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プロジェクト・コミュニケーション・文化(第11回)

板倉 稔:2月号

  第9回と第10回に、日本人と、欧州あるいは米国人と物を見る視点が異なると書いた。今回は、その続きである。
 日本人(文化)の特徴を、見事にととらえた李御寧(イーオンリョン)先生の名著「「縮み」志向の日本人」を読んだことがあるだろうか。一度、読んで、自分(日本)の強みを、ソフトウェア自体、あるいは、ソフトウェアの開発管理に役立たせることを考えて見てほしい。
 李先生は、日本人は何でも小さく(縮む)することが上手い。その結果、ソニーは、テープレコーダを小さくしてウォークマンを発明した。つまり、文化の帰結として、ある時にウオークマンが作られたと言う訳だ。

 李先生があげた様々な小さくした歴史上の事例からいくつかを引用してみる。まず初めは、石川啄木の歌「東海の小島の磯の白砂に我泣きぬれて蟹とたわむる」の話を引用する。これが、縮み志向の典型だと先生は言う。「東海」→「小島」→「磯」→「白砂」と言う風に、どんどん小さくなっていく。第10回に述べた「奥行き方向に考える」虫の視点そのものである。「東海の」の次は「小島」であって「西海」や「空」ではない。

 また、李先生は、「(日本人は)東海の小島の磯の白砂をバラバラに考えてはいない。世界の空間を一つのつながりとして把握し、それを一点に込めていこうとする志向をあらわしている」と述べている。この意味は、理解するのではなく、直感しなければならない。小島から白砂までが、層を作らずに連続して存在しているままを感じることだろう。この様に、少し抽象的なので、虫の視点の様にプロジェクト遂行などとの関係を明確に言えない。もう少し時間をかけて考えてみる必要がありそうだ。
 では、小さくしていくことに戻ろう。小さくしていくことは、絞り込むことと考えると、この行動は日常しばしばみられる。資料や発表のレビューをしている時に、「こういう風に絞っていこう」と言う類の言葉が良く出てくる。その結果と思うが、資料はその様な絞り込んでいく構造になっていることが多い。

 もう一つ、「「縮み」志向の日本人」の中の事例を引用する。李先生は、扇子(せんす)の発明は日本であると言う。世界中色々なところに団扇(うちわ)はあるが、団扇を畳んだのは、日本人が最初だそうだ。宋史に日本僧、喜因がきて扇子を贈ったとある。しかも、日本人は、扇子を携帯美術館にした。扇子が、15世紀にヨーロッパに紹介され、17世紀には、欧州社交界で人気になった。日本発の世界商品の数少ない例として、李先生はあげている。

 確かに、日本発の世界商品は、小さい方が多いかもしれない。大きいもので世界一だったのは、例えば造船。小さいものは、例えば、トランジスタラジオ、ウオークマン、小型自動車、時計、などがある。一方、最近のウォークマン相当品は、I-PADになってしまった。I-PADでは、ものだけではなく、ネットワーク、サービスなどを含めて、製品化をするり、間口方向に考えているのかもしれない。

 ここまで書いて、まだ私の心がふれている。我々の強さは、「小さくすること」なのか「絞り込む方向に考えること」なのか。

  ソフトウェアの世界を考えてみよう。ソフトウェアを小さくすると、驚異的に魅力が増すとは考えにくい。一方、「絞り込む方向に考える」をソフトウェアに適用すると、対象物があることが前提で、それを絞り込む方向に考えると解釈できる。例えば、地道に改善を続けてソフトウェアを良くしていく、難しいと思われていたことを実現することなどで、世界に打ってでることができるのではなかろうか。

 
板倉稔
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