宇宙ステーション余話
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「国際宇宙ステーション余話」

長谷川 義幸:10月号

第 12 回

■宇宙ステーション参加当初は明治維新の状態
我が国は、国際宇宙ステーション「きぼう」日本実験棟の開発で、初めて宇宙先進国の仲間入りをしました。1986年から本格的な国際会合がNASA主導で開かれ、我が国の代表も参加して技術調整を行うことになりました。1986年から始まった概念検討調整では、欧米の当事者間の調整が事前に行われ、その調整内容を公式の席上で我が国に押し付けられることがあったそうです。 筆者は1990年からこのプロジェクトに参加しましたので、それ以前の苦労は、JAXAの先輩および開発企業の方々から数々聞いたものです。 大部分が国際交渉での苦労話です。宇宙ステーションの最初の数年間は、日本が幕末から明治に移り、明治政府により欧米に若い政府要員が多数派遣され、国際交渉を始めて経験することや異なる文化により戸惑いながらも果敢に西欧列強の先進文化・技術を学んだ状態に似ていると感想を漏らしていました。しかし、この超大型国際プロジェクトへの参加により、NASAがどう参加国を引っ張ってゆくのか、欧州・カナダは自国の国益を守るためどう対応してゆくのかをまざまざ体験することになりました。

■国際会議の中で戸惑う
 当時は、ワーキンググループが400以上あり、四六時中会議が開かれていました。日本からも出張し、会議にでて、アクションを持ち帰り、対処案を作成し、また出張するという対応でした。分野毎に会議が並行していくつも開かれるのでJAXAと企業の方々で構成するチームを編成、分野毎の横通しをして方針がぶれないようにしていました。しかし、我が国に有人宇宙の開発や運用を知っている人がいないので、類似の潜水艦、ロケット、人工衛星の技術、化学・石油プラントでのシステムインテグレーションの技術、および商社やコンサルタント会社との契約による米国や欧州、ロシアの有人宇宙技術の調査を行い、我が国の宇宙ステーションの目的、活動内容、構成、技術課題、プロジェクトのコスト、リスク、調達、人材の確保、体制等に反映してマネージメントを実施していました。 「きぼう」が宇宙で活動を開始した今振り返ると、当時のプロジェクトマネージメントはあまりうまくないのが分ります。国際会議は部門によりますが20−30人参加の会議、50−60人参加のものもあります。宇宙飛行士が参加する場合もあり、ワーキンググループですので会議の内容により参加者は大きく増減します。 しかし、50人くらいの会議に日本人が10人位参加しても、意見をいっているのは1人か2人。 あとの日本人は静か。その理由は、議論の英会話のスピードが速く、内容が聞き取れないので、全体の方向と内容が把握できなかったり、欧米の仕事の進め方が理解できていないので、どこで意見や質問を言えばいいのか分らず、そのきっかけがつかめないでいたためでした。NASA、ボーイング、ロッキード等米国宇宙企業、欧州宇宙機関やその支援企業等の欧米人は説明の途中であろうとどんどん質問して討議に加わり、自分の意見をいれてゆきます。たとえ、それが本質から外れているとしても、自分の存在を示し、意見を言って議論の方向性を自分に有利にするため、躊躇しません 電話会議(テレコン)もありましたが、テレコンを嫌う人は参加当初は多かったそうです。英会話のハンディーもあり、それ以上にテレコンでの会議の進め方が分らなかったためでした。現在では、度胸がすわり英会話が上手な人が増えましたが、欧米人の仕事の進め方や、相手とのコミュニケーションのとり方、特に相手の気持ちを察する方法が分ったきたためでしょう。筑波宇宙センターでは、毎日朝から夜遅くまで、どこかの部屋でNASAのいろいろな分野とのテレコンがあり英語での議論のやり取りや笑い声が聞こえています。あまりうまい英語とはいえないのに十分内容は通じているようです。

■日本の存在感がでる
 「きぼう」を設計・開発して我が国の存在感がでてきたのは、打上げ実機を組上げて実験棟の形が見えて本格的なシステム試験のころです。NASAやボーイングが日本に来て組みあがった「きぼう」の船内実験室や船外実験プラットフォームをクリーンルームや熱真空試験室で見たとき、また、電力・通信の国際間組合せ試験に参加して、その機能・性能が米国のそれと同等だったり、部分的には米国の性能よりいい性能がでるのを見てから、日本に対する態度が徐々に変化していきました。「きぼう」のケネディー宇宙センター打上げ時には、NASA、欧州宇宙機関,カナダ宇宙機関の方々からそのできばえに 「Big and Beautiful !」 との言葉が寄せられました。 また、打上げ前の運用準備NASA審査会で、「きぼう」の不具合の残件数が一桁であったのを見たNASAやNASA支援企業の方々がびっくりして、「この数値は桁が違うのではないか」、と質問してきました。国際宇宙ステーションで打ち上げるモジュールは、打上げ直前まで2桁以上の残件数やアクションアイテムが残っているのが過去の実績であったのです。 「日本人だから、技術要求は、期日までにすべて解決するのがわれわれのやり方。トヨタやホンダの車のように不具合はすくなく品質を高くするような仕組みをもっている」、と説明すると、自分も日本車をのっているが、確かに故障がほとんどないと何人かがいいました。 宇宙ステーション参加当初、明治新政府の若い要員のように、世界の中で仕事をするようになりましたが、宇宙先進国の中のでプロジェクトの進め方を身をもって学びました。その体験をした企業の多くの方々は、宇宙以外の部門に異動しましたが、別の分野で欧米の仕事の進め方を応用して仕事を効率よく動かしています。
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