関西P2M研究会のルーツを探る
関西P2M研究会 松谷 知成:8月号
1.はじめに
関西P2M実践事例研究会も今年で3年をむかえる。
1年目、2年目は5つの分科会、今年度は1つ減って、4つの分科会でスタートした。
小石原主査中心に、現在42名のメンバーにて活動している。
2ヶ月に1回の全体会議、そして、概ね1ヶ月に1回のペースで分科会活動が実施されている。メンバーはPMS資格保有者中心に、小石原門下生が大半である。
事務局として、関西の『小石原塾』のルーツを探ってみたい。
2.関西P2M研究会の前身
2004年初、関西地区での会員が、100名を超え、関西委員会(現 関西運営委員会 委員長 浅田孝之教授:大阪大学)にて、関西地区P2Mクラブ会員の相互交流による研究会立ち上げが提案される。
提案者の1人でもあった小石原氏を相談役に、有志が集まり『プロジェクト・バランススコアーカード』小原重信・浅田孝之・鈴木研一編の輪読を中心としてP2Mクラブ関西
分科会を立ち上げる。
酒井清則氏をリーダーとして10名にてスタート。(2004.6)
その中の、岩崎、林、守能、上原、海蔵各氏が引き続き現在の研究会メンバーとして活躍されている。
輪読の役割は、それぞれの業界事例を担当、そして会場も持ち回りを原則とした。
最大のイベントは、第5回分科会 川崎重工業神戸工場開催であった。(2004.10)
梅田氏(川崎重工業)ご担当は、第8章 建設エンジニアリングプロジェクトである
当日ご担当の梅田氏の発表の後、小石原氏の特別講演『ドーバー海峡プロジェクトの課題』を拝聴、そしてお目当ての神戸工場見学と続く。
佐藤氏(川崎重工業)のご案内で、全員ヘルメットをつけ工場内をカッポする。
ヘルメット姿は、緊張感もあり、みんな、賢く見えてくるようである。
もちろん、中には似合わない人もいたが・・・
わざわざ、本部から駆けつけた人など頭が大きすぎて、ずいぶん苦労していたようである。
当時は、造船が活況の時代、ドッグは満杯であった。明治初期に開設された第一号ドッグは現在、使用されてないとのことだったが歴史と風格を感じさせる。
定番の交流会は、神戸港を見下ろす絶景の地、ハーバランド・モザイクの居酒屋さん。
小石原氏もご一緒に合流、川重神戸工場の歴史のウンチクに話が盛り上がる。
輪読シリーズ終了後、2005年4月 BSCツールのご紹介(海蔵氏)にて1つの区切りをつける。
そして、2006年新生PMAJ発足とともに、東京P2M研究会と連動、関西P2M研究会が小石原主査を中心としてスタートする。
3.3年目を迎えて
各、分科会毎の温度差はあるが、それぞれのリーダーの個性が出て年度末の成果発表会が楽しみである。
さらに、成果の発表の場は関西例会、PMフォーラム関西(来年度は京都にて開催予定)そして、P2Mセミナー。
又、今年からは浅田先生からのご提案で、大阪大学中之島センターで開催している『産学連携P2M研究会』もある。
院生含めての研究会は、平均年齢がグット若返り、いい刺激になる。
又、中間時点で企画している、松下電器の保養センターをお借りした合宿形式の研究会も概ね好評である。
毎年、渡辺貢成氏にもご出席頂き、ご指導を頂いている。
しかし、事務局としての課題もいくつかある。
@ 新たなメンバーの参画(行政、金融、流通他)
A 分科会毎の横串機能の充実(2ヶ月に1回の全体会議の工夫)
B 報告書まとめの負担軽減(個人ごとのバラツキ)
C 交流の場づくりの工夫(含む予算化)
D 他地域P2M研究会との交流
よく、世間では3年目の危機といわれる。
会員同士の交流、研究の場づくりは、普及啓蒙活動の原点と思う。
『小石原塾』の活性化における、事務局としての私の役目は、重かつ大である。
今年も、新たな気持ちで、メンバーの活動しやすい場作りに努力していきたい。
以上
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