PMプロの知恵コーナー
先号

「夢工学(64)、(65)(66)

川勝 良昭 [プロフィール] :3月号

悪夢工学

3 悪夢工学的人事組織論
●悪夢工学的人事論
これは、一語で言えば「悪夢工学」の人事論である。悪夢工学的人事論を基に適時、適切な人事運営を可能とする人事運営のための舞台と機構(Platform = 筆者は以前OSS=Operation Stage & Structureという表現を使っていたが、中身は全く同じである)を構築し、日々円滑な人事を運営することである。

各種の人事論に於ける「人間論」は、科学管理論、人間関係論、行動科学などの観点から議論されている。しかし悪夢工学的人事論に於ける人間論は、悪夢工学の観点からのA(123)タイプ、B(123)タイプ、C(123)タイプ、D(123)タイプの性格パターン論を基本とする。

これは、人間信頼論に基いたものでも、人間不信論に基いたものでもない。自分と他者との関係を肯定するか、否定するかという関係論に基いたものである。平たく言い換えれば、性善説でも、性悪説でもない。人間性格論と人間本質論に基いている。

仮面の裏にある本性に基づく人事組織論
仮面の裏にある本性に基づく人事組織論

●Aタイプを活かす人事論
Aタイプの人物が当該企業の夢を実現すべく、「汗と涙と血」を流しながら、寝食を忘れ、頑張っている姿を端から見た他の人物が「彼は立身出世のために」と嫉妬心や攻撃目的で認識するか、「立派だ。自分も彼(彼女)に協力しよう」と認識するか、どちらの認識をする社員が多いかが当該企業の人事の成否を左右する。

そして社長、取締役などのトップ層、部長、課長などのミドル層、係長や担当者などのボトム層が悪夢工学のいずれのタイプの人物で構成されているかが、その企業の基本的、構造的体質が決定する。

「汗と涙と血」を流すことを厭わず、会社や仲間と共有した夢の実現にコツコツ挑戦するAタイプの人物は、現在の日本の多くの企業であまり評価されず、「人柄の良い人」で「まじめな人」との評価にとどまることが極めて多い。

もしAタイプの人物が「汗と涙と血」を流して挑戦した夢を実現させそうになる場合は、最も早く認識され、最も高く評価され、最も早く昇進させられたB1タイプの人物によってその夢実現の成果を横取りされる。

もしその夢実現がB1タイプの人物の利害得失に反する場合は、その夢は巧妙に破壊される。もし夢実現が難しく、失敗しそうな場合は、B1タイプの当該人物は、失敗の悪影響が自分に及ばない様に当該夢挑戦者を犬死同然の扱いで当該組織や当該会社から追い出す。

いがみ合いの組織からは何も生まれない
いがみ合いの組織からは何も生まれない

理不尽な人事、B1に有利な人事などが行われない様にすること、無念の涙で悪夢の日々をおくった多くの「夢挑戦者」の怨念と復讐心を癒すことがウラの悪夢工学的人事論の本質である。

なお人事論の本質を理解した人事運営を可能な限り実践している企業はある。しかし悪夢工学的人事論まで実践している企業は聞いたことがない。

●悪夢工学的組織論
これは一語で言えば「悪夢工学」の観点から構築された組織論である。悪夢工学的組織論を基に適時、適切な組織運営を可能とする組織運営のための舞台と機構(Platform)を構築し、日々円滑な組織を運営することである。

組織論は、様々な理論がある。組織文化論、戦略的組織論、事業運営組織論、組織構造論、ライン・スタッフ論、組織階層論、組織構成要素論、組織ネットワーク論、機能別組織論、マトリックス組織論、事業部制組織論などである。

しかしこれらの組織論は,「善意、善徳、善行」の人物がこの世の中をすべて満たしていることを暗黙の前提とした組織論である。「悪意、悪徳、悪行」の人物も数多く存在するとの前提も含めた組織論ではない。その結果、「悪意、悪徳、悪行」の人物が組織の編成、組織の運営、組織の管理に加われば、本来の組織の目的や目指す効果は著しく減殺されるか、事実上破壊されることになる。

企業がAタイプの人物ですべて組織されれば理想的である。しかし現実には組織構成員は玉石混交である。この玉石混交は、様々な個性の人物が混合しているとは理解されるが、とんでもないBタイプやもっととんでもないDタイプの人物も混入しているという認識が多くの組織論の学者の頭の中に存在しない。この理想と現実のギャプを埋める役割を担うのが悪夢工学的組織論である。

玉石混交の「光と蔭」を考察すること
玉石混交の「光と蔭」を考察すること

●BタイプやDタイプを排除する組織論
最も早く認識され、最も高く評価され、最も早く昇進させられたB1タイプの人物は、自らの利害得失を判断基準に置き、破壊工作を直接または間接に実行するために暗躍する。この「暗躍の場」が組織である。B1タイプの人物にとって自分に悪影響を及ぼす相手を容赦しない。当該組織の長の入れ替え、組織の改変などあらゆる手を使って当該組織から又は当該会社から当該相手を追い出す。

BタイプやDタイプの理不尽な組織の編成、構築、運営が行われない様にすることが悪夢工学的組織論の本質である。なお組織論の本質を理解した組織運営を可能な限り実践している企業はある。しかし悪夢工学的人事論まで実践している企業は聞いたことがない。

悪夢工学的人事論と組織論の本質は、以上の通りである。しからばその内容やその内容に基く新しい人事・組織制度の構築方法などについては、紙面の関係から別途の機会に述べることとしたい。

    VPM
Vision &
Planning
Management
  PM
Project
Management
  OM
Operation
Management
悪夢工学的
人事論

A,B,C,Dタイプ
を対象とした
人事論
新人事ビジョン &
計画の開発
新人事の舞台
& 機構の構築
(Platform)
新人事の運営
悪夢工学的
組織論

A,B,C,Dタイプ
を対象とした
組織論
新組織ビジョン &
計画の開発
新組織の舞台
& 機構の構築
新組織の運営

つづく
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「夢工学(65)」


第13部 悪夢工学の連載終結に向けて

1 悪夢工学への反響

筆者は、大学での「夢工学」の講義や社会人向けの「夢工学」の講演などで、「夢工学」よりも「悪夢工学」に対する反響の方が大きいことにいつも驚かされる。

悪夢工学

そのことは、講義での学生諸君、講演での聴衆から悪夢工学に関する質問や意見の数が圧倒的に多いことで分かる。それだけ夢よりも、現実の悪夢に悩まされている人々が多いということであろう。まことに困ったことである。

2 人生の本質
人は何も持たずたった一人でこの世に生まれてくる。そして何も持てず一人で死んで行く。


富と地位と名声などを持った家で、素晴らしい両親や親族に恵まれ、愛情たっぷりの家庭環境に生まれた人は、誕生の瞬間から「人生の幸運」を手にする。一方富も、地位も、名声など一切持たない家で、片親しかいないとか、親族にも恵まれない、愛情のカケラもない最悪の家庭環境に生まれた人は、誕生の瞬間から「人生の悲運」を手にする。

「人は神の下で平等である」とは、全くの宗教論であり、理想論に過ぎないことがこの一事で証明されよう。「人生の幸運」からスタートした人と「人生の悲運」からスタートした人のその後に歩む人生街道は、天と地の差ほど違うのである。とくに幼年期〜若年期での家庭環境の違いは、その人の性格を違って形成させる。

人生の幸運と両親の豊かな愛情で育った人と、人生の悲運と両親の愛情を欠落させて育った人とは、性格の形成に大きい影響を与える。前者はAタイプの性格(本性)を、後者はBタイプの性格(本性)を生む。親、親戚、又は社会に頼らないと自立できない、自己責任を全うできない幼児期や若年期にその人の人生を左右する性格が形成される。この形成に本人の責任は殆どないのである。

人は生まれた瞬間から死ぬ瞬間まで数多くの人々と接触する。この接触相手は、両親、伴侶、子供、兄弟などの家族から、数多くの友達、知り合い、取引先の人々である。そして地球上の64億人の未知の人々も接触の可能性を持った人々である。人は、自分と他者を見ながら、また自分と他者から見られながら生きているのである。そして最後は、一人で死ぬのである。

「人は何も持たずたった一人でこの世に生まれてくる。そして何も持てず一人で死んで行く」。これぞ人生の本質である。

3 殺人、自殺
この自分と他者の狭間の人生に於いて、他者を徹底的に否定し、憎むことがある。その極端なケースが「殺人」である。この憎しみを解消させた殺人者には死刑になっても悔いはないのである。

また自分を徹底的に否定し、他者も、世の中すべても徹底的に否定することがある。その極端なケースが「自殺」である。この自殺者は、家族への未練や現世のしがらみなど一切を捨てる。本当に捨てられなければ自殺しない。また自己否定と他者否定の自殺のケースでも、現世でなく、来世で自己実現を期待する者は「自爆テロ」を起す。

人生の本質、人生の意図的終結をもたらす殺人や自殺などを悪夢工学は、対象としてきた。しかし悪夢工学は宗教でも、復讐学でも、自殺学でも、失敗学でもない。人のギリギリの生きざまを対象としたものである。従って悪夢工学は人事論にも、人が集合する組織論にも活用できるのである。

現在の日本で最も必要なものは「悪夢工学」でも「失敗学」でもない。それは夢実現の法則と夢成功の法則を説いた「夢工学」である。にもかかわらず「悪夢工学」や「失敗学」に関心が高いのは、多くの日本人が筆者と同様に失敗させられ、裏切られ、悪夢を経験させられたからであろう。

夢の実現には、夢破壊者を予知し、発見次第排除しないと夢の実現は不可能となる。暗くても、やりきれなくても、夢実現のためには頑張らねばならない。しかし多くの読者は、本書の悪夢工学の暗い話ばかり聞かされて、気が滅入ってしまうだろう。筆者とて同じである。

米国ハリウッド映画に対する観客の殆どは、「主人公は死なない」、「最後は成功する」、そして「ハッピーエンディング」を期待する。悪夢工学の連載も、たまには明るい話題で終えたい。

4 ジョー・トーリ・NYヤンキーズ監督
ニューヨーク・ヤンキーズのジョートーリ監督は、最近、球団を去ることになった。これでは、ハッピー・エンディングにならないか。しかしトーリ監督(67)の発言は、旧聞に属するが、筆者の印象に強く残っているので紹介したい。

なお同球団は、年俸250万ドル(約3億円)減額の年俸500万ドル(約6億円)の1年契約を提示したが、同監督は固辞した。

トーリ監督は、1996年にヤンキースの監督に就任。同年のワールドシリーズ制覇、98年から3年連続世界一など12年間で4度の世界一、6度のリーグ・チャンピオン、12年連続でポストシーズンへの出場と輝かしい戦績を残している。しかしワールドシリーズ進出は2003年が最後で、世界一の座も2000年以来遠ざかっていた。


5 ジョー・デラルディー選手
米国の最も伝統あるニューヨーク・ヤンキーズのトーリ前監督は、優れたリーダーシップを持ち、走攻守の三拍子そろった選手で、私心なき選手として二人の名前を挙げた。一人がこのデラルディー選手であり、残りがジータ選手である。

デラルディー選手は、1990年後半に活躍したニューヨーク・ヤンキーズの選手であった。同選手は「控の捕手」であった。トーリー監督は「彼は極めて私心のない男であった」と絶賛した。

トーリー監督の弁は続く。「デラルディー選手は、チームの若手のポサダに私的なコーチとして配球方法、投手の誘導法、試合運びなどを懇切に教えた。また表舞台だけでなく、選手クラブハウスでのコミュニケーションの維持などの裏のチームの基盤にも力を入れた」

また同監督は「ポサダ選手など他の選手が技術や精神力を進歩させればさせるほど、デラルディーの出場機会はますます減っていった。にもかかわらずチームを勝たせるために彼は、どんな犠牲を払ってもチームの縁の下の支えの仕事を文句も言わず行った」と語った。

6 デレク・ジータ選手
トーリ監督は「ニューヨーク・ヤンキーズでジラルディー選手と同じ役割を果たす選手は、ジーター選手である」と話した。

「シーター選手は、走る、打つ、守るのどれも優れた万能選手である。その彼も一時スランプになり、打率も落ち、マスコミの批判まで起こった。しかし自分はジーコーのキャプテンからの降格に断固反対し続けた。ジータのラインアップの成績ではなく、彼の存在自体が重要である」と同監督はジーターを絶賛した。

「ジーターは、三遊手として三遊間のゴロを掴み、空中で体をひねって、その状態で一塁に送球し、打者を仕留める。このジャンピング・スローは失敗することも多い。それでも果敢に挑み続ける。失敗を恐れないことは、無鉄砲とか、不注意とかではない。基本に忠実に目的を持って挑戦すれば成功する。だから失敗を恐れる必要はない」

トーリ監督の絶賛はまだまだ続く 「ベースボールは個人の成績が物を言うスポーツだけに、チームを勝たせるため自分で出来ることは何でもする姿勢が重要である。ジーコはそれをすすんで実行する選手である。このことはビジネスの世界に於ける経営者、経営幹部、管理職、一般社員に対しても同じこと言える。常に共通して求められるものは何か。それは“いかに自己犠牲ができるか”である」

7 自己犠牲の有無
デラルディー選手も、ジーコ選手も、「自己犠牲」が出来る選手としてトーリー監督に絶賛されている。日本選手の松井秀樹選手もトーリー監督の賞賛を得る選手になった様である。

さて野球の試合は、数万人の観衆の前で勝つか、負けるかの瀬戸際の危機的場面で戦うものである。選手は、常に自者のためか、チームという他者のためかを試される。チームのために自己犠牲することは極めて難しい課題といわれる。しかしそうであろうか。

トーリー監督は、デラルディー選手も、ジーコ選手も、かれらの本性を見抜いている。悪夢工学のAタイプの選手である。彼らにとって「自己犠牲」は全く苦にならない。それこそがヤンキーズの伝統であり、自ら選手としての最も重要な勤めであると認識しているからである。この様な選手を発掘し、育て、伝統あるチームの形成と成果を挙げた「トーリ監督」こそ素晴らしい監督である。

8 夢工学のPR
来月3月の第66回目で約6年間続けた「夢工悪(悪夢工学)」の連載を終える。ついては長期連載に免じて、最後に一度だけ夢工学のPRをすることを認めて欲しい。

その1つは、筆者が最近出版した夢工学の本のPR、もう1つは、国際プロジェクト & プログラム・マネジメント・シンポジューム2008の「The Dream Engineering」の講演内容のSummary Full PaperのPRである。

新事業プロジェクトを成功させる方法 出版 日科技連
          2007年

つづく
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「夢工学(66)」 最終回


第14部 夢工学(悪夢工学)の終結

「夢工学」の最近の連載内容は「悪夢工学」のそれが主流になっている。しかし悪夢工学は、夢工学の一部であるので夢工学の連載は、始めてから今月で66回目ということである。おおよそ毎月、連載していたので約6年間の長期連載となった。

さて今回の66回目の連載を最後に、夢工学の長期連載を一旦終わらせたい。ついては、最後の連載を書くにあたって、第1回目の夢工学で筆者が何を目指し、何を書いたかを以下にアンダーラインを付けて記した。 なお筆者は、当時、岐阜県理事であったが、現在は、新潟県参与の立場にいる。

夢工学 (1)
夢をプロジェクトとして起ち上げる法
川勝良昭 岐阜県理事
法政大学情報技術(IT)センター教授、亜細亜大学客員教授等を兼務


まえがき
JPMF渡辺貢成事務局長からのご依頼に基き、表記テーマで寄稿することになりました。よろしくお願い致します。以降の文章を簡潔化するため敬語、敬称を省略させて頂きました。お許し下さい。


1 日本の危機
筆者は、十数年前から次のことを主張してきた。そのため当初は馬鹿者扱いされた。それとは日本は、国(自治体、以下同様)、企業、個人のすべての分野で明治維新と戦時を除き、近世史上初の危機に直面した」ことである。

日本は、危機に直面し、「世界の激変」に呑まれ、翻弄され、バブル崩壊後10年経っても、国も企業も個人も自らの力で危機を脱出し、世界の激変に対応出来るかどうか不確実な状態にまで追いつめられた。

世界の激変とは、テロ戦争などによる政治、外交、軍事の戦略転換だけではない。人類史上類のない世界規模の経済・技術・情報などの分野に於ける大競争とそれによる劇的変化である。例えば日本はIT分野も、バイオ分野も、ナノ分野も日本での一般的評価と異なり、技術開発と事業化開発の総合評価では米国にかなり遅れた。それは日本が最先端的産業分野で日本が取り残されるかもしれないことを意味する。

最重要なことは技術レベルの比較論だけではない。新技術の実用化レベルや新製品、新商品、新事業を実現する新技術の事業化可能レベルの比較論である。真理を追究するサイエンスやその基礎技術を除き、実用化や事業化を目指さない技術など何の価値もない。

日本では最近にようやく大学や研究機関と企業との連携で新製品、新商品、新事業を開発する動きが活発化してきた。遅きに失する。また大学などに事業化のネタを探す姿勢では殆ど効果はない。


ここに書かれたことは、その後大きく変化し、日本が望ましい方向に向かっているか? 今もその実態はあまり変わっていない様に思う。

3 企業の不祥事
最近の三菱自動車、雪印、日本ハム、三井物産そして東京電力などの大企業が次々不祥事を引き起こした。しかも各社はいずれも内部告発が外部にまで広まって初めて問題の処理に乗り出した。各社は法令遵守の社員教育を既に行っていたにもかかわらず起こった事件である。社内の内部告発を恐れ、ビクビクしている大企業の社長や上層部はまだまだいると考えてよいだろ。

日本が危機に直面した現在ほど企業人にその果たすべき役割、即ちマネでない、独創的な新製品、新商品、新事業の創出を、問われている時代はない。これは製造業だけでなく、あらゆる産業分野の企業人に課せられた国家的な責務である。しかし日本の産業界をリードする立場と実力のある大企業が上記の不祥事を起こした。暗澹たる気持ちを通り過ぎて唖然たる気持ちだ。しかも不祥事は大企業だけでなく、中小企業も同様の事を起こしていると考えて間違いないだろう。たまたまニュースになっていないだけだ。


ここに書かれたことは、今もその実態が変わらないどころか、最近益々増加している。そのことは昨年の数多くの企業のトップが記者会見やTVカメラなどを前で何度も何度も謝罪したことで分かる。

4 暗い話はもう結構
読者は「暗い話はもう沢山。明るい話を聞かせろ」という気持ちでこれを読まれたと思う。夢のある元気の出る話を期待されたと思う。「そう思うなら何故書いたのか」と問われよう。

筆者の答えは簡単である。「暗い話の本質を理解すれば、その反対側に驚くべき明るいビジネス・チャンスが存在している」ことを伝えたかったからである。

例で説明しよう。もし誰かが次の様なシステムを開発すれば、多くの企業が注目し、積極的に採用してくれるので、大きいビジネス・チャンスを掴める。そのシステムとは、内部告発に対処し、社内不祥事や法令違反が外部に漏れる前に社内で確実に処理出来る画期的システムである。実は筆者とその仲間は、これから解説する「夢工学」と「悪夢工学」を活用してそのシステムを既に構築中で近々完成させる。そして各企業に採用をPRする予定である。


このシステムは、その後に完成した。と同時に「ウイッスル・ブロー会社」の設立企画書も完成させた。そして数多くの大企業にその設立と企業参加を呼びかけた。しかしどの大企業も「我が社は、社内で倫理委員会を作って対応しています。外部にその様な第三者的企業の支援は必要ありません」と異口同音に断った。

その後、社内倫理委員会の設置や法律遵守の徹底を図っていても、企業不祥事は減少するどころかますます増加した。しかも当該企業は、初期動作を誤り、外部への対応を誤り、時に隠蔽などずさんな不祥事対応をしたため世論を硬化させ、多くの企業トップは解任された。そればかりか経営危機に瀕した企業が続出した。

5 日本の将来
暗い話をする理由を分かって貰ったとして、もう少しつき合って頂きたい。さて基本的な問題から順次述べたい。

第1は、多くの日本人は本当に危機を認識しているか。
第2は、今のままでは日本の将来がどうなると予測しているか。
第3は、将来の予測など不可能と考えているか。

第1についての筆者の答えは簡単。「認識していない」。何故か。もし多くの日本人が認識していれば、殆ど実効が乏しい今の政治改革、行政改革、司法改革を放置するはずがない。また自分が帰属する会社の経営改革を自ら訴え、新製品、新商品、新事業を興すため積極的に行動に出ているはず。そして危機の日本の国と企業に於ける自分の将来を予測し、自ら変身のための努力をしているはず。

第2についての筆者の答えも簡単。「日本は今のままでは間違いなく将来、債務超過の縮小不均衡のアジアの小国に没落する」。日本の世界的企業は日本を嫌って外国に逃避。力のない企業ばかりが日本に残存。優秀な人材は次々に国外に流失する。既にその兆候は出ている。今のままでは駄目なのである。「改革」では手ぬるい。血と涙と汗を流す「革命」が必要なのである。それは本当の危機認識がない不可能なこと。

第3についての筆者の答えも簡単。「将来は分かないからこそ予測し、自ら将来を作り上げねばならない」。 このことを映画を例に述べたい。なお本稿の「夢工学」は未来を作る工学である。


6 日米の映画
最近の中高年は映画を見ない。そのため極めて古い映画「アラビアのローレンス」で説明したい。


連隊のある兵隊がラクダの背から落ち、砂漠に一人取り残された。それに気付いた連隊長は「アラーの神の定めた運命だ。諦めろ」と主張した。しかしローレンスは「運命は自ら切り開くのだ」と単身救出に向った。そして見事に彼を救けた。ローレンスの生還を歓喜の声で迎えた感動的シーンを思い出しましたか。

若い読者には最近の映画「インディペンデンス・デー」で説明したい。

米国大統領は「座して死を待つより自ら戦い、運命を切り開こう。今日(7月4日)を米国人のためだけでなく、人類のための独立記念日として祝える様にしよう」と戦地に向かう兵士に訴えた。筆者は、ロスアンゼルスの某映画館でこのシーンに歓喜し、拍手し、涙する観客を目撃した。

そのため日本人の観客がどの様に反応するかを観察したくなり、日本の映画館で再度この映画を観た。無表情な「白け鳥」の様な観客は、映画の場面を淡々と眺めていた。昔の日本人の観客はジョン・ウエン出演の「幌馬車」の救出シーンに拍手した。日米の国民性や文化性の違いを越えて、日本人の観客の感動反応の無さが、現在の日本人の病める屈折した深層心理の一端を象徴している様に実感した。そして「日本は危ない」との確信をますます深めた。

この2つの映画は作りモノである。しかし実際は作りモノどころか、真実を表わしたモノである。米国ではこの映画を作るため膨大な資金を投資し、優れた製作者、監督、俳優などの努力があった。そして前者は歴史に残るヒット作品となり、後者は歴代に残る興行成績のヒット作品となった。一方日本では暗い映画、エロ映画、ヤクザ映画ばかり。人々を歓喜させ、感動さる映画はどれほどあっただろか。筆者の主張する「日本の危機」を少しでも実感して貰えただろうか。


上記の異星人との最後の戦いを前にパイロットや兵士に大統領が「Today, we celebrate our Independence Day」と演説したシーンに当時の米国大統領ビル・クリントンは、感激してホワイトハウスで同映画の上映会を開いたと聞く。

しかし最近、「日本も捨てたものではない」と思う映画が幾つか生まれた。それを紹介して本連載を終わることにしたい。

7 明るく、輝かしい日本の未来
最近、日本で興味深い映画が幾つか生まれた。いずれもその種のジャンルの映画としては記録破りの大ヒットを遂げた。その映画とは、シャル・ウイ・ダンス(日本版&米国版)、ウオーター・ボーイズ、スイング・ガールズ、フラ・ガールズなどである。


筆者は、これらのヒット映画に共通するものが、いずれも「現代物語」、「成功物語」、そして「ハッピーエンディング」であるということである。言い換えれば、映画の主人公達が「夢」を持って、「夢」の実現に挑戦し、成功させた物語ということである。視点を換えれば、多くの日本人は、夢を実現させ、成功させる物語を「映画」を通じて実感したいと願ったということでもある。


筆者は、日本の厳しい現状と将来の予測を述べた。しかし多くの日本人は、「夢」の実現と成功を願っている。従って「夢」を持ち、「夢」の実現と成功に挑戦する限り、日本の将来は、明るく、輝くであろう。筆者の厳しい予測を筆者と共に覆そうではないか。

フラガール

余談であるが、最近、筆者は、黒澤プロダクションの某氏からジャスを映画の背景ソングとした映画制作の相談を受けた。筆者が約15年前から都内のジャズ・ライブ・ハウスなどでジャズ・トリオを組み、ピアノを弾いて出演していることを知っての相談であった。

筆者は、USJプロジェクトを開発した時にMCA社から直接学んだ映画制作のノウハウを基に、そして上記のヒット・コンセプトと夢を求める観客の思いを基に、「現代物語」、「成功物語」、「ハッピーエンディング」を映画シナリオの基本コンセプトとして仮称「ジャズ物語」の映画制作を開始した。筆者は、本映画の制作費用を確実に集められるある方法を考案した。以上の戦略で某会社の某プロデューサーが決まり、映画監督、俳優などを検討中である。

上記のコンセプトに基づくシナプシス(脚本概要=A4で2〜3ページ)を募集中である。われこそはと思う読者は応募して欲しい。そして夢のある映画を完成させたら是非、見て欲しい。

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私は、文章を簡潔且つ明確にするため、「敬語」、「敬称」などを一切省略した文章を書いて参りました。読者の皆様には長い間、大変失礼致しました。お詫び申し上げます。

JPMF時代からPMAJの現在まで「渡辺貢成」様には終始変わらぬ温かいご支援とご協力を頂きました。そのお陰で「夢工学」の長期連載が実現しました。この紙面をお借りして心からの御礼を申し上げます。

いよいよ66回目で「夢工学」を終わらせる時が参りました。感慨無量でございます。最後に本連載をお読み頂いた読者の皆様に厚く御礼申し上げます。2008年4月から皆様に何かご参考になる様な「テーマ」で再度、この紙面に登場させて頂くことが出来ればと願っております。ありがとうございました。

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