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生活改善委員長

東洋トランスポートエンジニアリング株式会社 代表取締役 明石 高典:12月号

 私が生活改善委員長に就任してからかれこれ30年は経つであろうか。といってもこれは我が家でのことである。所帯をもってから電気器具の修理、電球の交換や水道栓のパッキン交換など、こまごまとした住まいのメンテは自然と私の担当となっており、ある日自らを生活改善委員長であると宣言したのである。勿論委員はたった1人の相当フレキシブルな組織である。少し前まで住居は修繕するところが結構あった。電気器具をはじめとして水道、ガス、冷暖房、などの生活に欠かせない設備に起こる不具合が起こるたびに生活改善委員長の登場である。かかりつけのドクターのようなもので、たちどころに問題解決したときなどは感謝とともにちょいとした尊敬の視線を背中に感じて決して悪い気はしないものである。
ところが最近はメンテナンスフリーの設計や製品の品質が向上したせいか、壊れることが少なくなってきた。というよりも、不具合が起こるときはそのまま全取替えというようなことが多くなってきた。本体はしっかりしていてまだまだ使えそうでも、電子部品のお陰で泣く泣く廃棄というありさまである。便利な世の中の代償かもしれぬが、今や修理して使うということが少なくなってきている。
 このように便利な道具や環境に慣れっこになってしまった現代人であるが、そんな便利な道具が少なかった18世紀前半のバッハの時代に思いを馳せれば、ほぼ手作業中心でしかも家内分業で生活が進行していた苦労が偲ばれる。バッハは毎週教会暦に沿って行なわれる説教にふさわしいカンタータを演奏するために、先ず曲を作り、パート譜に書き写し、歌手や演奏者の練習をし、はたまた合唱団も訓練するという八面六臂の活躍を続けていた。それは家族全員動員の分業で成し遂げられたプロジェクトとも言える。プロデューサーでありコンポーザーであり、プレーヤである姿はさぞかし家族の尊敬に満ちた視線を背中に感じていたのではなかろうか。そしてそれが作品を創る原動力になっていたのかもしれない。コピーもパソコンも無い時代にこのように作品をなすには苦労もあったであろうが、ハンズオンの楽しさもあったと想像する。それらの作品は今や集大成され偉大な天才の遺産として残され、現代に蘇っているのは驚異的とも言える。

 さて、昨今は益々便利な世の中になりハンズオンの部分が少なくなってきたが、まだまだ改善するテーマはたくさんあろう。筆者はエンジニアリングを業とする業界に長く籍を置いているが、エンジニアリングの適用範囲は広く、その課題解決型手法にプロジェクトをマネジメントする力を加えることで世の中の役に立てる分野は広いと確信している。現在はプロセスプラントとは異なる分野にチャレンジをしているが、これまで培った経験を基に、頼りにされ、感謝され、自らもワクワク感のある仕事を創り上げたいと思っている。

 さて、我が家のことに目を転じれば、PCやインターネット、無線LAN、はたまた自宅の改造、太陽光発電、マイクロガスタービン、屋上緑化、子供の安全、保育環境の充実、シルバー人材の活力向上など、まだまだ生活改善委員長としての仕事は続きそうである。
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