先号

プロマネの色眼鏡(10・最終回):「脳力アップ、筆力上昇」

加畑 長昭:7月号

 脳力がアップし筆力が上昇した。「“能力”がアップし“出力”が上昇した」の入力ミスではない。手前味噌で申し訳ないが、雑文を書く速さ、“筆力”が上昇したのである。それは“脳力”のアップにもよるのだろう。

 四年前、前身のJPMF webジャーナルに“ランチタイムプロジェクト”を7回連載した。その時のテーマはランチであるから、日ごろ摂っているランチを並べればよいので、素材・テーマはすぐ決まった。しかしなかなか素材を文章に調理できず、二ヶ月に一編を、納期に追われるプロジェクトマネージャーのような心境で、悪戦苦闘しながらも何とか六編を脱稿、一遍はプロジェクトの終結のフェーズである反省文としてお茶を濁した。
 昨年(2005年)6月より、そのつどの話題に対し雑文を起こし、JPMF webジャーナル「投稿コーナー」に投稿した。編集長からは連載にしてはとのお勧めも有ったが、以前の悪夢がよぎったので、締切りに拘束されない投稿としてもらった。毎月一編、四ヶ月続けることができ、継続への自信も芽生えたので10月からは連載とし、“プロマネの色眼鏡”と副題をつけた。プロジェクトを生業とした者の眼から見たその時の話題、自分の周りの出来事についての雑文を、色眼鏡であるから、偏光=偏向も許されるだろうとの勝手な思いからである。先月まで9ヶ月間(スタートの投稿から13ヶ月)、兎もかく毎月書き続けることが出来たので、四年前の“ランチタイムプロジェクト”シリーズと単純に比較すると、 “筆速・筆力”が約二倍になったといえよう。また、“筆力”には、単に速さのみならず“質力”、クオリティー、即ち人に訴える、人に共感を与える、心の部分に迫るものや情報として読者に得したと思わせる要素など、読者への満足度も必要である事に気がついた。私の雑文がその条件を満たしているかは定かではないが、“質力”にも心がけている。

 “筆力”が二倍、そこのところを少し考えてみた。いわば歳甲斐も無く“脳力”がアップしたのではなかろうか。脳には、記憶をつなぎ合わせて新しいことを編集する「編集力」があるという。(注1)記憶ということではなく、新しいものを生み出す力であるというから、発想力とも言い換えることが出来るのではなかろうか。なるほど将棋の棋士は、定跡を覚えただけでは強くなれないし、指された棋譜を徹底的に記憶してもタイトルホルダーにはおろか高段者にすら成れないようだ。記憶力のみならばコンピューターにかなわないが、勝負においてコンピューターはまだまだプロには勝てない。AI機能が進んだとはいえ、指されたことの無い手を指されると、記憶に無いから対応策が編集できないからであろう。将棋の棋士にとって今日指された将棋がすでに常識であり、常にそこから更に新しい手を見つけるべく研究、模索している。升田幸三は「新手一生」といったし、現在でもトップ棋士はそれを目指し常人では考えられないような研究を続けている。記憶のつなぎ合わせだけならば、記憶の外にある新しい手は生まれないから、直感、感性、勘性(注2)が創造を生むのだろう。小説の場合でも、私小説はともかく純文学、SFにおいてもそうであろうし、宮崎監督の奇想天外なアニメなどの壮大な想像・創造の世界もそうであるし、あらゆる芸術の分野がそうであろう。
 その発想力はどうしたら養えるのであろうか。残念ながら語る資格は無い。想像力については将棋の棋士や、アニメなどの監督には足元にも及ばないが、しかし編集力については、我々の場合でも未経験の事柄や新しいプロジェクトについて対応してきたから、程度の差はあるもののオンジョブで鍛えられたといえよう。

 “筆力(筆速)”を上げるため、第一ステップとして「とにかく書くこと」である。書く事によって、新たな話題や発想が脳内に現れ、それからまた別の話題が脳の中に広がるのを自分でも実感するようになった。文章ではなく関連する文脈だけであるが、しばらく放っておいた文脈が新しい経験や、新しい知識、話題とドッキングしまた新しい文脈を生み出していく。それらを文章化して体裁を整え、論理的に検証し、表現を推敲し、文章として完成させていく。そのサイクルが早くなったわけである。そしてそのサイクルをまわしている時また別の文脈・話題が芋ずるのように引き出され、まとまりは無いが次々に展開されることがある。感性・勘性と言いながらも私の場合、編集力、発想力は連想ゲームみたいなもので、思考のサイクルをぐるぐる回していく“芋ずる式”であるから、他人には余り役に立たないかもしれないが、回す事によりいつも何かを考えている脳内細胞が休まず働いているのではないかと思う。例えば少し前の雑文「アインシュタイン」の場合でも、「婦人の言葉・弁当」から「松花堂弁当」が思い出され、「弁当」から「箱庭・宇宙」を想像していると、昔の「愛飲酒多飲」が記憶に蘇った。そこから「おでん」と「プロジェクトの素材のスキルアップ」が芋ずる式に出てきたわけである。
 また、第二ステップとして、“質力”を上げるには「書いたものを人に見てもらう」ことである。開示すると言うことで責任が生じるから、推敲し論理性を高め、独善性を避けエビデンスベースを心がけるようになるから、質も高くなっていくのではなかろうか。更に、読んでもらう人の知らなかった事実が書かれており、何か得した気持ちになってもらうため、その様な話題を提供するために色々な事にも敏感になる。勘性・感性が高くなるわけである。そしてその様な話題に関し、異なる視点、広く物事を見る習慣も養われる。以前のランチプロジェクトでもそれを心がけ、エビデンスベースとして自分の目で、舌でそれを確認し、事実に裏打ちされたデーターとした。事実認識はプロマネとして最も重要なことと思っている。また、開示と言う面では、先に述べたように幸いJPMF webジャーナルに「投稿」と言うシステムがあった。これを活用させていただき、厚かましくも雑文を投稿し続けた。公開して後悔することもあったが、未熟な点はジャーナル仲間として好意的に見て貰えるであろうし、質力が低い部分は次のステップへの励みとさせてもらった。
 というわけで、皆さんにもジャーナルを活用して書くことをお勧めします。

 余談だが、脳の働きを観察する方法として非侵襲脳機能計測法の“光トポグラフィ”(注3)という装置がある。オウム真理教の信者が着けていたコードが沢山付いたヘルメットみたいなものである。脳が活性化すると血流が増加するが、その状況を外部から観察できる。例えば高齢者への教育の一環として、音読や計算が脳を活性化させるということが観測されている。また、小学生同士の囲碁対局では、序盤、中盤の難しい局面で脳は活性化している様子がNHKで放映されていた。また、パソコンの囲碁ゲームでは、脳の活動の程度低かった。対人間、相手の顔が見える事により、脳がより活性化するとコメントしていた。同じことの繰り返しでは、脳が退屈するそうである。それから推測すると、キーオペレーターのように単にキーボードを叩くだけでは脳はあまり活性化しないが、パソコンで文章を作成する場合は、文章を作成する場合のように色々状況を想像、連想しながら指を動かしていくから、物事を考える前頭前野や指の運動の運動野、記憶をしまう側頭連合部が活性化する(脳力が増す?)のではないかと想像する。一度脳科学者に聞いてみたいものである。

【補足:連載を終わるにあたって】
 本文にも記したように、JPMF webジャーナルでは手前勝手な雑文として「投稿コーナー」に掲載して貰った。PMAJ webジャーナルに移行した際「プロマネの知恵コーナー」に組み込まれた。編集者のこのコーナーの意図は「経験、知恵の披瀝」であったろうか?読み手もそれを期待しただろうが、私は雑文の中で自分のプロマネとしての技を披瀝したり、薀蓄を書くつもりは毛頭なかった。編集者の意図、目標、読み手の期待と書き手の目的が異なるから、顧客である読者の中に違和感も残っただろう。本来PMAJ webジャーナルに移行した際掲載を中止すべきであったのだが、技術文章ばかり書いてきたエンジニアが、エッセーにも似た雑文をどこまで書くことができるのか、私には実験的試みであったので、区切りの10回まで続けたわけである。駄文に最後までお付き合いいただいた方には、実験にお付き合いいただき申し訳なく思いますが、厚く御礼申し上げます。

(2006.06.23)

注1「編集力」:脳科学者茂木健一郎の説明。
注2「勘性」:田中康夫がよく使う言葉で、私もプロマネには感性よりこの「勘性」が重要と考えている。
注3:「光トポグラフィ」(日立製作所の登録商標):大脳皮質での脳活動による血液量の変化から脳機能をマッピングする計測装置。半導体レーザーからの近赤外光を頭皮から脳内に照射し、大脳皮質で反射・散乱されて戻ってくるヒカリを検出器でとらえ画像化する。言語や思考、感情など、人間固有の高次機能を司る組織が大脳表層部に集中しているため、反射光をとらえることで画像化できる。(日立ブロシュアーによる)