PMプロの知恵コーナー
次号

サムライPM (001)
サムライ、武士、武士道 (その1)

シンクリエイト 岩下 幸功 [プロフィール] :4月号

「サムライPM」を執筆するに当たり、「サムライ、武士、武士道」についての系譜を辿ります。偏狭なナショナリズムに陥ることなく、グローバルな普遍性を求めるという姿勢で、日本人の精神風土といわれる「サムライ、武士、武士道」を整理し直したいと思います。

1.サムライ
「サムライ、武士、武士道」の系譜  「サムライ(侍)」という言葉は、奈良時代(8世紀)の「サモラフ」に語源があるといわれます。「サモラフ」は「サ」(接頭語)と「モラフ(候)」からなり、その原義は「相手の様子をじっと窺う」、転じて「貴人の傍らに控えて様子を窺いつつその命令が下るのを待つ」という意味で使用されたそうです。
この「サモラフ」が平安時代(9世紀)に「サムラフ」となり、さらに「サブラフ」という語に語形変化したと考えられています。「サブラフ」は「侍」の訓としても使用され、「貴人の側にお仕えする」という動詞で使用され、その「サブラフ」から「サブラヒ」という名詞が生まれました。その原義は「主君の側近くで面倒を見ること、またその人」で、朝廷に仕える官人でありながら同時に上級貴族に伺候(奉仕)した中下級の技能官人層を指すようです。そこから技能官人の一角を構成した「武士」が登場します。つまり、最初は明法家などの中下級技能官人も「侍(サムライ)」でした。そこには武人を意味する要素はありません。このように「侍(サムライ)」という漢字には、元来 「貴族のそばで仕えて仕事をする」という意味であり、「武士」に類する武芸を専門とする技能官人を意味するのは日本だけのようです。
「サブラヒ」はその後、鎌倉時代(12世紀)に、「サブライ(さ無頼)」と語形変化を遂げます。「サブライ(さ無頼)」の「さ」は、「まるで~のような」という内容の接頭語で、「無頼〔ぶらい〕」は、本来は「頼るものが何も無い状態」の事です。 よって「サブライ」は、「まるで頼るものが何も無いかのような状態」を表します。
「サブライ」は、戦国時代(16世紀)に「サムライ」と語形変化を遂げていきます。
地位に関係なく武士全般をこの種の語で呼ぶようになったのは、江戸時代近くからであり、それまでは貴族や将軍などの家臣である上級武士に限定されていました。上級武士とは、所謂「騎馬戦闘の権利資格」を有する身分を指すようです。
 日本が古来より大事にして来ている精神性からの解釈では、「サブライ・サムライ」は、「自律独立して、他に自らの重みを掛けない状態、その人自身の責はその人自身で担う事を基本とした精神」ということです。従って「サムライ」から派生した「武士」も、「自律独立の生き方や精神」を持つ事が特に要求される身分でした。

次号以降で下記について記述します。
2.武士
3.武士道

(参照文献)
「五輪の書」宮本武蔵
「葉隠入門」三島由紀夫、新潮文庫
「武士道」新渡戸稲造、三笠書房
(参照サイト)
 リンクはこちら

ページトップに戻る