「日本の技術力は高いってほんと?」
イデオ・アクト株式会社 代表取締役 葉山 博昭: 6月号
近年の不況に直面して、マスコミでは日本の技術力は高いので国際競争力は高く将来も心配ないというような論調をよく目にする。かねがね筆者は疑問を感じていたが、日本の技術力はほんとうに高いのだろうか?
液晶テレビが国際競争力を失いシェアを落とし、殆どの国産メーカーが大幅な赤字になったことは新聞報道のとおりだが、先日非常にショックを受けたのは、液晶テレビの製品自のシェアが落ちていることだけではなく、液晶製造装置のシェアも落ちているとの報道に接したことである。液晶ディスプレイのパネルの製造は韓国、台湾勢に追い上げられていることは何年か前から気がついていたが、露光装置に関しては、2002年までは外国勢の追随を許さず高いシェアを確保しており、まだまだ日本の技術は高いと思っていたが、その露光装置さえも外国勢にトップの座を奪われるようになってしまった。液晶パネルではフィルムだけは日本のフィルムメーカーがトップシェアを確保しているだけのようになってしまっている。液晶テレビがシャアを落としたのは日本の量販店との販売戦略が負けたからと説明している評論家がいるが、低価格を量販店との争いにより低価格を国際的に先導したということは確かだろうが、いつの間にかどの国でも出来る技術(コモデティ化)となってしまったこと、グローバル化により低コストで製品化できるようになったことが原因であって、販売戦略に原因を求めるのは誤りのような気がする。販売戦略の問題であるならリカバリーするのに技術的問題は無くなってしまうが、そうでは無いように思う。
【リストラの問題】
外国勢の追随を許したことの原因の一つに国内メーカーの優秀な技術者がヘッドハンティングされ、近隣の国に流出しことが原因となっていることは業界では有名な話である。筆者の知人にも、国内企業から韓国の企業にヘッドハンティングされ今日の液晶テレビの隆盛に力を貸した例がある。電気メーカーはこの10年の間に縮小する内需の影響で弱体部門をリストラした結果、競争力のある部門の優秀な技術者に対しても終身雇用への不安を醸成したことが流出の原因となったとのではないだろうか。バブル崩壊後大幅に売上げを落とす中でリストラを行ったことがある企業の経営者は、リストラはそれを行う時点では生産に寄与度の低い人員に対して行われ、短期的な業績に寄与するが、全社員に終身雇用に対する不安を潜在意識として植え付けてしまう。そのため一度リストラを行った企業では、優秀な技術者は転職に有利な年令(20代後半から30代前半)で転職する人員が常に発生することになってしまったと言っていた。日本では安易なリストラは優秀な社員にまで、冷たい企業、リストラという安易な手段を取る能力の低い経営者が経営する企業という印象を与えてしまい、日本では、リストラは決して長期的視点にたった場合、企業にとって良い戦略とはなっていないと思われる。最近の調査では、一生涯同一の企業に勤務したいという若い人が急増し、10年前の20%台から60%台に増えたそうである。このことなどはリストラに対する恐怖心が企業で何をするかより、一生涯安定した収入を得たいという萎縮した気持ちを若い人に与えた結果かもしれない。日本の技術者をヘッドハンティングし急成長した韓国の企業では、自前の人材育成が重要という認識があり対策を講じ始めたそうである。
【技術者の処遇の問題】
一方、日本での人材育成はどうなっているのだろうか?日本では大卒の給与は大学、学部による差はないが、欧米では大学による格差はかなり大きい米国では大学により2~4倍の給与格差がある。リーダーシップを発揮する人材には初めから高い処遇を与え、リードする責任を求めている。また理系の大卒の初任給は文系に比較するとかなり高い、これは理系の大学での授業料が文系に比較しかなり高額であり、高い初任給でないと大学での高額の投資を取り返せないからで、欧米では、だれも不思議とは思わないことである。では日本ではどうだろうか、日本では行き過ぎた公平感から同一学歴では同一初任給となっている。筆者が大学を卒業し就職した40年前、技術者は技術手当が加算される企業が多く、筆者の入社した企業では10%程度高い初任給を得ることが出来た。また生涯賃金も技術者は経営者になれる可能性は低いが、非技術系より技術者のほうが高かったこともあり理系進学の理由の一つになっていた。現在では技術系は非技術系より生涯賃金で下回ってしまっていることを知っている人は少ないが、なんとなく世間一般でも、苦労して技術系に進学しても高い給与を得られる保証はないと分かってしまい、理系が不人気になった時期があった。ただここ2、3年が理系の大学入学時の志望者は増えているが、これは生涯賃金が近年高くなったからではなく、単に就職率が高いことが原因である。
技術系が生涯賃金で非技術系と逆転したのは、この20年くらい大卒初任給が抑えられているにも関わらず経営者の年収がほぼ倍増した、(統計情報を探したが明確な根拠になるもの無かった)筆者の経験からすると20年前の経営者の年収は1500万円から2000万円程度だったのが最近では2000万円から4000万円程度に倍増したように感じる。それに伴いライン管理職の年収も幅は拡大したが経営者の収入に引きずられ、1.5倍から2倍程度になったようだ。それに比較し大卒初任給は月額18万円~20万円が19万円~21万円になっただけであり、最近の不景気で賞与が低い分年収では下がってしまっている。また技術者のライン管理職のポストは増えず、技術者としてのキャリアパスがライン管理職になる道以外には収入を増やす道を作らなかったため、技術者の生涯賃金は低いものとなってしまった。技術者もラインマネジャーの道を歩まないと高収入化出来ない為、収入を増やしたい技術者は、技術者としてその道を極めることを捨てラインマネジャーとして会社の中で出世する道を選ばざるを得なくなった。このことは優秀な技術者を養成するのに決定的に障害となってしまった。優秀な技術開発、研究を行う人員が少なくなった企業が増加し、技術の底が浅くなり、いつの間にか国際競争力が低下してしまうことなったと思う。
高い収入を得たからといって優れた技術が実現できるとは限らないが、技術を軽視したような収入から高いモチベーションは得られないといのも真実ではないだろか。人件費の高騰は国際競争力を失うという一見正しそうな言葉に乗せられ賃金を抑えすぎたことにより、いつのまにか年収200~300万円が主流派となってしまい、物価を考慮すると近隣諸国と比較して低収者が多い国になってしまっている。製造業に於ける原価に占める人件費は極めて低く10%20%賃金を上げても売値にそうは影響しないものだ。一億総貧乏では消費税をいくら上げても間に合わない。消費税を10%にするより新入社員の初任級を10%上げることのほうが若い人から不景気の陰気を吹き飛ばし、景気も浮揚し、少子化の是正の一助になるのではないだろうか。
【日本の技術は高いという盲信】
「ジャパン アズ NO.1」はアメリカの陰謀ではなかったのか?「ジャパン アズ NO.1」という言葉をまともに受け、慢心し油断している間にアップルにはやられ、液晶テレビ、メモリ、ハードディスクも負け、自動車も中国では売れず、このまま慢心させられ、技術力を高めることをしないと、日本は食えなくなる。「ジャパン アズ NO.1」が流行ったころ、もう米国に学ぶべき物はなくなったなどという尊大な発言をする日本人は多かった。日本はこの数十年前まで、国内で全国民が食えず外国に移民をしてきた国であることを忘れてはいけない。日本の技術は一流ではない、頭脳を駆使し、いかにして食って行けるかを考えないと、又移民で人口を減らすか、鎖国して3000万人くらいが自給自足する国戻るかしかない国であること自覚しないと、次の一手は打てないのではないだろう。
「世界一でなければいけないのですか?」これほど科学技術を愚弄した言葉はないが、かなりの影響を及ぼしたことも事実である、やはり「世界一でなければいけないのですか」は「世界一でなければ、日本の国益は守れないのです」という言葉に変える必用がある。
日本の技術が低くなっているのは、日本は特別、日本人は優秀、日本の技術は最高という根拠の無い日本人優越主義である。日本人優越主義を捨てて頭脳を駆使し、自らの手を汚して初めて世界で通用する技術を培うことが出来る。
【自らの手を汚さない風潮の問題】
作る側より作らせる側になりたがる、作らせる方が偉い、額に汗し自らの手を汚して物・サービスを行うことを嫌う風潮が最近見受けられるが、物作りでは額に汗し、自ら手を汚して初めて改善、新たな発想を得られることが多いが、最近の日本では出来るだけ自らの額に汗をせず、手を汚さずに高収入を得る方法を考えることをよしとしている傾向がある。事実自ら手を汚さず、額に汗しないほうが高い収入を得られることもあるが、これでは真のイノベーションは出来ず、真に顧客の満足を得られるものは作ることは出来なくなり、技術の立ち後れに繋がるのではないだろうか。
【プロジェクトマネジメントはもう必要ないのか?】
この2、3年海外の流れに反して、日本ではPMP取得者は極端に減っているが、その必要性が無くなったのだろうか。確かにこの2、3年の不景気感からシステム開発業界は、新規開発の大型案件が減少することにより大型プロジェクトが減っていることは事実だが、システム開発に於けるトラブルが減少しているわけではない。昨年の調査では、米国で収入の多い職業の1位はソフトウェア開発のSE、プログラマであり活況を呈している。ハードウェアはコモデティ化で利益が出ないものとなっているが、デザイン、ソフトウェアはコモデティ化出来ずITの進化に伴い需要は増している。日本のソフトウェア業界は個別企業・組織のオーダーメードソフトの開発が主流であったが、不景気感から新たなシステムの開発は著しく減少している、その間にITは進化し、日本の企業のシステムは改善を怠り旧いものになっている、世界的にはERPが急速に進化し、企業別に開発しているより数段優れたソフトウェアが席巻している、その流れに日本は完全に乗り遅れている、10年前のERPとは比べようもないほど進化している、日本でも企業別システムの開発から新時代のERPを採用し国際的流れに乗るべき時期になっている。日本の中小企業のシステム化は非常に遅れておりワープロ、表計算程度の使い方で止まっているが、これも中小企業向けERPを安価に提供すれば本格的なIT化を開始することが出来る。
いままで開発してきたシステムを、ERPを採用し迅速に作り替えるにはより的確なプロジェクトマネジメントを行う必要性がり、今までに合格したPMPは既にその任離れた団塊の世代も多く、新たなPMPの必用性は高いものと思われる。
【あまり根本を見直し過ぎると?】
この2,3年の閉塞感、昨年の東日本大地震以降根本的なところで自信を失い、物作りは出来ない、日本はどうあるべきかと悩み考えがまとまらない時代になってしまったが、考えることは一見良いことのように思われるが、国民全員が立ち止まり根本的なことから考え直していると、国際的な競争の激しいこの時期、競争に負け日本の国益が毀損してしまうのではないだろうか。小資源国日本は原材料を輸入し、付加価値をつけた製品・サービスを輸出する以外に生きのびる道はないと思うのは筆者だけだろうか?
以上
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