理事長コーナー
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ローマ遺跡で感じたP2M

PMAJ理事長 光藤 昭男 [プロフィール] :9月号

 暑い夏です。 清涼を期待し、一息入れるため、ローマ遺跡を話題としました。

 世界史を初めて習った時からの夢であり、かつ、塩野七生の著作を読んで、是非見たかったものにローマの遺跡があります。恥ずかしながらイタリアの首都ローマではなく、ローマ初期の時代からすると西方の片田舎であったフランスで、初めて“ローマ”と接することが出来ました。ローマは王政として紀元前8世紀に発し、共和制を経て帝政となり、15世紀のオスマン帝国に東ローマ帝国が滅ぼされるまで、様々な国家形態があったにせよ、大まかには2000年以上継続した国家でした。ゲルマン人の侵入により西ローマ帝国が滅びたのは5世紀ですが、キリスト教が生まれそれを国教とした頃には、領土は最大ではないが国力は最強であったのでしょう。当時領土はフランスから北アフリカの地中海一体を包含しており、多くの建造物が造られた時期だそうです。

 初めて見たのがパリのソルボンヌ大学の近くにある「公共浴場跡」です。「えっ、これだけ」という程小さな区画が、高めの錆びた鉄柵に囲まれていました。しかも朽ち果てている感じです。正直言ってがっかりしました。隣接する「中世美術館」も色あせて見えました。パリを後にした機内の資料で気づきましたが、公共浴場の近くの公園には「リュテス闘技場」と呼ばれている闘技場の跡が残っていたし、ノートルダム大聖堂の地下にもローマの遺跡があり、見学可能だったそうです。地団駄踏んでも、既に時遅しでした。

 この様なことがあった後だったので、南フランスのオランジュで見学した「古代劇場」は、携帯日本語案内機により理解が深まったこともあり、正直感激しました。紀元1世紀のはじめに建造され、古代劇場としては世界で最も保存状態の良いローマ遺跡だそうです。奥行き4m程の巨石を積み上げた舞台背面は、幅は100m、高さは40m弱、奥行き20m程度の優雅さと壮大さとその規模に驚きました。9000人超を収容する観客席は、自然の丘を利用して舞台を丸く囲み見下ろすようにせり上がっています。

 説明によれば、舞台下の半円形をオーケストラと呼びますが、その前列から後段に向かって、貴族、僧職者、兵士、職人などが位置し、驚くことに、ローマが衰えだすと最上段は奴隷達の定席だった時代もあったようです。お互いが見えない壁を設けて、階層の違う人々が直接に見ること、話すことはなかったそうです。舞台の催しは一日中続き、観客は舞台の合間に、最上段の下部に設けた回廊に行き、ワインや食事を楽しんだそうです。民主的と云われたギリシャとは違い、ローマの盛期は皇帝をトップとした階層社会で、娯楽は上流階級の特権であり、奴隷は鑑賞することも同席することもないと思い込んでいました。しかし実際のローマ社会は、演劇が庶民の娯楽の一つであり、支配層は世論に配慮しながら民衆を治めるため、広大なローマ帝国のあちこちに劇場や闘技場を建設したそうです。ローマ遺跡の現物を見る前後で印象が大きく変わりました。

 さて、プロジェクトマネジメントの観点からも、万里の長城やエジプトのピラミッド程の大規模ではないにせよ、ローマが建設した石畳の道路網とか水道橋を含む水道網とともに、闘技場や劇場は、大変興味深いと思います。長年続いたローマ帝国を支えたインフラを、計画し、建設し、維持していたのです。正確な書物が残存しているか判りませんが、国家的コンセプトを築きあげ、そのコンセプトの下で、最盛期はほぼ全主要ヨーロッパから西メソポタミア・北アフリカまでを支配下に置いたのです。例えば、皇帝の全身彫刻はすべて同じ形状でローマで大量生産され、しかも皇帝が変わるたびに首から上は差し替えられるように工夫されていました。植民地化した地域に、石畳道路のロジスティックス網を使って次々に配送され、帝国のすみずみまで時の支配者の姿を知らしめたそうです。恐らくこの様に一事が万事すべて計画ありきで、その計画通りに実施する組織を維持し続けたのだと思います。蛇足ですが、この古代劇場の背面の壁中央高所には、この劇場が建設された時のローマ帝国初代皇帝アウグストゥス立像が在りますので、遺跡保存が決まり改修された20世紀初頭に初代皇帝に顔のみ戻したと推測されます。

 この計画主導は、国家という大規模プログラムマネジメントの世界だったと思います。ここでのプロジェクトも、現存する建造物から推測するに、おおむね成功裏に完工され、かつ、多くの物流を支えた道路網も、命の源である水道網も適切に維持されていたと思います。案内にもありましたが、今に伝えられる演劇から推測して、人間の心も頭も現代人と同じであり、喜怒哀楽も嫉妬もモチベーションもコラボレーションもイノベーションもあったであろうとのことです。楽しい夏休みでした。

以 上
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