PMプロの知恵コーナー
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「原発事故」 (11) 過去の津波

仲 俊二郎/小石原 健介 [プロフィール] :11月号

15 東電社長の発言「一番の問題は津波によって非常用電源設備が冠水した。これまでの想定を大きく超えるレベルの津波だった」と津波のせいにしているけれど、過去にこのレベルの津波は日本で起こっていないのですか

津波の高さは福島第1原発で最大15.5m、第2原発で最大14.5m、また気象庁によると福島県相馬市で9.3m以上、宮城県宮古市で8.5m以上の津波を観測しました。
 この東北地方太平洋沖地震のM9.0は国内観測史上最大規模で、世界でも1960年のチリ沖地震(M9.5)、2004年のスマトラ地震(M9.3)1964年のアラスカ地震に次ぐ観測史上4番目の規模でした。
 また津波マグニチュード(地震で生じた津波に大きさから求めるマグニチュード)も、1960年のチリ地震(9.4)、1837年のバルディビア地震(M9.3)と1946年のアリューシャン地震(同)に次いで、世界観測以上4番目となる規模でした。

 なお国内での古文書に残る巨大地震は次の通りです。
貞観三陸沖地震
 896年7月13日、三陸沖の海底を震源地として発生した貞観三陸地震は、M8.3以上と推定されています。東北大学大学院箕浦幸治教授は、津波発生の理工学的解析で貞観津波の数値的復元に成功しています。 これによると仙台平野の海岸で最大9mに達する到達波が7.8分間隔で繰り返し襲来したと推定されています。
 「津波災害は繰り返す」と論文で強調し、貞観当時、東北地方から房総半島にかけての広い範囲で巨大津波が発生したこと、また相馬市の海岸にはさらに規模の大きな津波が来襲したことを明らかにしました。地震の周期性から、新しい大津波来襲を警告していたのです。
石垣島南東地震
 1771年石垣島南東沖40kmを震源とするマグニチュード7.4の地震が発生しました。明和の大津波と言われ、津波最大85.4m、死者行方不明者11861人で、最悪・最大の津波でした。
 今回の東日本大震災の津波被害については、こうした専門家の指摘や古文書の記録からも充分予測できたにもかかわらず、事故が起きてしまったあとで、「想定を大きく超えるレベルだった」などの言い訳がなされているが、決して許されることではありません。

図表 13 気象庁の記録に残る明治以降の津波被害
(出典:気象庁データ)
発生年 地震名 M 死者行方不明
1896
1933
1944
1946
1960
1983
1993

明治三陸地震津波
昭和三陸地震津波
東南海地震
南海地震
チリ地震津波
日本海中部地震
北海道南西沖地震

8.5
8.1
7.9
8.0
8.5
7.7
7.8

21,259
3,064
1,223
1,443
142
104
230


 図表14 「地震マグニチュードによる規模比較」
  (出典 原発再稼動最後の条件)

順位 マグネチュード 発生年 地域名
1
2
3
4
4
4
4

M9.5
M9.3
M9.2
M9.0
M9.0
M9.0
M9.0

1960
2004
1964
1700
1868
1952
2011

チリ地震(チリ)
スマトラ地震(インドネシア)
アラスカ地震(アメリカ)
カスケード地震(カナダ、アメリカ)
アリカ地震(ペルー、チリ)
カムチャッカ地震(ソ連)
東北地方太平洋沖地震(日本)



 図表15 「津波マグニチュードによる規模比較」
  (出典 原発再稼動最後の条件)

順位 マグネチュード 発生年 地震名
1
2
2
4
4

M9.4
M9.3
M9.3
M9.1
M9.1

1960年
1837年
1946年
1964年
2011年

チリ地震(チリ)
バルディビア地震(チリ)
アリューシャン地震(アメリカ)
アラスカ地震(アメリカ)
東北地方太平洋沖地震(日本)


16 電源復旧作業が開始されたのは6日も経ってからですが、信じられません、本当にそうなのですか

 せっかく苦労して発電車を準備したのに、接続ケーブルのための低圧ケーブルが、なかなか手に入りませんでした。そこへ技術者も揃わず、作業が難航したのが実態です。しかしこれらは電源復旧が遅れた原因とは思えません。
 復旧作業の開始が遅れた一番大きな原因として以下が考えられます。「安全神話」や政府の安全指針である「長期にわたる全電源喪失は考慮する必要がない」などを信じ、全く想定していなかった突然の全電源喪失が起こって急速に炉心溶融が進み、そのことばかりに気を奪われて、格納容器のベント作業に最大の関心が払われてしまったからではないかと推測されます。
 現実には原発事故発生の3月11日から15日までの5日間、分刻みの作業が続くのですが、肝心の外部電源の復旧作業をした形跡はありません。皮肉なことに、ベント作業や炉心溶融を防ぎ原子炉を安全に冷温停止させるには、外部電源の一刻も早い復旧が不可欠であったことです。
 17日から始められた陸自ヘリによる上空からの散水および警視庁機動隊による高圧放水車による放水や消防車のポンプで海水を入れる作業を最優先させたからです。だから実際に外部電源の復旧作業がはじまったのは17日朝からです。しかし断続的に行われた放水作業の合間を縫って行われたため、作業ははかどらず、実際に電源が復旧したのは20日午後3時46分でした。
 新聞報道によると、おかしな弁解が堂々となされています。原子炉が危険な状態になったので、電源確保より、放水作業を優先させたというのです。これは緊急事態の対応としては本末転倒も甚だしい愚行です。もし日頃からプラントの危機管理、電源喪失時の訓練実施を重ねておれば、電源確保が最優先されたはずです。そうすれば、翌日の3月12日には外部電源は復旧できたのではないかと思われます。このことは福島第2原発で外部電源4回線中3回線が地震で停止したのに、翌日には復旧していた実績からも、可能であったと推測されます。
 「福島原発事故はなぜ起こったか」政府事故調核心解説によると「多くの低圧配電盤が冠水して機能を失っていた。そのため、仮に、外部電源が発電所の開閉所にまで送電できたとしても、全交流電源喪失という状況は、事故当初にあまり変わりはなかったと考えられる。」と説明されている。この説明はいかにも今回の事故の原因は津波による自然災害が原因であるかの印象を受けます。
 しかしそんなことは電源復旧が遅れた何の言い訳にはなりません。冠水で使用できない低圧電源盤があれば直ちに乾燥させ絶縁抵抗や機能の回復を図る、損傷したものがあれば、これらを休止している他の発電所から部品や使えるものを取り外してヘリで運んで来る対応が必要です。船舶の海上勤務では、台風や大しけに遭いデッキ上に設置された電機品で冠水したものは清水で洗い塩分を除去、乾燥させて直ちに絶縁抵抗・機能を回復させています。こうした緊急時の対応は決して珍しくありません。
 福島第2原発と比較して、鉄塔の倒壊以外に、受電設備・遮断器・制御盤の損傷状況が異なると言うかも知れませんが、電源を回復するための手立ては基本的には変わりないはずだと思います。
 またプラント的発想としては同じ自衛隊に頼むのなら、全電源喪失後直ちに艦船を第1原発へ急行させ船の電源と陸上電源との融通を計っておれば、事態は相当改善を計ることができたと推測されます。
 緊急時に備え、船の電源と陸上電源との融通は非常に重要な課題です。この場合の問題を集約すれば電圧と容量の違いになると思います。
・第1原発では配電盤6.900ボルト交流、パワーセンター480ボルト交流、非常用電源125ボルト、250ボルト直流です。船の電源は通常440ボルト交流で電源の融通には電圧の違いを昇圧または降圧するための変圧器が必要となります。
・また電圧の他電気容量の違いがあります。いずれにしても船の電源容量で原発プラント全体を運転するのは難しいので限定された範囲での電源の融通を計ることになります。
 福島原発事故の場合、もし直ちに船からの電源を融通できれば、炉心冷却系統の給水ポンプや循環水ポンプの動力電源の給電は仮に難しいとしても、中央制御室および現場の照明、中央制御室の監視・制御システムを生かすことができた。また、緊急炉心冷却システム、爆発防止のためのベント用電動弁の操作・制御に必要な電源の確保やバッテリー電源の交流による充電などは可能となり、これにより今回の事故による最悪の事態は大幅に軽減できたと思います。
 残念ながら現場での緊急事態発生時の修羅場の経験がなければこうした発想は出てこないかも知れません。

17 事故発生時にテレビで原子力工学の専門家や学者たちが大丈夫みたいな解説をしていましたが、今になってみれば、実に無責任な発言だったと思いますが、どうなんでしょうか

 原子炉工学の専門家や学者たちが、連日テレビや新聞を通じ、主に原子炉の構造について解説をしていました。それによると、「たとえ原子炉が損傷しても、原子炉は格納容器の中にしまわれており、二重に安全が確保されているので心配はない」と、実際には既にメルトダウンを起こしているのに、そのことを知らないのかどうなのか、原子炉は安全だということをしきりに解説していたのです。
 また全電源が喪失し原発は完全に制御が不能となっている、これでどうして安全が確保されているといえるのか。全く理解に苦しむ説明という他ありません。
 具体的に言えば、原子炉は格納容器とよばれる厚さ約3~4.5cmの鋼鉄で出来ていて、さらにその外側を厚さ約2メートルの鉄骨・鉄筋コンクリートで守る構造になっています。このため想定を超える万一の事故が起きても放射性物資を閉じ込めることができ、安全だと言われてきました。これは政府、東電が地元の自治体や住民にこれまで説明してきたのと同じ説明です。
 しかし今回の事故では格納容器は、炉心溶融(メルトダウン)には全く弱いことが分かりました。専門家の間ではすでに3月13日の時点でこれは指摘されていたのですが、政府、東電がようやくメルトダウンを認めたのは、約2ヶ月後でした。隠していた罪は万死に値します。このことから、事故発生時にテレビに登場して解説していた原子炉工学の専門家や学者の説明は無責任であったと言うより、メルトダウンについての知見がなかったと考えられます。結果としてこの説明は国民に対して誤った安心感を与えてしまいました。
 なぜこんな偏った解説にこだわったのでしょうか。適任者はいくらでもいたはずです。原子炉溶融についての専門家のみならず、原発のプラントシステム全体をよく理解している技術者や、プラント現場の運転管理に精通した技術者、設備の詳細を良く知るメーカーの技術者を、外国人も含めて登場させるべきでした。なぜ広い分野から解説の適任者を人選できなかったのか、いまだに疑問です。あえてマスコミを使って、メルトダウンは起こしていないのだというふうに印象づけたいのだと、勘繰られてもが仕方ないパフォーマンスでした。
 結論的に述べるなら、原発プラントで緊急事態が発生した時の解説者としては、一点に精通した高遠な理論の専門家よりも、現場全体に精通したプラント技術者の方が適任です。要素技術の専門家ではなく、それら要素技術を集めて運転するプラント・オペレーションとしての技術者の領域なのです。しかし残念ながら、この点については事故調査委員会の報告書でもまったく言及されていません。
 また緊急事態に如何に対応すべきか、事故発生直後の対応はどうあるべきか、は重要な問題なのに、原発の危機管理に熟達した専門家の登場による解説はありませんでした。
問題は事故直後の解説者をする側にある。原子炉工学の学者、権威者であれば、原発事故についてもすべてが分かるという錯覚は、現場軽視、権威主義からきている過ちである。

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