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「エンタテイメント論」(209)

川勝 良昭 Yoshiaki Kawakatsu [プロフィール] :10月号

エンタテイメント論


第 3 部 エンタテイメント論の応用

1 序
●エンタテイメント論の「本質」から「応用」への移行
 事前の予告無く、突然であるが、「第2部・エンタテイメント論の本質」の解説を前号で終了する。本号から「第3部・エンタテイメント論の応用」の解説を開始する。しかし何故予告しなかったか?

 実は以前から「エンタテイメント論」の「本質編」をそろそろ打ち切り、「応用編」に移行したいと考えていた。しかしいつから、どの様に移行するか? 移行の予告をどうするか? など色々と考え、少し悩んでいた。しかしこんな事で悩むとは我ながらバカと思ったりした。

 「或る時」、悩みは吹っ飛んだ。「思い付いた時に移行すればよい。予告など不要だ!」と云う「声」が耳元でした為だ。「応用編を突然始めても、必要な時、本質編を解説すればよい!」と云う「声」まで聞こえたからだ。

出典:耳元の声
耳元の声
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 筆者が悩み悩んだ時、不思議な事に、何故か? 耳元で「声」がする。錯覚である。しかしその「声」に今迄、何度も助けられた。例えば、夢工学を構築する原点になった「夢の発見」の時も、耳元で「声」がした(詳細は夢工学・専門書又は夢工学テキスト参照)

●エンタテイメント論の第1号
 「エンタテイメント論の応用」の解説を書き始め時、「本論を、いつから、どの様な経緯で始めたか? 何を解説した? などを説明してはどうか?」と云う「声」がした。此の「声」は悩みから生じた「声」ではなかった。しかし不思議な感じがした。兎に角、「声」が語った通りに説明する事にした。

 エンタテイメント論の連載は、今から17年前の2008年3月24日に開始された。本号が第209号なので209回目の寄稿だ。「光陰矢の如し」だ! 本論の第1号の1頁を以下に掲載した。

エンタテイメント論の第1号


●エンタテイメント論の連載寄稿を提案した人物
 本論の第1号の記載の通り、此の寄稿をPMAJに提案した人物は筆者ではない。当時のPMAJ・オンライン・渡辺貢成編集長が「PM分野で珍しいエンタテイメント論を解説して欲しい」と筆者に要請した事が始まりであった。

 彼は、此の解説を要請する以前、筆者に「夢工学」の連載を要請した。受諾した筆者は、その要請に応じて66回の連載を実施した。この連載が完結したので彼は、新しい連載を筆者に求めてきた。当時のPMAJ・田中 弘・理事長はこの連載に大賛成した。併せて高橋道夫事務局長からも温かい支援を得た。

 その後、理事長が変わっても、筆者は今も連載寄稿を継続中。この寄稿の機会を与えて呉れた全てのPMAJ関係者に深く感謝している。

 なお筆者は他の雑誌や機関誌などにも連載寄稿をしてきた。現在、連載寄稿中の某機関誌がある。しかしPMAJでの「エンタテイメント論」の連載寄稿は、17年を経過し、209回目である。此の様な長い連載は他にない。しかも今後も連載が継続する。筆者にとって此の連載は、現時点で既に人生最長の記録となった。今後も此の記録は伸びる。頑張って解説を続けたい。

出典:最長を目指して
最長を目指して
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●エンタテイメント論で何を解説したか?
 不思議な感じがした「声」に応じて「本論で何を解説したか?」を説明したい。しかし紙面の制約から此処に書き切れない。そのため特に興味深い項目を列挙する事で対応させて欲しい。詳細は本寄稿のバックナンバーを参照して欲しい。

日本人のエンタテイメントへの軽視、蔑視、無視の深層心理
>日本人の古来の深層心理に起因
>明治維新後の新思想と西洋崇拝も起因
>古典的趣味や道楽と現在的趣味や道楽との相克

日本人のエンタテイメントへの欲求
>日本人のエンタテイメント受益者は「マズロー法則」の下位構造の欲求ばかりする。
  買い物して、飲んで、食べて、しゃっべって、アレして、、、、ばかりの楽しみ
>真のエンタテイメントへの追求が不足と真の遊びへの追求の欠如。

日本のエンタテイメント業界の問題
>真のエンタテイナーの不足
>日本人の観客のエンタテイナーへの低い要求レベル(アーティストやエンタテイナーを見抜く目)
>日本の映画、TV、演劇、音楽などの分野でのフロント人材とバックヤード人材の不足

日本のアニメ業界の実態と問題
>Japan is coolの陰にある問題、3Kどころか、もっと酷いアニメ業界
>米国資本と日本資本の戦い

日本の大学のエンタテイメント学科の不在
>日本の大学には「ホスピタリティー学科」は存在
>日本の大学には「遊びの学科」「エンタテイメント学科」は不在

日本に於ける「エンタテイメント論」の欠如
>エンタテイメントとは遊びと芸術の連続連鎖ソフト
>科学+工学+事業+文化の社会基本活動を背後で支えるエンタテイメント
>夢工学の主張する「黄金の三角ピラミッド」に於けるエンタテイメントの重要性

出典:エンタテイメント
出典:エンタテイメント
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●エンタテイメント論の応用について
 本号から解説する「エンタテイメント論の応用」とは何を意味するのか?

 其れは、「エンタテイメント論」を構成する「基本理論」と基本理論から派生した様々な「実践論&経験論」を、様々な分野の活動に「応用」して、如何に「優れた価値」を生み出すか?と云う事を議論し、実践する事を意味する。

 「遊び」を核とする「エンタテイメント」は、世の中を形成する「科学、工学、事業、文化」の基本分野の全ての活動を陰で支える重要な役割を果たしている。この事を「応用編」の中で解説したい。

 特に「事業の分野」では、エンタテイメントの「本質」は、あらゆる商品開発、製品開発、事業開発などを生み出す必要不可欠な原動力になっている。

 さて日本では「entertainment)」と云う英語が「エンタテイメント」とカタカナ文字化され、日本語化されている。しかしその定義は曖昧で「娯楽」「余興」「気晴し」などの意味に使われている。更に「おもてなし」より低次元の「接待」の意味にも使われている。困ったものだ。全くの誤解である。

 以上の様な現状では、日本のエンタテイナーやエンタメント事業に関わる人物は、正当に評価されず、「歌舞音曲」に属する人物として軽視、蔑視、無視されている。更に困ったものだ。もっとも誤解される様な酷いエンタテイナーが日本のエンタメ業界にいる事も事実である。

出典:エンターテイナー
出典:エンターテイナー
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 いずれにしても、「エンタテイメント論」が導いた様々な基本理論やそこから派生した実践論&経験論を基に「応用」の解説をしたい。出来るだけ固苦しい抽象的な解説は避け、エンタテイメントらしく面白く「応用編」を解説したい。

 筆者は「本論」を解説する立場だけでなく、「経営コンサルタント」として現在、活動している立場からも、日本のエンタテイメント・ビジネスに関わる企業が一社でも多く自社の事業に成功し、発展する事を願い、具体的に支援&協力する様に努めている。

つづく

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