思決定の積み重ね(意思決定のサイクル)である.その過程において,リスクマネジメントは,意思決定で選択される行動の結果を予測し評価する役割を持つ.これまでのリスクマネジメントで提供されているデシジョン・ツリーに代表されるツールは,“限定された状況”においてのみ利用可能である.言いかえるならば,プロジェクトの持つ“複雑さ(選択肢)を縮減”し,単純化した場合のみ適用可能である.
 考えられる全ての選択肢を洗い出し,評価し,その結果最も合理的だと思われる選択肢を選ぶことは,限られた時間の中で実施することはできない.また,そもそも複雑な状況の中で,起こりうる変化に対応する全ての選択肢を認識することは不可能である.経験から得られた暗黙知(それが個人であれ組織であれ)を利用して状況を単純化して選択肢を絞り込むことを実施している.ルーマンは言う,「人は無視することができることによってしか行動することはできない」(山口節郎,現代社会のゆらぎとリスク,新曜社,2002,p.166).
 プロジェクトが,限定された状況の中での意思決定であり,他に可能な選択肢を排除(無視)することでのみ可能であるならば,この意思決定は常にリスクを伴ったものとなる.こういう状況にどう対応していけばよいのか.いかに複雑さを縮減し,リスクをマネジメントしていくか.ルーマンの“信頼”の概念にヒントがあるように思う.
 信頼に関して,ルーマンは次のように述べている.少し長くなるが引用する.「いまや我々としては,信頼の問題をいっそう明確に規定して,リスクを賭した前払いの問題として捉えることができる.世界は,もはや制御不能な複雑さにまで拡大しており,その結果,他の人々は如何なる時点においても自由に多様な行為を選択しうるに到っている.しかし,この私は今・ココで行為しなければならない.他者がなにを行うかを観察し,それにもとづいて自分の態度を決めていくには,観察し態度を選びうるための時間は短い.その時間において把捉して消化しうる複雑性はほんの僅かであり,従ってそこで獲得されうる合理性もごく僅かである.しかるに,もし私が他者の未来の規定された行為を(あるいは現在,過去の,いずれにせよ私にとっては未来になってようやく確定可能な行為を)信頼しうるならば,複雑な合理性へのチャンスはもっと多くなるであろう.」(二クラス・ルーマン,大庭健+正村俊之訳,信頼,勁草書房,1990,p.39).ルーマンが述べている信頼をプロジェクトにおけるリスクマネジメントに敷衍する.ただし,ここではリスク・コミュニケーションにおける信頼の構築に関しては,別の機会に譲るとして触れない.
 “信頼”により,プロジェクトの複雑さが縮減されることは明らかである.例えば,外部委託先を信頼することでプロジェクトが円滑に推進できた経験を持っている方も多いと思う.信頼することで,一括して委託することができるタスクも,信頼がなければできない.信頼の度合いにより委託先の成果に対する監査においても,時間のかけ方が違ってくる.ここで重要なのは,“信頼”と同時に“不信”もあることである.
 ルーマンは,「システム合理性は,信頼にのみ固有なものではない.むしろ,システム合理性は.信頼と不信の両方にまたがる水準にあり,いいかえれば,根源的な世界関係を信頼ないし不信という構造化された二つの選択肢へと二股図式化することにある.」(二クラス・ルーマン,大庭健+正村俊之訳,信頼,勁草書房,1990,p.166).これをプロジェクトに敷衍するならば,プロジェクトにおける意思決定では,信頼の水準と不信の水準をリスクマネジメントにおいて明示的に扱うことである.
 プロジェクトの基本的な活動として,本連載の最初にDRLサイクル(下図)を示した.ここに信頼と不信の概念をいれて考えることで冒頭にのべた複雑さへの対応を考えることが可能となる.意思決定サイクルにおいて選択し行動する中で信頼と不信の水準を明確にし,それをリスクマネジメントにおける評価に利用することが必要となる.先に示した外部委託の例では,信頼とともに不信の水準を明確にし,委託先との関係を構築する.その結果を,次の意思決定に利用する.即ち,委託先に対するリスクの評価を,信頼と不信の水準という構図で評価するということである.信頼と不信の水準を扱う具体的な技法・ツールは今後の課題であり,ここでは概念レベルでしか述べられないのは筆者の力不足である.
 今回は,ルーマンの“信頼”の概念からリスクマネジメントを考察した.少し粗っぽい論理の展開で,考察の足りない部分は多々ある.しかし,ルーマンの理論をベースとしたリスクマネジメントを考えることには意味があると思う.本稿が今後のリスクマネジメントを考える際の嚆矢となれば幸いである.次回は,ITILなどの様々なフレームワークにおけるリスクマネジメントを眺め,リスクマネジメントの変化の芽を考えてみる.
DRLサイクル
■ ルーマン関連の主要な参考文献
・ 二クラス・ルーマン,大庭健+正村俊之訳,信頼,勁草書房,1990
・ 小松丈晃,リスク論のルーマン,勁草書房,2003
・ 二クラス・ルーマン,ディルク・ベッカー編,土方透訳,システム理論入門,新泉社,2007
・ 馬場靖雄,ルーマンの社会理論,勁草書房,2006
・ 二クラス・ルーマン,佐藤勉訳,社会システム理論の視座,木鐸社,1985
・ ゲオルグ・クニ―ル,アルミン・ナセヒ,館野+池田+野崎訳,ルーマン社会システム理論,新泉社,1995
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