ダブリンの風(50) 「陳旧性心筋梗塞」
高根 宏士:5月号
今回は最近の半年間に筆者が直接経験した病気について書いてみます。病気の経験ということで読者の皆様には申し訳ないですが、その中にドラッカーがこれからのプロとして紹介していたテクノロジストらしい人達がいましたので、紹介します。
正式病名は「陳旧性心筋梗塞」(心筋梗塞の症状が出てから1ヶ月以上経過したもの)といいます。3本の冠動脈の中の1本(左廻旋枝動脈)が完全に詰まってしまい、左心室の裏側へ血液が流れない状態になっていました。右側の冠動脈から、か細い血管が手を伸ばして助け舟を出し、わずかに(通常の1/10以下)血液を供給していたため(普通はこの血管はない)、安静時はほとんど問題ないように見えたのですが、動くと供給不足になっていたようです。
はじめて自覚症状があったのは昨年9月下旬、カナダのローレンシャン高原のかなり急な坂道を歩いていた時でした。いつもならば息が苦しくなるのですが、このときは、胸が痛くなりました。平らなところに来た時痛みは少し和らいだのですが、歩いている時はずっと痛みが続きました。ローレンシャンの町に着いてコーヒーを飲んでいましたら、直ってしまいました。それから2日後にカナディアンロッキーを歩いていましたらまた痛みが出ました。
日本に帰ってきてから坂道を歩くと、胸に圧迫感がありました。しかし痛みはそれほど出ませんでした。10月に健康診断(簡易ドック)がありましたが、検査結果はいつも指摘されるコレステロールの数値以外は正常でした。
その直後いつも通っているJクリニックにいきまして、胸が痛かったことを話し、その後健康診断では問題なかったといいましたら、J先生が非常に厳しい顔をされました。それまでは体の不調を訴えますと、先生は「高根さん、もう年(69歳)なんだから仕方ないよ」というのが慣わしになっていたのにこのときに限って、健康診断ではよくても安心はできないということで、すぐにX線と心電図をとりました。その結果は正常でした。ところがJ先生は24時間心電図をとろうといわれまして、24時間心電図と胸に異常を感じたときのマークをしたデータを取りました。そのデータを、24時間心電図を解析した先生とJ先生が見た範囲では正常でした。
しかしJ先生はまだ心配されまして、専門医の診断を受けなさいといわれ、N大学S病院のK先生を紹介してくれました。そこへJクリニックで取ったX線写真と24時間心電図のデータを持っていきました。K先生はデータを見た後、「健康な人とほとんど変わらない。しかし心電図の波形が完全に健康な人と微妙に違う。これまでの診断医療では大丈夫ということになりますが、自分はこのレベルで突然逝ってしまう例をいくつか見ている」といわれまして、念のため超音波とSPECT(心筋シンチグラフィー:アイソトープで心臓の筋肉への血液の供給状態を検査する方法)の検査を指示されました。年末に検査しましたら、超音波による心臓の動きは正常でした。安静時のSPECT検査ではリングがきちんとでていました。しかし負荷時のSPECTのリングが切れていました。この結果、冠動脈に問題ありということになりました。この時点ではまだ狭心症レベル(動脈の血管が狭くなっている)だろうという予想でした。そして問題箇所を特定し、治療するためにカテーテルによる検査とできれば続けて内科的手術をしてしまおうということになりました。2月末に入院し、28日にカテーテル検査をしました。F先生とそのチームのメンバーが担当しました。その結果は予想を超えて悪く、左回旋枝動脈が完全に詰まってしまってその先の血管が映像に出てこない状態でした。このため手術はできず、検査だけで中止となりました。このままでは外科的手術(いわゆるバイパス)をしようにも、先の血管がないので不可能ということになり、改めてどうするか検討することになりました。そして3月末にもう1度トライしようということになりました。しかしできるだけの情報を収集したいということで、先の血管を少しでも捕らえるためにMDCT(Multi-Detector row CT)を使って映像化することになり、3月8日N大学I病院(S病院の設備が旧い)に行きまして、映像を取りました。ところがその結果は益々悪く、MDCT専門医の先生の診断では、手術による治療は内科的にも外科的にも不可能ということでした。これからは薬で騙しながら生活するしかないということでした。
1週間後にK先生のところに最終判断を聞きに行きました。I病院で聞いたとおりになるだろうと思っていたのですが、K先生の判断は予想に反して当初の予定通りカテーテルによる内科的手術をやろうということでした。もちろんF先生とも相談した上でのことだそうです。K先生やF先生方の見解はMDCTの先生はその情報しか知らない。我々はこれまでの検査結果の情報を全て把握している。それを基に考えた対策はカテーテルを2本(腕と足の動脈から、通常の手術では1本だけ)入れ、両方から探っていき、つなごうというものでした。ただしこの手術の成功率は低いということでした。患者の意向次第ですといわれました。失敗して元々ということで手術をすることに決めました。しかし内心は駄目だろうと思っていました。
3月28日に手術をしました。手術チームは前と同じメンバーに加えF先生の先輩でカテーテルによる手術ではトップクラスという先生が支援に加わることになりました。手術途中で静かになってしまい、先生方が全員集まって何か話しているのでまた中止かなと思っていましたら支援に加わった先生の声が高くなり矢継ぎ早の指示が飛びました。そのうちに別の先生から、左回旋枝の血管が見えたという声が挙がりました。偶然か、運かわかりませんでしたが、これまで見えなかった血管がかすかに見えたのです。これで手術の目途がつき数十分後にF先生が耳元で「成功しましたよ」と囁いてくれました。
病室に戻った後、動脈からの出血を防ぐために6時間ほど足を固定されたのですが、その間関係した先生方が何人か訪れまして、「良かった、正直言ってこれまで何百例か扱ってきたが、非常に難しいレベルの手術だった。高根さんは運がいいですよ。」と祝福されました。
現在は退院して通常の生活に戻っています。自覚できることは胸の圧迫感や痛みがないことです。また首や肩が軽くなりました。
最後にF先生の話を紹介します。彼は「今回の最大の功労者はJ先生だ。J先生が検査データよりも患者本人の自覚症状を徹底して取り上げたことです。データだけから機械的に判断し、問題なしとしたら、ある期間が経った時に高根さんは終わりだったでしょうね。それからK先生の専門的直感ですね。私は手術の成功という成果をもらっただけです」といわれました。しかしMDCT部門から不可能といわれたものを専門家としてのプライドと執念からチャレンジしたF先生の行為も素晴らしかったように思います。
何よりもJ先生からK先生、K先生からF先生へと繋いだ専門家としてのリレーが素晴らしかった。改めて医療関係者のプロのレベルを見せてもらいました。良い経験をしました。
我々の世界でこれだけのプロのノウハウとコミュニケーションのレベルのあるグループはどのくらいあるだろうか。
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