ダブリンの風(53) 「ミーテイング」
高根 宏士:9月号
ミーテイング(会議/打ち合わせ)はプロジェクトなど集団で何かを達成しようとする時、その関係者が達成すべき目標と現状、目標と現状のギャップに関して共通の認識を持ち、目標に対する思いを一致させるための有力なツールである。したがって集団のリーダはこのツールを有効に活用する必要がある。しかしこのツールを効果的に活用しているリーダは意外に少ないのではないだろうか。今回はミーテイングについて、現実にあったいくつかの例を挙げて皆様に考えていただきたいと思います。
気配り型
ある学会の理事会である。会議は月1回午後7時から9時までであった。会長A氏は有名企業の常務であった。会議は常に定時で始まり、予定時間で終了した。議題を最初に提示し、プライオリティにしたがって議事を進めた。担当理事からの説明の後、各理事からの意見を聴取し、主要な意見がでたと思われる時点で、A氏から「これで決めたい」という発言があり、ほとんどがそれで決定した。時間も各議題に対して適当に配分されていた。理事から不満のようなものは出なかった。A氏は理事会としての役割、責任を認識し、これからのあり方等の考え方を明確に伝えていた。
印象的だったのは1度だけ会議が15分ほどオーバーした時であった。終わりにA氏は「私の不手際で会議が予定通りに終わらなくて申し訳ない」と言われたことである。
楽しみ型
同じ学会の理事会である。会長B氏は有名大学の教授である。この理事会はさながら研究室などにおける技術検討会の様相を呈した。B氏は自分が興味あるテーマになると技術的な中身を話し合うのを好んだ。学会全体に関する方針、政策的な決定をする、理事会としての役割をあまり意識していなかったようである。本人は楽しくてたまらないようであったが、時間は10時半を過ぎることが多く、11時になることもあった。他の理事から総務理事に対して、半ば冗談に「9時になったら鐘を鳴らしてくれ」という要望が寄せられた。
権力意識型
同じ学会の会長C氏は有名企業の常務であった。C氏は自分が会長であるという意識は強烈であった。そのときの理事は皆C氏にはピリピリしていた。理事会はC氏の逆鱗に触れないで無事に終了できるかどうかに皆の関心が集中した。たまたまC氏の元部下の教授が理事にいたが、彼の発言は部下の発言としてあしらわれた。さながら会議は企業内の権力意識の強い工場長が主催する部長会議のようであった。C氏の面倒をみる立場にある総務理事はノイローゼになってしまった。
弱者の作戦
ある学会の編集委員会である。編集委員長D氏は名もないソフトハウスの部長であった。編集委員は大学教授、各研究所の室長や主任研究員、有名企業の中核技術者であり、皆錚々たるメンバーであった。ほとんどが一家言を持っており、議論は活発であった。初期の2、3回はD氏もその議論に参加し、何とかまとめようとしたが、誰もD氏の発言など取り上げもしなかった。そのうちD氏は会議の初めに議題を提示し、何を決めたいかだけを明示した後は一切発言しなくなった。委員の自信に満ちた発言を聞いているだけであった。ところが議論は自然の成り行きで、いくつかに色分けされるようになった。大きくは大学対産業界、大学でもある有名大学とその他、産業界でも研究機関とビジネスの現場等に分かれてきた。1時間半ほど議論をしてもそれぞれが他を説得することができない状態になって、こう着状態に陥った。そのときD氏が始めて発言し「そろそろ意見も出尽くしましたね。それでは決めます」といい、自分の意見を示し、OKかどうか問いかけた。皆疲れてきたし、自分の意見で他を説得できないので、D氏の意見通りに決まってしまった。以降の編集委員会はこの方式で進められた。
事務局長が「この学会で最も面白い会議である。それは委員長が委員より力がないことである」といわれたのは面白い見方であった。
目的指向型
あるプロジェクトの例である。プロジェクト関係者は200名ほどであった。月に1度のプロジェクト会議があった。そのときのユーザ企業の責任者E氏はこの会議で常にプロジェクトの目的を話し、その方向でまとめようとしていた。会議ではユーザ、ベンダーの区別なく、その発言や提案が目的に沿っているかどうかだけから判断していた。ベンダーの技術者からユーザに対して厳しい意見が、失礼な言葉遣いで出された時も、失礼な言葉遣いを取り上げず、その内容のみを取り上げて検討することもあった。その姿勢が全体に浸透し、ベンダーのメンバーはE氏から言われたことは何でも聞いてしまうというようになっていった。ベンダーの営業責任者が「E氏ほどプロジェクトの成功を願い、公平な判断をする方は今まで会ったことがない」とプロジェクト終了後に話していた。
無自覚型
ある工場の部長会議である。工場長F氏は常に会議に15分ほど遅れてくる。そして話すことは本社からの指示事項、事務的なことだけである。そこで本質的な問題について議論されたことはほとんどない。F氏が遅れてくるので必然的に各部長も数分から10分ほど遅れてくる。しまりのないダラダラした会議である。しかし誰もそのことを表立って問題にしない。1度だけある部長が会議の意義について問題提起したが、それに対して厳しいことも言わず、有耶無耶のうちに終わらせてしまった。しかしその後で発言した部長は人事異動で放逐されてしまった。部長会議はだらけたまま、眠ったような雰囲気が続いた。
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