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「エンタテイメント論」(65)

川勝 良昭 Yoshiaki Kawakatsu [プロフィール] 
  Email : こちら :8月号

エンタテイメント論


第2部 エンタテイメント論の本質

5 喜怒哀楽
●脳による偽の痛み
 マラソン・レースでコースの半ばを過ぎる頃、横腹が痛くなったり、膝に違和感が生じたりする。しかし我慢して、しばらく走ると、いつの間にか消えてしまう。この様な現象をマラソン・ランナー仲間では「脳による偽の痛み」と言われている。

 筆者はランナーの経験がないため、何とも説明のしようがない。しかしランナー経験者の読者なら身に覚えがあるのではないか。また時計を見て記録更新が無理という先行きの予測をすると、急にスピードが落ち始める。更に最後まで走り切る自信を失うと、益々スピードが弱まり、消えたはずの痛みまで出てくる。何故、脳は「偽の痛み」を作り出すのか?

出典:東京マラソン2013年 nipponnews net

出典:東京マラソン2013年
nipponnews net
出典:東京マラソン2013年 nipponnews net 出典:東京マラソン2013年 nipponnews net

●窮鼠猫を噛む&火事場の馬鹿力
 前号から「喜怒哀楽」をテーマとして取り上げてきた。この「喜怒哀楽」を体感した時、人の体に備わっている「脳」の「交感神経システム」が活発にその機能を発揮し始める。

 特に強盗に襲われた時や火事に遭遇した時、言い換えれば、「危機」に直面し、「恐怖」を感じた時、そのシステムは、高度に活性化する。もしその危機を救ってくれる人が周囲に居ない場合、自分の力で生命や財産を守らなければならない。戦うか? 逃げるか? 他の手を使うか? という究極の選択を迫られる。この時、交感神経システムは、極限値までフル稼働する。

出典:左 強盗 design-squared & yahoodesign 出典:左 強盗
  右 火事現場
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yahoodesign
右 火事現場 design-squared & yahoodesign

 例えば、夜道で強盗に襲われ、覚悟して「戦う」ことを選択した時、腕力のない小さな男でも、自らの命の守るため、襲ってきた強盗を死にもの狂いで、「物凄い力」で投げ飛ばすことが出来るのである。また火事で炎に囲まれ、覚悟して火と「戦う」ことを選択した時、力のない細い女でも、「物凄い力」を出して、重い貴重な家財道具を担ぎ出すことが出来るのである。前者の例は「窮鼠猫を噛む」、後者の例は「火事場の馬鹿力」である。昔から「諺」として伝承された事実である。

 この「物凄い力」は、いずれの場合も、本人から生まれたもの。本人は自分にそんな力があるとは知る由もない。にもかかわらず、「物凄い力」で危機を脱出したのである。本人は、後で聞いて驚くのである。何故、この様な「物凄い力」が生まれるのか?

●戦場で重傷でも激痛なし
 更に信じられない事がある。それは、生死を賭けた激しい「戦場」で兵士が深い傷を負った場合の事である。本人は重傷でも激痛を感じないのである。その様な事が本当に起こるのか?

 戦争の恐ろしさ、悲惨さを映画や小説でしか知る術がない現在の多くの日本人は、殺し合いの「戦場」の恐怖と混乱を想像できないだろう。当然である。

出典:戦場と負傷者 battlefield-3.softonic.fr
出典:戦場と負傷者 battlefield-3.softonic.fr

 筆者は、太平洋戦争の終結後、幸運にも家族一緒で上海市から日本に引き揚げる事が出来た。しかし満州からの引き揚げ者の多くは、肉親や兄弟を数多く失っている。

 筆者は、引き揚げの途中、武装放棄した日本兵の1人が、何か理由があったのだろうが、中国軍の兵士に銃殺された場面を偶然目撃した。その光景は、その頃、小学生1年生の筆者の目に焼き付いた。今も頭から消えない。戦争の恐ろしさと悲惨さは、子供の頃の筆者の体に染みついている。戦場で重傷を負った兵士が激痛を感じない理由を以下で説明するが、筆者には理屈(理性)だけでなく、感覚的(感性)に分かる気がしている。

●偽の痛み、馬鹿力、無痛の原因
(1)脳による「偽の痛み」は、何故起こるのか?

 100km以上のウルトラ・マラソンをする東京医科歯科大学の秦羅雅登(たいら・まさと)教授(認知神経生物学)は、「偽の痛みを脳科学で完全には立証できない。しかし過度なマラソン・ランニングを抑制し、体の自己防衛を果たすため、脳が偽の痛みを作り出すリミッターを掛けたと考えるのは、あり得ることだ」と某記事で語っている。

(2)「馬鹿力」は何故、出るのか?
 これを理解するためには、力の源泉となる「筋肉」と、それをコントロールする「脳」の仕組みを理解する必要がある。

出典:Muscle System homepage.smc.edu 出典:交感神経 & 副交感神経システム図 lookfordiagnosis.com
出典:Muscle System
homepage.smc.edu
  出典:交感神経 & 副交感神経システム図
lookfordiagnosis.com

 人は、筋肉の伸縮で体を動かす。普段の行動で筋肉を過度に継続して酷使し、その回復待たず、再度の酷使を繰り返すと、筋肉は必ず損傷し、場合によっては切れてしまう。しかし継続酷使でなくても、筋肉が本来持つ伸縮パワーを全開させ、一挙に100%使うと「膨大な力」が生まれるが、筋肉が切れる可能性がある。

 「脳」の「自律神経システム」は、筋肉を一挙に100%を使わせず、全パワーの約30%(某学説では20%)の範囲内に制約する「リミッター」を装備している。これによって継続酷使は別として、意識的にいくら一挙に筋肉を使っても、その限度を越えられない。これによって筋肉の安全性が確保される。

 自律神経システムは、生命の危機など「恐怖」を感じた時、血圧上昇、呼吸速度上昇、発汗、血管収縮、筋肉への血流強化などを自動的(自律)に引き起こし、危機脱出体制を整える。

 上記の様な危機に直面した時、脱出のために「物凄い力」が必要になる。そのため同システムは、筋肉の損傷リスクよりも、生命消失リスクを優先し、危機脱出のために必要な「物凄い力」を出せる様にする。そのために筋肉制御の「リミッター」を解除し、限界まで筋肉を伸縮させ、「物凄い力」を生ませるのである。

(3)「戦場」では重傷でも「激痛」がないのは何故か?
 その答えは、馬鹿力と同様に「脳」の「自律神経システム」が危機脱出のために「痛みの鈍化」というスイッチを入れ、激痛の神経経路を遮断する。

 「戦場」という異常な状況下で重傷を受け、「激痛」で動けないと戦場から脱出できなくなり、「死」を待つ以外に道は無くなる。是が非でも生き延びねばならない究極の危機に直面し、「脳」の自律神経システムは、激痛を遮断し、歩ける様にし、戦場を脱出させ、生命を維持させるのである。

 「脳」は、何とも素晴らしい「生命自動安全装置」を装備していることか。

つづく

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