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兵法二天一流の心は、水を手本として、勝利の戦い方《利方の法》を実践するにある。よって、水之巻として、二天一流の太刀の使い方を、この書に書きあらわす。 |
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兵法の道は、細かく心のままに書くことはできないが、たとえ言葉はつづかなくとも、その利は自然と分かるであろう。この書物に記したことについては、ひと言ひと言、一字一字、深く考えてほしい。いい加減な理解では、道を間違えることが多いであろう。 |
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戦い方においては、一人と一人との勝負のように書いているところでも、万人と万人との合戦のことだと心得て、大きく見立てることが大切である。 |
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この兵法の道に関するかぎり、少しでも道を間違え、道に迷いがあっては、誤った道へ堕ちる。この文書を読んだだけでは、兵法の道を会得することはできない。この書物に書いてあることを、自分のことだと受け取って、読むと思わず、習うと思わず、真似ると思わず、それを自分の考えで発明した、自分の戦い方にしてしまうことだ。つねにその立場になって、よくよく工夫すべし。 |
【解説】
兵法のような具体的なものは、身体を動員すること無くしては、理解出来ない。口で教えられても理解できない。見ているだけでは理解できない。実行してみてはじめてわかる。「教える・理解する」という言語関係に加えて、「学ぶ・練習する」という非言語的な身体的行為を必要とする。言語表現としての教本「五輪書」は、所与の「それ」を提示するに過ぎない。それを「これか!」と体得できるか否かは本人次第である。これは「PM論」においても同じである。教本としての「ガイドブック」は、所与の「あるべき姿」を提示するに過ぎない。それを「これか!」と体得できるか否かは本人次第である。日々の実戦を通じて、自分自身で発明発見し、自分流PMを確立したときが、教えを「我が物」にしたときである。 |