PMプロの知恵コーナー
次号

プロジェクトマネジャーの表業(おもてわざ)、裏業合わせて一本 (1)

芝 安曇:4月号

 オンラインの編集長がオンラインを少し砕けたものにしたいという。日本人は基本的にまじめだからPM(プロジェクトマネジメント)もまじめすぎて、時にぎすぎすしすぎる。お前はやくざなところがあるから何か書いてくれという。どうせ私はしがないエッセイストであるが、やくざにはやくざなりのよさはあると心に決めて執筆を引き受けた。
 考えてみるとPMは少々ややこしい。うまくいかないことが多い。うまくいかないからといって、どこかの国の総理大臣のように立ち止まっているわけには行かない。やくざならどうするか。「押して駄目なら、引いてみろ」のたとえもある。表業だけでなく、時には裏業も必要である。しかし厄介なことに人間にはそれぞれ性格と言うものがある。表業好みの人間と、裏技が好きな人間がいる。

 表の好きな人間は王道好みである。エリートはこの種に属す。成功すると「頂上への階段」が用意されている。しかし錦の御旗を掲げて進むから、時に敵と正面衝突し、事態がこう着状態となる。さて、この表業師は残念ながらこの「こう着状態」に弱い。価値観が一つだから、わき道が見えない。この事態になると不思議と裏業師が登場する。これが歴史物語の面白さである。裏業の好きな人間は人の意表をつくことを得意としている。意表をつくことを考えることに無上の喜びを感じる人種といえる。結果として思わぬ成功を納め、その快感のために裏業稼業を止められず、常に裏業街道を歩み続けるという宿命がある。

 では表業を特技とするグループは相手をどのように眺めているのだろうか。こちらはエリートである。気位は高く、将来が見えているから、当然のごとく裏業師を「なんとなく胡散臭い人間」と見下げている。では裏業師は表業師をどのように見ているか。表業といって取り立てて立派な案があるわけでなく、定石どおり手を打って、デッドロックにのし上げられると打つ手が出てこない。タテマエだけを推し進めているが「頭を使わない人間」と見なしている。心の中でこれらエリートを「勉強した馬鹿な人種」と見下げている。

 人間はこの2つのタイプがあるが、見事に分離されているわけではなく、その割合が20−80だと、明らかに表業師か裏業師か分類できる。しかし、多くの人はそれぞれの素質をある比率で持っており、自分でもどちらの部類か良くわからないといえる。

 プロジェクトの世界に戻ってみる。ここでは常に問題が発生している。そしてこれらの問題は教科書に書いていないことばかりである。これでは表業が使えない。「ほれ見ろ表業など役に立たぬわい」と裏業師は自己の出番の到来に誇りを高くする。そして裏業師はこれらの問題を解決してしまう。

 さて、ここからが問題である。読者は「何故表業が役に立たないか」と考えたことがあるだろうか。これを考えない人種が実は表業の使い手である。表業師は問題の正解は常に1つと考えている。
 裏業師は周囲が納得すれば解決だと考えている。極端な話しが、黒を白と言いくるめてもステークホルダーが全員納得すれば黒は白として通用すると考えることのできる人種である。このように考えると裏業師は幅広い発想でものを考えられる人種といえる。どうです「この素晴らしさ」を理解できたかな。

 では、表業は不要かというとさにあらず。「日本のIT業界は表業を知らないばかりに、残業に、残業を重ねて裏業の仕事に心身を費やして、うつ病患者を多く生みだしている」というのが現状である。言い換えると表業を正しく使えないと、裏業しか使えないというのが実体である。

 4月号のまとめ:表業を実施すると業務が正常に機能し、少ない時間で正しく達成できる。表業を無視するか、知らないと、常に裏業を使う羽目になり、残業や苦痛という罰則が適用される。正解は表業を学び正しく適用すること、しかし、大勢の人間が関与するプロジェクトでは多くの問題が日々発生する。これらの問題は先送りをすることなく、裏業を使ってでも、すばやく問題の解消に励み、プロジェクトを軌道に乗せることが正しいプロジェクトの運営方法である。プロジェクトマネジャーは常に表と裏の技を持ち合わせ、合わせて1本である。
以上

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