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サムライPM (003)
サムライ、武士、武士道 (その3)

シンクリエイト 岩下 幸功 [プロフィール] :6月号

「サムライ、武士、武士道」の系譜 3.武士道
 武士道とは、日本の封建社会における武士階級の「あるべき姿」としての倫理・道徳規範及び価値基準を指します。それは大きく、「武道」としての武士道と、「士道」としての武士道に分けられます。

3.1 武道と士道
武道と士道 「武道」としての武士道とは、武士が誕生した平安時代から、鎌倉~室町~戦国時代へつながる、「武官=武士(もののふ)の道」を、言い伝えや家訓・法度(法律)という形で引き継いだものです。「兵(つはもの)の道」「武者の習い」「弓矢とる身の習い」「弓馬の道」という表現もあります。人を殺傷・制圧する技術や武家生き残り策などの知恵的なもので、いわゆる古武道に相当するものです。伝統を重んじる狭義の徳を、戦闘者(兵士)として守るべきもの、と説く乱世の思想です。それらは個別的、現実的、実践的ではありますが、体系化された思想というものではありません。飽くまで勝利(生き残り)という結果(プロダクト)重視の覇道色の強いもので、ある意味でプロジェクト指向とも言えます。
 「士道」としての武士道は、江戸時代になって、新しい支配階級の倫理として体系化されたものです。戦国時代になると、武士は戦闘員であるだけでなく、領国や領地を治める為政者(経営者)としての性格も持つようになります。更に江戸時代になると、戦の無い泰平の世となり、戦闘者(兵士)としての存在意義も問われるようになります。そこで、武士から戦闘性、つまり武性を排除して新しい支配階級の倫理を作る動きが始まります。これを先導したのが山鹿素行です。素行は儒教の道徳思想から武士の理想化を図ります。「武道」というそれまでの武士の伝統的な道徳を、儒教によって根拠付けられた「士道」として体系化します。「士」とは「徳のある人」を意味します。人格的に優れ、国民の模範となる存在を目指すことで、社会全体への責任を負う為政者としての武士を正当化しました。それは倫理道徳という過程(プロセス)重視の王道色の強いもので、ある意味でプログラム指向とも言えます。
 明治になると、日本人の精神的文化的拠り所を武士の生活態度や士道的信条に求める「明治武士道」というものが生まれます。それを先導したのが新渡戸稲造です。日本人の倫理観の高さ、一人ひとりが社会全体に責任を負うモデルを、『Bushido:The Soul of Japan』(1900)として世界に向けて発信しました。最近では国際化の進展に合わせて、「武士道」や「おもてなし」などの日本の精神文化に対する関心が高まっています。

3.1 武道と士道の系譜
武道と士道の系譜  上述したように、武士道には「武道」と「士道」の系譜があります。それらの歴史的資料として、下記のようなものがあります。その詳細は次号以降で触れたいと思います。


 (「武道」としての系譜)
高坂昌信『甲陽軍鑑』(1615)
「武士道」という言葉が日本で最初に記された
大久保彦左衛門『三河物語』(1622)
運命共同体的な観念「情誼的一体感」を強調
宮本武蔵『五輪書』(1645)
勝つ為に何を考え、何を実践するのかを説く
山本常朝『葉隠』(1716)
「武士道と云ふは、死ぬ事と見付けたり」生への執着を否定
 (「士道」としての系譜)
池田光政『申出覚』(1654)
「天―上様(将軍)―国主(藩主)―家老・士―人民」という名分論
山鹿素行『山鹿語類』(1665)
治者としての自らの立場を知り、三民(農工商)を指導する「士道」
武士は身分という制度ではなく、自分が(封建)社会全体への責任を負う立場であると定義することで武士となり、社会全体への倫理を担うとする
山岡鉄舟『武士道』(1860)
「神道にあらず儒道にあらず仏道にあらず、神儒仏三道融和の道念にして、中古以降専ら武門に於て其著しきを見る。これを名付けて武士道と云ふ」
新渡戸稲造『武士道』(1908:桜井彦一郎訳)
武士道は国際社会において、日本人の倫理感の高さや、一人一人が社会全体への義務を負うように教育されていることを説明するのに最適なモデルであった。極めて士道的である。
 (現代武士道)
  武士道は現代でも、日本人の重要な精神的バックボーンとして残っています。武士道の精神を基本とした「士魂商才」という言葉があるように、拝金主義に陥らず、倫理道徳観のある商才を発揮することで理想のリーダーたらんとします。欧米での「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」に通じるもので、帝王学(人の上に立つものとしての精神)として発達しました。企業の倫理が問われる中で、経営者や戦略における重要な要素となっています。しかし近年、株主資本主義の下で短期的な成果を追う余り、このような経営哲学・倫理観を軽んじる風潮もあるようです。

(参照サイト)
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