PMRクラブコーナー
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私にとってのPM感

PMR 浦瀬 賢治 [プロフィール] :9月号

 原子力発電所建設に係わる大きな仕事をやりたいと会社に入り、プロジェクト業務に携わって早20数年。「私にとってのPM感」という言葉から、つらつらと思い浮かぶことを綴ってみたい。
 「私にとってのPMと感」と言うが、実は、会社に入る前も、仕事を始めて最初の7、8年も、PMという言葉など何も意識していなかった。当時は「とりまとめ業務」と言う言葉の下に、上司に怒られながら、ひたすらOJTで仕事をこなす毎日。初めてPMと言う言葉を意識したのは、米国への社費留学を考え出したときだ。「米国にはPMと言う学問があるらしい。」新鮮に聞こえるその言葉の響きと魅力に捉えられ、自分自身にとっての大きなプロジェクトが動き出した。
 社内選抜・推薦、TOEFL(外国人英語能力測定試験)/GRE(米国大学院共通試験)の受験、約1年で学位取得できるPM関係の大学院/学科の調査・選定、受験要綱・願書の取寄せ、受験必要事項の整理、エッセイ作成、推薦状の手配等の必要事項(WBS)の洗い出しと、作業内容の具体化・分解。それぞれに必要な時間の見積り。スケジューリングしてクリティカル工程を引き、マイルストーンを設定した。予期せぬ本業の仕事量増大、あせる気持ちより生じる家族(ステークホルダ)との不和、思ったほど伸びないTOEFL点数など、計画通りにいかないことを修正・再スケジューリングをしながら何とかマイルストーンを乗り越えた。思えば、知らず知らずPMらしきやり方を実践していたのかもしれない。
 ピッツバーグ大学院のインダストリアル・エンジニアリング学科に入学したが(1994-95年)、ステークホルダ・マネージメント(P2Mでは関係性マネジメント)を特徴とするPM、原発建設中断/アトランタ地下鉄建設などのPM事例集のディスカッションの授業に加え、コスト分析手法を学ぶコスト工学(Activity Based Costing)、TCM(Total Cost Management)、クリティカル工程の論理的構築手法なども扱うO&R(Operations & Research)などを学んだ。論文調査なども行ったが、トヨタ、花王、日立など日本企業を分析したものにも数多く行き当たった。当時は円高に象徴されるように日本企業が世界を席巻していたので、日本企業のマネージメント研究・ベンチマークが盛んだったのだと思う。PMを含め、マネージメントそのものが学問的に体系化されており、実社会での仕事の内容がうまく学問として成立していると感じた。米国の大学・大学院は即戦力となる人材を育成していると聞いていたが、まさにその通りだった。ある研究室ではピッツバーク市内の小さな工場での生産プロセス(工程)の見直しを依頼され、その検討をやっている学生もいた。私自身も、修士論文では、ある病院から依頼されたO&Rを応用した勤務医のスケジューリングプログラム開発に取り組んだ。
 話が少しずれてしまったので少しPMの話に戻そう。このピッツバーグでの勉学で私の頭の中に、PMとしての新たな言葉が(英語として)入り込んだ。Mission、Goal、WBS、Work package、Contact management、Stakeholder等など。どれも触れてみて新鮮な感覚だったが、なぜかそれまで自分が行ってきた業務の中で上司から口やかましく言われてきたことに結びついていった。言葉は違えど、はっきりした用語にはなっていなかったが、やろうとしていることは同じか・・・という感想が残った。自分の業務をPMとしてはっきりと意識しだした/できるようになったのはこの頃からだと思う。
 あれから20年弱の月日がたったが、いくつかの原子力発電所建設のプロジェクトを経験し、その間にP2MやPMRなど日本で体系化されたPMの勉強もした。日本版PMの普及の活動にも微力ながら加わったつもりだ。自分の会社生活25年の中でPMがこんなに大きな位置を占めるとは学生のころは思っても見なかったが、実践⇒学問としてフィードバック⇒実践と、この流れの中ですんなり自分の中にPMが落ちて行った。「PMとは実践の中で見つけ、学問はそれを整理する手段。」ぐらいに考えるのがよいのかもしれない。これが私のPM感である。
 それぞれの方には、それぞれのPM感があると思うが、それを意見交換し合うこともおもしろいかもしれないと思うこのごろである。
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