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制御システムの黎明期とP2M

富士電機株式会社 PMR 竹田 直規 [プロフィール] :11月号

1980年に入社以来30数年が経過しましたが、携わった仕事は大きく2つに別れ、前半は鉄鋼プラント制御システムエンジニアリング、後半はパワエレシステム開発プロジェクトに従事し現在に至っております。それぞれの仕事の具体的な内容は異なりますが、両者ともプロジェクトマネジメントが推進の優劣を担う事は同じです。PMAJの前身であるPMCCとJPMFが設立されたのは、1990年代末~2000年代初めでしたので、制御システムエンジニアリングで暗中模索していた時期は、プロジェクトマネジメント的な考え方は意識したものの、それを学ぶ機会は殆ど無く、言わば動物的勘によるKKY(経験と勘による予知)でプロジェクトを推進していました。今ではKKYは「かなり空気が読めない」となっているようですが、当時は仲間内でKKYは半ば自嘲気味に良く使われていました。
1980~1990年代は、IT(Information Technology)が生まれ飛躍的に発達した時代であり、制御システムのハードウェア・ソフトウェアとも大きく進歩しました。それに伴うように、エンジニアリングドキュメントも膨大な量になった為、PC(Personal Computer)のオフィスツールやエンジニアリングツールが必須となり、プロジェクトマネジメントも必要に迫られ発達したように感じております。

私が入社した1980年は、プラント制御システムに適用可能なPLC(Programmable Logic Controller)が実用化され始めた時期でした。それ以前の制御システムは、リレー制御盤、位置決め制御装置、アナログ制御装置等を主体としたハードウェアシステムであり、一部のリレー制御機能をシーケンサー(リレー制御機能のみをプログラム可能とした制御装置)化したシステムがあった程度でした。従って、エンジニアリングもハードウェアの仕様決定・設計・製造・試験・現地施工・現地調整が主体でしたので、プロジェクトマネジメントを意識する機会は、現地施工・現地調整工程に合わせた設計・製造工程の策定・管理の場面に限られていました。ちなみにこの頃のPCは「8ビットMPU」の時代で、BASICでソフトを手作りしていました。

その後、PLCの分野においても処理能力の高速化、メモリ容量の大容量化が進み、PLCで実行する制御もシーケンス制御から位置決め制御、アナログ制御、データ処理制御と範囲を広げ、その結果ハードウェア制御装置は姿を消す事になりました。エンジニアリングもハードウェアからソフトウェアに主体が移るようになり、プラントオペレーション要件仕様、自動制御システム基本(思想)仕様、自動運転機能仕様、手動介入運転機能仕様等のソフトウェアドキュメント作成が膨大な量に増加しました。しかし、1980年代前半はワープロソフトや表計算ソフトは使えるレベルではなく、手書きで1000ページ近い仕様書を書きながら、首や肩凝り、消しゴムのカスと、手指の鉛筆ダコを大量生産しておりました。

1980年代末~1990年代になると「16/32ビットMPU」PCが実用化され、ドキュメント作成にワープロ、表計算、データベースソフトが適用可能となり、生産性が飛躍的に向上しました。初めて表計算ソフトを使用した時は「10年前にこれがあれば、もっと効率的に仕事が出来たな~」としみじみ感じたものです。手書きのドキュメント作成から解放され、精神的余裕が出来た事もあり、この頃からプロジェクト全体の進捗状況とその時に成すべき優先事項について考える、プロジェクトマネジメント的思考を意識するようになりました。特に、現地調整試験の際に自動運転機能や手動介入運転機能等の手直しが多発した経験から、プロジェクトの初期段階での「プラントオペレーション要件仕様、自動制御システム基本(思想)仕様」の検討・作成に力を注ぐようにしました。この段階では、プラントのステークホルダー(当時はステークホルダーと言う言葉も知りませんでしたが)の意見調整が重要な課題であり、制御システムの根幹に関わる問題も載積していました。意見調整の場としては、プロジェクト全体会議が定期的に開催されましたが、初期の段階では好き勝手な夢を語る方々が多く、議論が発散する事が多々ありました。制御システムを実装する立場として「いつまでも夢物語では、時間切れとなる。」と、現実をはっきりと提示する必要に迫られた結果、意見と感情が衝突する事もありました。当時は冷や冷やものでしたが、今となっては良い思い出です。

2000年代に入り、開発プロジェクトを推進する立場となり、プロジェクトマネジメントを改めて学ぶ機会を得たので、PMSを取得しました。P2Mを学ぶ課程で、自分がKKYで推進していた事が体系化されいる事を知り「あの時は、間違った事はしていなかった。」と安堵しました。P2Mを学んで振り返って見ると、制御システムやITが飛躍的に発達する時代に立会え、かつプロジェクトを推進する立場に恵まれたのは、得難い経験であったと感謝しております。諸先輩方のKKYを蓄積・整理・体系化した結果が、P2Mになっていると考えれば、私の経験も何かしらのお役に立てる事が出来れば良いと思っております。

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