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公平で不公平な世の中

プラネット株式会社 中嶋 秀隆 [プロフィール] :11月号

  学びて時にこれを習う また喜ばしからずや
  朋有り遠方より来たる また楽しからずや
  人知らずしていからず また君子ならずや
 『論語』の冒頭を飾る、孔子の言葉だ。3行目の意味は、「人生の在り方は、さまざまである。自分の勉強が常に人からみとめられるとは限らない。人から知(みとめ)られないことがあっても、腹を立てない、それでこそ、紳士ではないか」とのこと(吉川幸次郎『論語』)。この文章が書かれた時代(紀元前5世紀頃)から、今日に至るまで、人の感じ方は変わらないようだ。自分が努力すれば、正当に認められたいが、いつも正当に認められるとは限らない。だからといって、そこで憤らず、くじけずに努力を続ける人が君子だ、というのである。その指摘の背景にあるのは、そういう人間の気持ちは怒りにつながりやすいといる前提がある。
 ここで、近現代史における4つの重要な文章を見てみたい
「自由。平等、友愛」(フランス革命などを経て、フランスが掲げる標語)
「われわれは、以下のことを自明のことと信じる。すなわち、すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている……」(アメリカ独立宣言、1776年)
「すべての国民は、個人として尊重される。生命、自由、及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」(日本国憲法、1947年施行)
「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」(世界人権宣言、1948年)
 注目したいのは、どれを見ても「実は現状がそうではないので、そうなることを目指そう」という方向を示していることだ。「自明のことと信じる」(アメリカ独立宣言)とか、「最大の尊重を必要とする」(日本国憲法)としているものもあれば、「すべての人民とすべての国とかが達成するべき共通の基準「(世界人権宣言、前文)という前提を置いているものもある。
 この世はそもそも不公平極まりない場所である。「この世は不公平と思え」(劇団四季・浅利慶太氏)の教えの通りだ。
 職業柄そのことを強く意識しているのが小学校の先生方だ。入学したての新1年生に授業で同じことを教えても、生徒の飲み込み度合いは同じではない。スポンジが水を吸い込むように旺盛に知識を吸収する子もいれば、理解するのに時間がかかる子もいる。もって生まれた能力に違いがあるからだ。それ以外にも体力、運動能力、体型、気質、出自や家庭環境、地域風土、生まれた時代や政治経済体制など、この世に生きる上での条件の違いはいくらでもある。
 そう、そもそもこの世は極めて不公平な場所であり、私たちはこういう世の中に生を享けている。そのことを前提にすれば、広津和郎が娘に宛てたアドバイスが的を射ている。
 「生まれた以上、生きるということは本人の問題である。そう思って何事にもめげずに生きていくべきであると思う」(「桃子への遺書」)
 不公平・理不尽なことは、誰にでも起きる。そのかたちや時期は、個々に具体的だ。誰もが不公平・理不尽な出来事に見舞われるという点で、この世は極めて公平な場所でもある。
以 上

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