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プロジェクト・コミュニケーション・文化(第七回)
恥の文化と確認すること
 新渡戸稲造は、日本の倫理(管理)の原点は、武士道だと言い、次の8つの徳目をあげている。義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義・克己。これらをちゃんとやったかどうかを確認するには、「恥を知ろ」だけで済みそうだ。これらの徳目を、恥と言う概念で管理していると言うことができそうである。
皆が、上の徳目に恥になることはしなければ、さぼったり、ごまかしたりする輩はいなくなるし、汚職も、談合もなくなるはずだ。いわゆる管理をしなくても、上手く事が運ぶはずである。また、相手の迷惑になりそうなことを察してしなければ、争いごとも起きない。しかし、実際には、色々な人がいるし、人間は弱い、法律や規定、罰則などで則を超えない様にしばっている。しかし、原則は、「恥ずかしいからしない」ではなかろうか。
海外の空港でちょっと置いたカバンをとられてしまったとか、網棚にカバンをおいて寝てしまったらとられてしまったなどの事例を聞いたことがあるだろう。一方、日本で網棚においたカバンがとられた経験をした人はあまりないだろう。日本の治安が悪くなったと言うが、まだまだ良い。これは根っこに、恥の文化が残っているからと考えている。
 
狭いに日本で、お互いが気持ち良く暮らすには、相手の迷惑になりそうなことをせず、譲り合うことが必要だった。傘の先を後ろに向けて持たない。公共の場で大きな声を出さない、道を譲り合う等々。
 最近は、日本もずいぶん恥の文化がなくなってきていることも事実だが、まだまだ、残っている。例えば、講演で質問を受け付ける場になると、たいていは余り質問がでない。これも、恥の文化の一つと思う。
欧米やインドで発表すると、自分の意見や質問などが次々に出てくることが普通なので、欧米で発表をした後で日本で講演をすると、質問がでないので違和感をおぼえることがある。逆に、欧米の人に日本で話してもらった時、質問がでないことがある。失礼になりそうな気がするので、「日本人は、質問しない文化だから、他の聴衆に聞くか論文を読んで理解しようとする。分からなかったから、あるいは、つまらなかったから質問がでなかった訳ではない」と補足しなければならないことがある。この質問しない文化は、恥の文化であり、また、察することで恥を回避する、察しの文化の一つの帰結でもある。

 コンピュータ・システム開発では、分かるまで聞くべきであることは理の当然である。正しく理解できないままシステムをつくってしまう訳には行かない。しかし、システムができたら、期待と違うと言う例が後を絶たない。国内の開発案件でも、オフショアでもそうだ。
 コミュニケーション・プロトコル会議で、中国の例を聞いた。中国にオフショア開発を依頼した案件で、進捗が遅れているのに聞いて来ない。おかしいと思って、現地へ飛んだら、分かってないことが分かって、手を打ったと言う事例が報告されている。また、中国人(と10億以上の人をくくって良いかよく分からないが)は、プライドが高いので「できない」と言えないと言う意見があった。

また、私の経験では、インド人は良くしゃべる。質問・意見で、何時会議が終わるか分からない位になる。しかし、コミュニケーション・プロトコル会議ででてきたインドの事例は、日本に関係する技術者を呼ぶ時、日本からのメールの中で分かった単語から類推して技術者を送ってきた。結局は、見当違いで、別の人を再度呼ぶ羽目になったのだが、質問好きのインド人でも、自分の経験と照らして、こうであるはずだと思い込むことが起きる。分からないことを聞くことと、思い込みを防ぐことのふたつが必要である。
 察しの文化は、暮らしていくには、気持ちの良い文化である。しかし、コンピュータシステム開発では、察しの文化は、上手く機能しない。そこで、和魂洋才をもう一度かみしめ、本当に、伝わったか、思い込みは無いか、双方で相手の理解度を確認しながら進める手だてを随所に入れるべきではないだろうか。


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板倉稔
「スーパーSE 板倉稔のホームページ」 http://homepage3.nifty.com/super_se_itakura/