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PM投稿 「テロ環境下でのプロジェクト遂行(その1)」

岡本 敦:9月号

 先月号でさまざまなトラブルに巻き込まれたアフリカでの某建設プロジェクトについて紹介したところ、読者の方から少なからぬ反響をいただきました。 トラブルの発生に際して、プロジェクトマネージャー(プロマネ)の自分がどのように考え行動したのか。 このご質問にお答えするため、多少の自省の念を込めながら私の経験談を何回かに分けてご紹介することになりました。 場合によっては反面教師としてプロマネ行動学のご参考になれば幸いです。
 時節柄と言う訳ではありませんが、今月より3回にわたりテロに関連した話題を取り上げたいと思います。

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◆ 事件発生
 2002年11月、我々がアフリカのとある港湾都市で建設を進めていた石油基地の現場近郊で、アルカイダ構成員によるとみられる同時テロが発生しました。 イスラエル系ホテルの爆破事件とイスラエル機撃墜未遂事件でしたが、特に後者においてはミサイル発射場所が我々の現場事務所から100メートルほどしか離れておらず、現地スタッフの多くは 発射されたミサイル2発が轟音と伴にイスラエル機すれすれに飛んでいく模様を目撃しており、プロジェクトチーム内に大きな衝撃が走りました。 当時はまだ日本企業がテロの標的になる危険は少ないと考えられていましたが、米国9・11事件から1年余りしか経っておらず、しかもこの建設プロジェクトには英国企業も関与しておりましたので、今後テロの巻き添えになる危険性は排除できませんでした。 その約半年後、地元警察の発表では指名手配されたアルカイダの容疑者が逃亡していた国外から舞い戻り、市内に潜伏中との情報もあり、これに伴い英国航空が同国の発着便フライトを全面的にストップさせる等、事件発生後もテロ発生の危険レベルが下がることは殆どありませんでした。

◆ 現場主義 = 自分の身は自分で守る
 事件発生の翌日、日本の本社サイドから危機安全管理に関する「緊急通達」が送られてきました。 曰く、危険な場所には近づくな、情報収集・伝達を徹底させ 万が一の際の安全確保策を確立せよ、などなど改めて言われるまでもないとも思える内容の羅列に、当時のプロマネだった私は現地で激怒したのを思えています。 ただ、そういう反応になったのは私がまだまだ未熟だった証拠であり、その当時の緊急通達を今読み返してみるとなかなか核心を突いている内容となっていました。 要するに本社サイドが言いたかったのは、「自分の身は自分で守れ」という当たり前でかつ最も重要な原理原則だったのです。 これは危機管理のいかなる場面においても普遍的なキーワードだと思います。 事が起こりそう、もしくは起こってしまった際には、対応のための判断の遅れや誤りは致命的です。 飛行機を4回乗り継がなければならないほど遠く離れた日本の本社に 有事の際の指示を仰ぐこと自体がナンセンスなわけで、本社サイドからすると、「本社は何もしてやれないが、決して死ぬなよ。 でも死ぬ気で頑張れ。」というのが正直なところでしょう。 現場のことは現場で解決する、この現場主義こそ「自分の身は自分で守る」ために必要不可欠な基本だと思います。

◆ そのときどう動く
 いつテロの犠牲になるかもしれない、という漠然とした恐怖心を抱えて浮き足立ったチームをまとめ、プロジェクトを予定通りに推進していくために、組織の長たるプロマネとしてどう対応すればよいのか。 言うまでもないことですが、万が一のことを考えプロジェクトとして以下のような要素を含むContingency Plan(緊急対応計画)を立てておくことが大前提となります。
  1) 有事の際の緊急避難手段、ルート、手順を確立しておく。
  2) 現地の信頼できる病院と事前に医療契約するなどして、万が一の場合にも(例えば負傷したスタッフが十分な現金を持ち合わせていない場合にも)適切な治療を受けられる体制を整えておく。 (場所によってはヘリコプターなどによる緊急医療サービスへ加入しておく)
  3) スタッフ全員に携帯電話を常に携帯させる。
  4) 最新の緊急連絡網を整備しておく。
その上で、その当時自分がチームメンバーに対して行った通達の内容や記録を振り返って見てみると、どうやら自分としては下記のアクションが重要と考えて行動をとったようです。
テロ環境下でのプロジェクト対応

個々の内容については次回からの投稿で説明いたします。

【来月号へ続く】

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