・ |
「道のいうべきは常の道にあらず《道可道、非常道》」 |
→私が言いたい道を『道』と言葉で言ってしまうと、本来の道(常の道)でなくなってしまう、つまり『道』は言葉では言い表せるものではない。
|
・ |
「名の名づく可は、常の名に非ず《名可名、非常名》」 |
→物事に名前をつけて呼ぶとその瞬間に本来の物事でなくなってしまう。物事の本質というものはそれが持つ「名」では表せない、逆に「名」にとらわれると物事の本質を見失う。
|
・ |
「名無きは、天地の始めにして、名有るは、万物の母なり《無名、天地之始、有名、万物之母》」 |
→宇宙が誕生したときには「名」などはなかった、人類が誕生し、物事に「名」をつけ始めて、人類が万物の母となったのである。
|
・ |
「故(まこと)に常に欲無きもの、以て其の妙を観る《故常無欲、以観其妙》」 |
→欲を持たない者には物事の微妙な本質を観ることが出来る。
|
・ |
「常に欲有るもの、以て其の徼(きょう)を観る《常有欲、以観其徼》」 |
→欲を持って物事を見ると物事の結果、あるいは表面的なものしか観ることができない。
|
・ |
「この両(ふたつ)の者は、同じきより出たるも而も名を異にす《此両者、同出而異名》」 |
→物事の妙を観る人と徼を観る人は同じモノを別の名で呼ぶが基は同じモノである。
|
・ |
「信言は美ならず、美言は信ならず。善なる者は辨せず、辨ずる者は善ならず、知る者は博(ひろ)からず、博きものは知らず、聖人は積まず、既(ことごと)く以て人の為にして、己(おの)れ愈(いよいよ)有り、既く以て人に與(あた)えて、己れ愈多し。天の道は、利して害せず、聖人の道は、為して爭わず《信言不美、美言不信。善者不辨、辨者不善。知者不博、博者不知。聖人不積、既以為人、己愈有、既以與人、己愈多。天之道、利而不害、聖人之道、為而不爭》」 |
→真実性のある言葉は美しくはない、美言には真実性はない、善者は訥弁であり、雄弁者は良くない者である。物事を真に知っている者は博学者ではない、博学者は物事の本質を知らない。聖人はモノを溜め込まず、人の為に使う、その結果、自らが人間として更に充実して行く。人に与えることにより自らが充実するのだ。天の道即ち老子の言う道は人々に利を与えるが害を与えるものではない。聖人の道は行動を起こすが決して争うものではない。
|
・ |
河や海が数知れぬ渓流のそそぐところとなるのは、身を低きに置くからである。同様に賢者は、人の上に立たんと欲すれば、 人の下に身を置き、人の前に立たんと欲すれば、人の後ろに身を置く。かくして、賢者は人の上に立てども、人はその重みを感じることなく、人の前に立てども、人の心は傷つくことがない。
|
・ |
自分の心がしっかりと落ち着いていれば、どんなことがあっても、深い谷のように、流れる水を静かに受け入れることができる。
|
・ |
天は万物を生み出すが所有はしない。また育てもするが、支配しようとはしない。
|
・ |
言葉にうまく表現できないものを、あたかも見てきたように流暢に話せること自体が、道を知らない証拠である。
|
・ |
背伸びをする者は、長く立っていられない。大股で歩く者も、長くは歩けない。
|
・ |
自分自身に満足することができ、誰とも自分を比べず、誰とも競わなければ、誰もがあなたを尊敬してくれることだろう。
|
・ |
誰かを深く愛せば、強さが生まれる。誰かに深く愛されれば、勇気が生まれる。
|
・ |
自分の才知を見せびらかすのはやめなさい。たとえ才知があっても、世間一般の人たち、あるいは常識と同調して生きなさい。
|
・ |
水は丸い器に入れれば丸くなり、四角い器に入れれば四角になる。万物に恩恵をあたえながら、少しも自慢することなく、つねに低い所へ位置する。そのあり方はきわめて柔軟で謙虚だ。それでいて硬い岩でも打ち砕く力を秘めている。一見、主体性がないように見えるが、その実つねに低いところへ流れようと強固な主体性を秘め、何も為してないように見えながら、万物に恩恵を与えている。時には水蒸気となり氷となって、その姿は臨機応変、自由自在。人間もかくありたいものだ。
|
・ |
今持っているものに満足し、ありのままの姿を喜びなさい。何も欠けていないと悟れば、全世界が自分のものとなる。 |