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P3Mで平成維新を
石原 信男:3月号
我が国の政治や行政のマネジメントがどうもうまく機能していないように私には思えてなりません。皆さんはいかがお感じでしょうか。
いま、わが国の政治と行政は「何も決めることができない」何をどうやっていいかわからない」「やった結果の検証もなく、責任の所在も不明」といったような、直近のことはと
もかくとして、国の中長期的な先行きが全く見えない状況にあるからです。このままでは、どの政党が政権をとっても、誰が首相になっても、私たち国民が安全・安心を確保できる
社会の仕組みになるとは思えません。
私もプロジェクトに携わった一員であることから、あえてプロジェクトにこじつける訳ではありませんが、国の運営も、三つのPのマネジメント、つまりプログラム、プロジェ
クト、パフォーマンスのマネジメントが欠かせません。これはP2Mがどうの、PMBOK®がどうのという以前の問題であって、組織を機能させてPDCAをうまく実行し所定の成果を求めるに必要な道理であり手法であるといえます。
明治維新以降営々と築かれてきた我が国の中央集権的な行政機構・手法が、すでに現代に即したものではないことはいうまでもありません。コンピュータに譬えるならば、時代
遅れのOSで最新のアプリケーション・ソフトを動かそうとして、どうにもならない状況にあるのが今の政治(プログラム)・行政(プロジェクト)といっても過言ではないでしょう。
しかもそれらの主役であり租税納入義務を課せられている私たち国民は、租税に見合った福利を権利として求める立場にありながら、政治・行政の途中と最終の成果(パフォー
マンス)を検証・評価する機会が具体的な形で与えられておらず、唯一「選挙」を通じてのみ政治(プログラム)を受け持つ組織人を投票という形で評価する手段しか持ち合わせていません。ましてや、国のプログラムやプロジェクト、その成果(パフォーマンス)をわかりやすく明確に知らされる機会が与えられていないことから、政治(プログラム)・行政(プロジェクト)を検証し評価しにくい立場に置かれているのが現実の姿です。
それも一因でしょうが、いわゆる「無党派層」という政治への関心が希薄な有権者が半数近くをしめているといった現実が見られ、その傾向は次第に強まってきているようです。
そこで、日本国プロジェクトのプログラム、プロジェクト、パフォーマンスの相関マネジメントが私たち国民にも「見える」ようにWBS ( Work Breakdown Structure )の手法を
適用できないでしょうか。
ここ数年、このようなマネジメント感覚をもったリーダーが出現しないか期待していましたが、当選することを最終目的とした国会議員、明治維新以来の旧弊と省益の枠を踏み
出せない仕組みの中で出世と天下りを目指す官僚、どこから見てもWBSのかけらも見えてきませんでした。
最近、橋下大阪市長がいろいろな面で話題にあがっています。そして多くの「無党派層」であろう人たちの関心を集めているようです。私も実のところその一人なのです。
マスコミによる関連情報から推察するに、橋下大阪市長の方がどうやら現存の政治家や官僚よりはプログラム、プロジェクト、パフォーマンスの相関マネジメントのセンスが富
んでいるように、私には思えます。
橋下大阪市長とは何らの関係もない私ですが、その言動からは、日本国プロジェクトのマネジメント、それもWBSをベースにした日本国のマネジメントが大阪という一地方から実現しそうな兆しが感じられるのです。その先行きは未だ不明ですが、政治・行政・国民生活に何かが動きだしそうな期待が持てます。
図 1は、私なりの政治(プログラム)と行政(プロジェクト)の相関イメージです。
図 - 1
政治と行政の機構・組織の交点が日本国のWBS項目であり、ここで国のやるべき仕事、民間に委託できる仕事、省庁縦割りや重複に起因するムダや必要のない仕事、「人が居るか
ら仕事が要る」が前提の官僚天下り先の独立行政法人、等々が仕分けできるはずです。
ある政治的見栄えを意識したとも言えそうな「仕分け」なるものが、今の与党によって行われました。結果として「政治的には何の役にも立たなかったのでは・・・・」と国民
の多くが思ってしまうような結果に終わりそうです。 あのような「仕分け」はきわめて拙劣なWBSの一つ形であり、やるべき時機を失してしまっていると言えましょう。
図 - 2は図 - 1で仕分けたWBS項目(やるべき仕事)を、さらにブレークダウンしたイメージです
プログラムにしろ、プロジェクトにしろ、中央集権的な行政から地方分権行政に移行したほうが、県・市・町・村区といったその地域の住民に適したものが当然あるはずです。
中央の省庁が地域特性を考慮することなく一元的に方針と資金を押しつけてやらせる、このようないまではすでに消費期限切れになった行政手法を既得権益の確保にとらわれて
手放さないような行政手法が続くかぎり政治・行政に対する国民の信頼感の回復も期待できないでしょうし、有権者の大半を超える無党派層の減少もあり得ないでしょう。
図 - 2
私自身の思い込みかも知れませんが、いま日本は統治機構の抜本的な改革が必要な時機にあると思えてなりません。政治・行政といった統治機構を改革することがきわめて難し
ことは十分承知しています。しかし、これをやらないかぎり日本が世界先進国の一員として発展を続けることはまずあり得ないであろうと危惧されます。
大きいとはいえ、大阪は日本の一地域にすぎません。いま、そこから平成維新ともいえそうな政治・行政の改革の種火がポツッとともり始めました。これがあたかも燎原の火の
ように日本全体に広がることを願っている人はけっして少なくないはずです。
私としては、その火がP3M(プログラム、プロジェクト、パフォーマンス)というマネジメントによってしっかり裏付けられたものであってほしいと、心から願っています。
さらに望むべくは、「国民が納めた税金は国のものであって政治や行政が好き勝手に使っていいのだ」という政治・行政に携わる人たちの意識を、なにはさておき先ず変革してい
ただかなくてはなりません。「税金は国民が国に預託したものであって、国の統治に携わる人たちは預託された税金をいかに有効に使っていかに租税と福利が適正にバランスした成
果を提供できるか」との意識改革から始めていただきたいものです。この意識改革は国のプログラムマネジメントの基本構想策定の確たるベースとならなければならないもので、
これが欠けるかぎり、それ以降のプログラムもプロジェクトも、そしてパフォーマンスのすべてのマネジメントは、平成維新改革とはかけはなれたものになってしまうでしょう。
そんな心配をしながら毎日を過ごしているプロジェクトを経験した一人の老人です。
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