ダブリンの風(59) 「信 号 無 視」
高根 宏士:4月号
先月イージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突事故があった。被害者のお二人には本当に痛ましい思いがする。今回の事故の原因は、聞いている範囲ではイージス艦の方にあると考えられる。船が頻繁に行きかう場所で自動操舵のまま運転し、見張り役もほとんどその機能を果たしていなかったらしい。海上交通の決まりさえ意識していなかったとしか言いようがない。
今回の事故は陸上交通で言えば信号無視以前の問題である。信号無視は少なくとも信号があること、それが「赤」であることを認識した上で無視をする。今回の事故はそのようなことさえ、意識に上っていなかったことになる。全ては自動操舵にお任せである。見張り員は雨が降ったら甲板に出なくてもよいらしい。もし漁船が自爆テロを意図したものだったらどうなっていただろうか。一体何のための自衛艦なのか。1艦あたり1500億円かかるといわれているが、その投資が何の役にも立たなかったらしい。どんな近代的装備もそれを扱う人間の意識が伴っていなければ無駄であるだけでなく有害なものになることはよくみられる例である。
ところで陸上交通における交通信号は幼稚園の園児でも知っている。「赤信号」では止まる、「青信号」では通過しても良いことになっている。この規則は守るべき規則である。
しかし現実問題として、歩いていて見通しの良い道路に差し掛かり、車が1台も見えないが、信号が「赤」になっている場合どうするかは悩ましい問題である。ある人は信号を守って待つ、他の人は守らない、もう一人は周囲を注意深く見回し、安全なことが確実と判断した場合は守らないで横断することを選ぶ。この3人の判断のどれを選ぶかはリスクマネジメントの問題である。
第1の選択としてどんな場合でも信号を守るのは事故を起こさない、安全という意味では最もリスクの少ない選択である。しかし車が来ないことがはっきり認識できるときにただ「赤」だから待つというのはいかにも時間を無駄にしているように思われる。ある外国人が「日本人は車が来ないことがわかっていても赤信号だと横断しない。我々はそのような時には問題ないから横断する」と云っていた。現実には日本人も全てが待つ選択をしているわけではないが、外国人に比較して、この選択をする人が多いのであろう。
第2の選択として可能ならばどんな場合でも赤信号を無視して、横断する選択は非常にリスクの高い選択である。多少の時間を稼ぐために大きな事故を起こすリスク発生確率を極端に高める。朝、時間ぎりぎりで通勤している人とか、何かに急かされている人達に見られる現象である。酔っ払いも見かけ上このような選択をしているように見えるが、これは選択以前の問題であり、信号を認識していない。イージス艦乗組員と同じレベルである。
第3の選択は最も効率の良い選択と考えられる。きちんと周囲を見回した上で横断するのだからリスクも第1の選択と同程度であるし、無駄時間も少なくなる。ただしこの選択は個人的には良いと思われるが、全体としてみた場合は留意すべきことがある。例えば小学校の近くで児童が見ているときにこの選択をすると大きな問題を発生させる。それは児童にとっては大人がリスクを判断した上でやっているとは想像できないので、大人が単に信号無視しているだけとしかわからず、第2の選択と同じと思われ、自分たちもやっても良いと考えられるようになる。その結果社会は混乱してくる。この辺まで考慮した上ならば第3の選択は意味があると思われる。
プロジェクトにおいても似たようなことがある。例えばタイムマネジメントのネットワークダイアグラムにおいて、A、Bという作業があり、AがBの先行作業で、BがAの後続作業という依存関係にある場合、BはAが終了するまで開始できない。それはAの結果がBの作業に影響するからである。ところがスケジュールが遅れ、Aの作業が終了するまでBの作業を待たせておいては納期に間に合わなくなる時にファーストトラッキングという手法が使われる。この手法は先行作業の終了を待たずに後続作業を開始させてしまうことである。この手法ではAの結果を想定し、それを基にBの作業をすることになるから、Aの結果が想定したものと違った場合、Bの作業はやり直しというリスクがある。したがってファーストトラッキングを使う場合先行作業の結果を高い確率で予想できることが肝要である。この点に留意しないままファーストトラッキングを使うことは信号についての第2の方法を選択することになり、大きなリスクを抱え込むことになる。しかしファーストトラッキングを一切採用しないことは信号についての第1の選択になる。先行作業の結果を高い確率で予想し、しかもそれが外れることに対しての対応策を検討した上であえてファーストトラッキングを採用することは第3の選択である。
このようなことをきちんと検討せずにPM知識体系に書いてあるから言うだけで技法やツールを機械的に使用することはイージス艦における運航している船が多い海域での自動操舵選択と同じになる。
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