対馬の海に沈む
(窪田 新之助著、(株)集英社、2025年5月8日発行、第6刷、323ページ、2,100円+税)
デニマルさん : 9月号
今回紹介の本はタイトルからどんな内容なのかと想像を巡らせながら本書を手にした。その宣伝用の帯文から「2024年第22回、開高健ノンフィクション賞受賞作」とあり、大きな期待をして入手した。筆者はノンフィクション分野の本を好む傾向にあり、種々のノンフィクション賞の受賞作品を読んできた。過去の記録を見ると、開高健ノンフィクション賞受賞作は6冊読んでいた。その中で第10回(2012年)の『エンジェルフライト』(佐々涼子著、集英社)は、ここで紹介(2013年5月号)している。そこで開高健氏とノンフィクション作品の関係にチョット触れてみたい。先ず開高健ノンフィクション賞だが、2003年に創立されノンフィクション部門の賞としては比較的歴史が浅い。因みに大宅壮一ノンフィクション賞(1970年創設)や講談社ノンフィクション賞(1979年創設)や小学館ノンフィクション賞(1993年創設)等と比較するとハッキリする。それぞれ設立や対象作品や受賞賞金や主催者の意向等々で選ばれる作品の特色がある。開高健ノンフィクション賞は集英社が主催し、未発表か未刊行のノンフィクション作品が応募対象となる。開高健氏は、行動する表現者として、旺盛な探究心と人間洞察の結晶を作品に昇華し続け、小説のみならず、ルポルタージュ文学の傑作「ベトナム戦記」「フィッシュ・オン」「オーパ!」をはじめとする作品で日本のノンフィクション分野で大きな足跡を残している。そんな関係から従来の枠にとらわれない、広いジャンル、自由なものの見方・方法の作品を募ると募集要項にある。矢張りノンフィクション作家の登竜門に位置付けられている。
さて本書の紹介をしましょう。書名にある対馬だが、地理的には九州と韓国の中間に位置する玄界灘にある対馬島(長崎県対馬市、人口3万人弱)の対馬(つしま)である。その海に沈んだ一人の男の事件を著者が3年以上に亘って調査して書き上げたノンフィクション作品である。この男の勤務先が農協(JA対馬)であり、事件の背景に農協の人と組織が色々と関係している。農協と言えば、2025年の「令和の米騒動」で話題となった。その農協は農業協同組合の略称で、農業従事者の協同組合である。その全国組織に総合農協があり、JA(Japan Agricultura)の愛称で呼ばれている。農協の仕事は農業の指導、農家の肥料や農薬の共同購入、銀行や保険、ローン、スーパー経営等と手広く扱っている。その経営状況は、本業の農業に関する経済事業は殆どの地域が赤字で、共済事業である預金や保険等の「金融事業」で事業が成り立っているという。現在の農協は、「農業の専門集団」ではなく、『金融屋』と揶揄されている。その実態を物語る事件が、本書で詳しく解明されている。著者を紹介しましょう。1978年福岡県生まれ。明治大学文学部卒。農業ジャーナリスト。2004年JAグループの日本農業新聞に入社。国内外で農政や農業生産の現場などを取材し2012年よりフリー。2024年『対馬の海に沈む』で第22回開高健ノンフィクション賞を受賞。他に『データ農業が日本を救う』『農協の闇』、共著『誰が農業を殺すのか』。
事故の発生(誰が?) あるJA職員の死
2019年2月に一台の車が「対馬の海」に飛び込む事故が発生した。警察の調べで亡くなったのはJA対馬の職員(YN、男性、44歳)で、事件性がなく「溺死」とされた。しかし地元対馬では、YNは全国JAで知られたヒーロであり、亡くなった原因に多くの関心が集まった。
JA共済連(共済事業の総元締め)は営業専門職としてLA(Life Adviser)を専任し、売上高を競う「LAの甲子園」と称される全国表彰をしている。そこでYNは、全国に2万人いるLAの総合優績表彰を12回も受賞している。それも人口3万人弱の対馬のLAが達成している。だからJA共済の関係者から「LAの神様」と呼ばれていた。そのYNが突然事故死となった。事故の目撃者や職場の関係者は、事故ではなく自死と噂されていた。著者はJA業務だけなく農業ジャーナリストとして「LAの神様」の突然死に多くの疑問を抱き、事故の背景や人間関係も含めあらゆる調査をして本書を書き上げた。筆者のような素人でも事故死に疑問を抱く。対馬のLAがどうして全国制覇(それも12回も)出来たのか。地域的特性なのか。個人的な功労なのか。何故ヒーロが突然死したのか。ヒーロ個人や親族や職場組織の人間関係や金銭問題や女性関係等はどうか。サスペンスドラマの様な背景の事故死である。
事件の疑惑(何を?) 22億円超の横領疑惑
2019年6月、長崎県対馬市のJA対馬は、元職員が2011~18年度、共済金約6億9200万円の不正流用と発表した。それによると「元職員はJA対馬支店の営業担当で、契約者に支払うべき共済金を自分や親族らの口座に入金したり、事故を捏造して共済金の架空請求(785件)を行った。不正に得た金の一部は、顧客に無断で締結した契約の掛け金にも充てられていた。JA対馬は、元職員が私的に使ったほか、契約実績を増やそうとした可能性もある」とある。不正件数は約2400件で被害者は476人と13団体、横領疑惑は約22億円にも上る。その不正流用の約4億700万円は回収できる見込みで、契約者に支払われるはずだった共済金約1億100万円は、返金される」という。この原因について、JA対馬は内部のチェック体制が不十分だったとして、第三者委員会を設置して調査した上、告訴も検討していると発表した。補足として、この不正流用事件は元職員の内部告発から発覚したと書かれてある。
事件の背景(なぜ?) 本書が迫る事件の真相
著者がこの事件の調査を開始したのが2022年11月からである。現地対馬での綿密な対面調査を通じて事件の真相を探った。事件の細かな詳細は分からない部分もあるが、YN個人の犯行なのか、JA対馬の組織的犯行なのか、もしくはJA共済連とか農協全体に及ぶものなの判別は難しい問題である。著者は、事件の背景にJA組織の在り方に問題があると指摘している。その元凶が個人の問題か組織の問題か、はたまた別の問題なのかの判断がキーである。営業成績を上げる努力は個人だけの努力では限界があり、組織を上げて全体で目標達成するのが企業体の問題である。この事件の本質は何であったのか、読んでのお楽しみである。
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