ダブリンの風(121) 「不適格なPM群像 12」
高根 宏士: 9月号
9 評論家
評論家とは他の人がやったことに対して、それを評価する人である。文芸評論家は作家が書いた作品を評価する。野球評論家は監督の作戦や選手のプレーを評価する。政治評論家は政治家の言動を評価する。この評価には賛辞や賛同もあるが、多くはその問題点やまずいプレーや言動に対しての厳しい指摘である。評論家の舌鋒は鋭く、それだけを聞いていると神のようである。テレビでの解説や、新聞や雑誌で言われている言葉通りに、彼(または彼女、以下すべて彼で代表)がやったらすべてうまくいくように思われる。
ところが、実際に彼にやらせるとうまくいかない。スポーツ評論家は通常プロとして、実績を残した後で評論家をすることが多いので、まだプレーしている人の気持ちや「言うは易く行うは難し」がわかる人が多い。しかし政治評論家や経済評論家は実際には行動せずに、行動した人のあらさがしをやっているだけで自分は偉いと思っている人が多い。それほど偉いならば、自ら総理大臣なり、社長をやってみたら良い。多分90%以上の確率で失敗するであろう。彼らの一番の強みは「行動しない」ことである。だから絶対に失敗しない。そして行動している人の後を追ってその粗を探して、それを商売にしている。自分は絶対安全な場所にいて厳しい現場にいる人間を批判している。
PMにもこのようなタイプがいる。自分では何もせず、メンバーがやったことに対して粗探しをし、そこを厳しく指摘したり、叱責したりする。例えばプロジェクト計画を作る段階で、今回のプロジェクトのステークホルダーは誰か、プロジェクトの目的は何かを明確にし、プロジェクトをどのように進めるかの基本方針を明らかにすることをせず、サブリーダ(場合により主要メンバーも含め)にプロジェクト計画を作れという指示のみを出す。サブリーダが苦労して、プロジェクト計画書の素案を作成して、提示するとそこに書いてある内容の不備を指摘し、さも「お前は何も分かっていない」というような態度を示す。しかし自分はどうしたいという将来に向けた意思表示はない。あくまでもサブリーダがやったことに対する未熟なところとか、整合性が取れていないところを指摘するだけである。
このようなPMは自分が知識を持っている場合には常にそれをひけらかし、知らない相手を馬鹿にする。そして自分の知らないことが提示されると相手の説明が悪いから理解できないと言う。しかし「知識」とか「知っている」などということは過去のことである。それを知っていたからといって、それだけでは何の意味もない。せいぜいテレビのクイズ番組で有利になるだけのことである。PMにとって重要なことはこれからどのようにプロジェクトを進めるべきかという見識である。それに役立たない知識は何の意味もない。しかし彼は知識があることが実力と勘違いしている。そして自分は非常に力があると思っている。
彼は自分では行動せずに行動したメンバーのいたらないところを鋭く指摘して自己満足に浸っている。
PMが行動しないのでプロジェクトチームには積極的に行動する雰囲気はなくなり、「言い訳」と「自己防衛」と「しらけ」が蔓延することになる。
しかし評論家(彼)は他者の悪口を言うが、自己に対する厳しい目はないので、事態が改善されることはない。プロジェクトがうまくいかなくなると必ずスケープゴートが作られる。
不適格なPMの中でも最右翼に近いタイプである。しかし彼は自分こそが適格なPMと確信している。
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