企業活動のグローバル化の進展とともに外国語習得の必要性が高まってきている。私も英語の習得に心血を注ぎ、英語を使って仕事をしたり、翻訳書を出版したりしている。その経験から振り返ると、外国語習得の効用には三つある。
まず、外国語習得すれば外国の人と話をし、コミュニケーションをとり、その国の文化に触れることかできる。朝の連ドラ「花子とアン」の主人公の指摘のとおり、「よその国の言葉を知ることは、たくさんの心の窓を持つこと」である。これが、第一の効用であることは論をまたない。
第二に、外国語習得することで、視野が広がり、ものを複眼で見られるようになる。母国語の文章を外国語で表そうとすると、表現方法が違いだけでなく、言い回しの違いにも気づくことが多い。これは ”Get out of the box.” にもつながることだ。
外国語習得の三つ目の効用としてとくに強調したいのが、自分を笑い飛ばせるようになることだ。
米国を一人旅していた日本人のジョークだが、シカゴ行きの汽車の切符を買おうと、駅の窓口で ”To Chicago” と言うと、切符を2枚渡された。そうか、Toはマチガイかと思い ”For Chicago” と言い直した。すると今度は、切符を4枚渡された。なんと言ったらいいのか考えて「えーと」とつぶやくと、切符を8枚渡されたという。
ある大学の外国人の先生が、東京駅からバスに乗ったときのエピソードだ。「四谷に着いたら降ろしてください」と運転手さんに頼むつもりで「四谷に着いたら殺してください」と言ったという。外国人の先生には「おろして」と「ころして」は音がよく似ている。幸い、運転手さんがその願いを聞き入れなかったので、その先生はその後も元気に活躍しているとのことだ。
別の外国人が、デパートに買い物に行き「魔法瓶をください」というつもりで「未亡人をください」と言った。「魔法瓶」と「未亡人」はどちらも、”m” で始まり ”n” で終わる。だから外国人には混同しやすいとのことだ。
外国語を学習するプロセスでは、必ず、おびただしい間違いをする。私も学生時代、英語の先生から “Practice makes perfect.” と教わり、”Don’t be afraid of making mistakes.” と励まされた。どちらも、マチガイはするものとの前提がある。そして社会に出て、ずっと英語を使ってきたが、いまだにマチガイを連発している。そしてある時期からは、唯一の自信は冠詞の使い方と時制の一致がメチャクチャなこと、開き直っている。数人の翻訳家が談話のなかで、自分たちの翻訳作品について語りつつ、俺たちの世代ではこれが精一杯と回想していた。
つまり、必ず、おびただしいマチガイをするし、どれだけ注意しても完璧でない。これが、ある時期から外国語を習得するのに避けられない事実である。それを受け入れることが、外国語習得の条件だ。間違いをしたら、自分を笑い飛ばせばよい。そして次の間違いに向かって、さらに進む。これは、自分が完璧でないと認めることにほかならない。さらには、他人にも完璧を求めないことにも、いま注目されている「再起力」にもつながる。
外国語でのコミュニケーションは、割れ鍋に綴じ蓋がお互い様と心得よう。自分を笑い飛ばし、他人にも完璧を求めることなく、「たくさんの心の窓」を持ちたいものである。