関西P2M研究会コーナー
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「過去の成功を成就させた基本原則」と人材育成

関西P2M研究会 小石原 健介:9月号

 朝日新聞夕刊(7月22日付)の一面に大きな見出しで“非正社員頼み限界、生産性長期雇用カギ、「人材育成に力を」”の記事が掲載されていた。厚生労働省が発表した08年版「労働経済の分析」(労働経済白書)は、企業が競争力強化のために進めた正社員の絞り込みとパート・派遣など非正規雇用の拡大が、かえって生産性の上昇を停滞させている、と指摘している。その上で日本型の長期雇用に回帰して人材育成に力を入れ、一人が生み出す付加価値を高めることが、人口減少社会で経済を持続させるカギと提言している。
 さらに記事では、90年代から00年代にかけて、コスト削減などの目的に正社員の絞込みが進み、サービス業、製造業での非正規労働者の割合はそれぞれ24.6%(92年)から39,7%(07年)、17.7%から22.9%に拡大している。また、白書では「生産性の高い伸びは就業者の削減により実現した」と分析。この手法には限界があり、「持続性を持った生産性の向上としては評価しがたい」、「高い生産力を担う労働者は、企業の中で豊富な職務経験を積み重ねながら育成される」として企業に計画的な新卒者の採用や長期的な視点に立った人材育成を求めている。

 この記事を読み、日本型人材育成の回帰について私の脳裏に浮かぶのは、高度成長時代の70〜71年にかけて福山にある某製鉄所の第二製鋼工場建設工事の現場所長を務めた際の井関組との出会いである。この会社は、とび工事専門の二次下請会社で、社長の井関さんは、日本の伝統的な寺小屋式と全寮制による人材育成システムの実践者であった。中高出の若者社員を自宅で預かり相撲部屋同様の生活を通して、礼儀作法にはじまる全人教育、プロのとび職としての基本教育が施されていた。10代の若者は訓練生の腕章をつけ現場でのOJT。そして一日の仕事を終えた宿舎では職長を中心にその日の反省や翌日の仕事への綿密な段取り、工法の検討が日課となっていた。彼らの仕事への真摯な取り組み姿勢、人間性に感銘を受けた私は、工事完了に際し、何とか彼らの労苦と貢献に報いたいと考え、会社から井関組へ感謝状を贈ることを申し出ました。直属の上司からは、直接の契約関係にない二次下請会社へ感謝状を贈るのは、前例がなくそれは難しいと言われました。この上司の言葉に諦めず、さらに上層部へ働きかけて贈られた感謝状は、その後、井関組の金看板として長く事務所に飾られていました。

 ところで、私は大学での4年半を神戸の深江の地で、全寮生活を送ることができました。当時、戦災でゼロから再出発した施設のなかで、学生寮はずばぬけて立派であった。そしてこれは海員の養成にとって全寮制度は不可欠、という当事者たちの強烈な信念の所産であった。また、海上の非常事態に対処しうる根性の養成にとってどんな教育が必要かとの問いに対して、ある教授は「正式な単位として盛りこむことはできないが、やはり全寮制はそうした心の支えになるのではないか」と答えている。全寮制で集団生活にもまれた同窓たちは、他人を思いやり人に迷惑をかけない精神が自然に身についたといえる。残念ながらこの伝統の全寮制は時の流れにより88年廃止された。来年4月には入学から50年を迎えるが、同窓たちは、当時の全寮制による人材育成システムの素晴らしさ・有効性を異口同音に懐かしく述懐している。

 振り返ってみよう、戦後、日本は、世界の人びとの目を見張らせるような発展を遂げた。その発展の根源について、馬場敬三「無意識のマネジメント〜日本の経営強さの根源」(89年)は、「日本人の特徴としての独自のものの考え方をその基調にもつ社会に根ざした企業経営によるもので、とりわけ、人間尊重による無意識のマネジメントである。」と述べている。また、80年から87年頃にかけて日本的経営ブームの時代に世界的なベストセラーとなったW・オーウチの「セオリーZ」(81年)は、日本的経営の本質について、「終身雇用と転職を経ないで同一社内で定期的に異動する遅々とした昇進、その二つのシステムが可能とする長期的な人材育成ならびに命令や責任権限の曖昧さがもたらす包括的で柔軟な管理スタイルである」と指摘している。

 その後、80年代末のバブル経済の破綻と同時に失われた10年と言われた90年代は、一変してこれまでの日本的経営への批判と反省による自信喪失の時代に入り、日本的経営の崩壊・転換説が盛んとなった。そして21世紀を迎え、グローバル競争時代の名の下に市場経済原理主義を信奉する米国型の経済社会へと突き進み、人間尊重に根ざした企業経営や長期的な人材育成システムなど「過去の成功を成就させた基本原則」は、失われていった。今日の行過ぎた市場経済原理主義の風潮は、パート・派遣など非正規雇用の拡大、格差社会を加速させ、若者を中心とした多くのワーキングプアを生み、食品をはじめさまざまな業種での偽装行為による企業倫理の崩壊とあわせて社会の荒廃につながってきている。

 また、今年に入り若者による凶悪さの際立った無差別殺傷事件が頻発している。一連の事件に共通しているのは、「だれでもよかった」「むしゃくしゃしていた」などで容疑者のあまりにも身勝手さに言葉を失う。今日の世相が若者をしてこうした自暴自棄になる人を生む一因になっているのかもしれない。

 「温故知新」、日本社会は、改めて日本的な組織風土・文化・人間尊重に根ざした日本的経営や人材育成システムの独自性について「過去の成功を成就させた基本原則」を再認識する時期に来ているのではないか。
以上
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