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グローバリゼーション、2つの基準

プラネット株式会社 中嶋 秀隆 [プロフィール] :8月号

 グローバリゼーションが加速している。プロジェクトマネジメント関連のわが国の諸団体でも、グローバリゼーションにどのように取り組むかは中心テーマのひとつだ。それについて、2つの基準を提案したい。
 先日、PMAJの夜の集まりでのことだ。話題提供は国際ビジネスがテーマで、素晴らしいプレゼンであった。その後、自由討論に移りいくつかのやり取りがあった。ここまでは、日本語である。すると、参加者の外国人がやや遠慮がちに「日本語はうまくないので、英語でいいですか?」と前置きして質問した。それにプレゼンターが英語で応じると、聴衆の日本人が英語で付け加えた。そこからのやり取りは、すべて英語で行われた。
 そこで1つ目の提案。日本人同士が日本語で話すのは当然である。しかし、そこに日本語がわからない外国人が現れたら、日本人も下手でもいいから英語で話すことにしたらどうだろう。この話を在京のオランダ系企業の日本人社員に話したら、その会社では世界中の事業所で、このルールが採用されているとのことだ。
 とはいえ、グローバリゼーションにはもう1つ別の基準があることを、映画監督・山田洋次さんの対談集で教えられた(『人生はつらいか』)。ここに引いてみよう。
 「ぼくは冬の休みには、スタッフとスキーに行くんです。群馬県の片品村にある旅館にいつも止まるんですけれど、最近そこに留学生のドイツ人の女の子がバイトに入ったんです。泊まり客の若い連中は、きれいな金髪のドイツ人の娘さんだもんだから、ドイツ語で話しかけてみたり、ちやほやするんですよ。でも、彼女はぜんぜん相手にしていないんです。
 ところがある日、近くの山奥に住んでいる90歳のおじいさんが、その旅館のご隠居さんを訪ねてきたんです。茶飲み話をしにね。
 そのおじいさん、ドイツの娘さんを紹介されて、『長生きするもんだ、ドイツの娘さんに逢えるなんて』と喜んだそうですよ。そして彼女が留学生だと知ったら、きちんと座り直して畳に両手をついて『しっかり勉強してお帰りなさいよ』と真剣な顔で言ったんですって。そしたらドイツの娘さん、青い目に涙を浮かべたそうです。
 おそらく日本の片田舎で、そんな愛情のこもった挨拶をされるなんて、思ってもみなかったんでしょうね。真の国際人というのは、このおじいさんのような人のことだとぼくは思いますけど。」

以上

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